第68話 雪がふるふる
麒凰帝国の帝都は温暖で、冬にも雪が降らない。しかし、そこから馬車で十日かかる菊乃井では、冬は雪が必ず降る。
覚えてないけど。
段々と日が短くなり、年の瀬も迫ってきたある日。
菊乃井にこの冬初めての雪が降った。
朝起きて、カーテンを開けたら、夜中に静かに降ったのだろう。庭木やら玄関ポーチが真っ白になっていた。
やけに寒いと思ったら。
爪先から這い上がるひんやりとした空気にたまりかねて、一目散にベッドに戻ろうとすると、ドタバタと遠くから走ってくる足音と「レグルスさまー!? ズボン忘れてますー!? 止まってぇぇぇっ!?」と、宇都宮さんの絶叫が。
そして勢いよく部屋の扉が開かれて、シャツワンピース着たみたいなレグルス君が現れた。
「にぃに! おそとがしろいの!」
「おはようございます、レグルスくん」
「あ、おはよーございます!」
「お外が白いのは雪が降ったからだよ。ズボン履いて、朝ごはん食べたら見に行こうか?」
「あい! うちゅのみやー、ズボンはくー!」
ぺこりんと朝の挨拶をすると、来た道を戻って行ったのか、途中で「レグルス様、ズボン履いてから動いてくださいね。めっ!」って宇都宮さんのお小言が聞こえた。
ここまで聞こえるってことはロッテンマイヤーさんにも聴こえてるだろう。宇都宮さん、後で呼び出しじゃなかろうか。
謁見から一ヶ月ほど。
新しい年の足音が近づいてきて、皆どこか忙しげだけど、私の周辺もにわかに忙しくなってきた。
エリーゼのつまみ細工も売りに出せる精度に達して、既に私と一緒にいくつか売り物を作っている。
カレー粉の方もかつて帝都でスパイスを買った時、知り合った商人さんが菊乃井に来てくれることになった。
冒険者用の小物も、ラーラさんやロマノフ先生にネックウォーマーを着けて街中を歩いて貰ったお陰で、冒険者ギルドのローランさんから取り扱いの申し込みがあって。
私も魔術の勉強の成果か、付与魔術のオンオフ切り替えが上手く行くようになったから、付与魔術付は少しお高く、付与魔術なしはお手頃価格で販売している。
尚、ラーラさんからは
なんなら他のお客さんからも、素材を貰って値引きする方式を取るのもありかな。
物思いに耽りながらも身体は勝手に動いてくれるもので、身支度が整う。
ズボンがかなり緩い。
そう、私はなんとダイエット開始直後から、厚みが半分くらいになっていたのだ。
もうすぐで標準くらい。
背も結構伸びたけど、この間腹肉を摘まみながらレグルスくんが「ラーラせんせー、うそついた!」って泣いたのは何でだろう。
それは兎も角、緩くなったズボンはウエストだけ締めたら立派なワイドパンツになった。今度裾に刺繍を入れようかな。
つらつら考えながら食堂に行くと、もうロマノフ先生やヴィクトルさん、ラーラさんも来ていて、私が席に着くと遅れてレグルスくんが宇都宮さんに手を引かれてやってくる。
朝御飯だけじゃなく、昼も夜も、随分と食卓が賑やかになった。
相変わらずロッテンマイヤーさんや宇都宮さんは、使用人だからと別々に食事を取るけれど、週に二回のマナーの時間には一緒だし、他の人や奏くんも参加して賑やかな食事会になっている。
因みに食事は「まごわやさしい」を続けているけれど、ラーラさんから「育ち盛りだから肉はちょっと多めでも大丈夫」と言うアドバイスがあって、少しお肉増量中。
ここに来た当初は上手く一人で食事が出来なかったレグルスくんも、今ではすっかり子供用のカトラリーとお箸を使いこなせている。
「昨日は随分と降ったようですね」
「帝都に長くいたから、積もったのなんか久々に見たよ」
「ボクは逆にマリーに会いに行こうと思うまで、ルマーニュとの境目にいたからね、またかって感じだ」
ルマーニュとは帝国の属国で王を擁する北の国。文化は帝国より西よりだ。
豪雪地帯で一年の三分の二は雪が降ってるとか。
「ねぇ、にぃに、ゆきってなぁに?」
「えぇっとね、空から降ってくる白くて冷たい……氷の結晶?」
「こおりのけっしょう? こおり……ちめたいの?」
「うん、冷たいよ。後で触ってごらん」
キラキラおめめを輝かせて、ひよこちゃんが頷く。しかし、雪に興味津々だったのはレグルスくんだけじゃなく。
「雪がふったからあそびにきた!」
へへっとお鼻の天辺を赤くしながら、奏くんが誘いに来たのは、丁度朝食が終わって、一目散にレグルスくんがお外に飛び出そうとしていた時だった。
冬用のブーツにセーター、ポンチョにネックウォーマー、手袋、帽子、耳当て。どれもこれも【氷結耐性】に、【防寒】がついている。
文字通り完全防備のレグルスくんが雪に覆われた地面を踏むと、その度にしゃりしゃりと氷の結晶が潰れる音。
それが楽しいのか、何度も足踏みを繰り返すと、今度は手袋越しに雪を掴む。けれどレグルスくんはきょとんとして、固まってしまった。
「どうした、ひよさま?」
むーんと怪訝そうな顔のレグルスくんに、奏くんが呼び掛けたけど、「ひよさま」ってなんだろう。
そう聞いたら「ひよこの若さまだからひよさま」だって。
なるほど、なんて納得していると、レグルスくんがようやく口を開いた。
「……ちめたくないよ!?」
「手ぶくろしてるからだろ?」
「そーなの?」
「レグルスくん、手袋外して触ってみたら?」
「あい!」
よい子のお返事で手袋を外してズボンのポケットにいれると、勢いよく両手を雪に突っ込む。すると「ぴえっ!?」と飛び上がって、ほっぺに手を当てた。
「ちめたい! おててちめたいの、にぃに!」
「冷たかったでしょ、それが雪だよ」
「ゆきはちめたい! たのしい!」
「そっかぁ、良かったねぇ」
冷たすぎるくらい冷たいのが、レグルスくんの心の琴線にふれた様で、きゃらきゃらと笑う。
「ひよさま、雪のつめたさがわかったか?」
「うん、わかったー!」
「じゃあ、雪がっせんしようぜ!」
腕を振り上げて「おー!」と叫ぶ声は、子供だけのものじゃなく、なんとエルフお三人様も混じっていて。
雪玉を作ってはそれぞれにぶつけ合ったり、飽きたら雪だるまを作ったり。
子供より寧ろ大人三人のが雪まみれになった頃、タオルを持った宇都宮さんが現れて、そっと私の腕を取る。
そして皆からちょっと離れた場所に行くと、声をひそめて。
「あの、若様、宇都宮ちょっとお願いがありまして」
「はい、なんですか?」
「そのぉ……新年のパーティーと誕生日プレゼントのことで」
「はぁ、新年のパーティーと誕生日プレゼント……?」
「はい。レグルス様は喪中ですから、新年パーティーには参加できなくても致し方ないと思うんです。でもお誕生日は年に一回のことですので……お祝いを……」
ちょっと待って欲しい。
今、大事な情報を聞いた気がする。
新年パーティーとかより、寧ろそっちが大事な訳で。
もじもじと言い募る宇都宮さんに、私の方が驚く。
「待って、宇都宮さん。レグルスくんって一の月生まれなの?」
「へ? いえ? 二の月ですが……?」
「うん? じゃあ、誕生日は二の月じゃ……?」
どういうこと?
首を捻ると、さっと宇都宮さんの顔色が変わる。
それから、何か信じられないものに遭遇したような顔をして、私の肩を掴んだ。
「若様って、ご病気する前の楽しかった記憶は一応残ってらっしゃるんですよね?」
「ええ、綺麗な刺繍見たとか、お花見たとか……」
「た、誕生パーティーとかは……?」
「そう言えば……ないですねぇ」
へらりと笑うと、宇都宮さんが「ロッテンマイヤーさぁん!?」と悲鳴をあげた。
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