第35話 出来ること、したいこと

 思わず見開いた眼に、同じく眼を見開いたイゴール様が映る。

 いや、私、そんな約束したっけ?

 心が受けた衝撃のままに吐き出したのは「え?」と言う、何の捻りもない声で。


 「え?って……え?」

 「え、や、私、そんなこと言った覚えないんですが……?」

 「あれ?そうなの?」

 「はい……」


 なんでやねん。

 思い切り訳が分からなくて、姫君としたお話を、そのままイゴール様にもお伝えする。

 すると、「あー……」とイゴール様が額を押さえて、天を仰いだ。


 「えーっとね、多分、教育が行き届けば楽譜が読めたり台詞が読めたりするひとが出てくる、豊かになれば芝居にお金を落とす人間も出てくるって言う辺りで、君が君の領地を豊かにしたら『みゅーじかる』だっけ?それに力を入れるって思い込んだんだね。百華は思い込みが激しいから」


 あははー……と乾いた笑い声が神殿に響く。

 って言うか、約束したってことは、私はそれをなさねばならぬってことなんだろうか。

 その疑問にイゴール様は首を横に振った。


 「約束だから努力義務はあるけど履行義務はないってとこかな?」

 「えー……?」

 「まあ、だから、領地を富ませて、識字率を上げていくってのを努力すれば大丈夫……うん……多分……」

 「……なんで、眼を逸らされるんですか?」

 「だって、百華だよ?」


 努力を怠れば雷が降るってことか。

 白目になりそうな返答に天を仰ぐ。

 だけど、豊かになって娯楽が求められるとしたら、確かに私だってミュージカルが見たい。もっと言えば『菫の園』のお芝居やレビューが見たい。

 それに必要なのはやっぱり学校、つまり教育が必要なのだ。


 「音楽学校……」

 「ん?」

 「音楽学校が出来て、そこに生徒を集められるくらい豊かで教育が普及すれば、姫君の見たいモノもお見せ出来るかもしれません」

 「そう、じゃあ、まあ、気負わず頑張れ」

 「はい!」


 こくりと頷けば、また頭を撫でられる。

 長生きしないにしても、レグルス君以外の生き甲斐が合ったって良い筈だ。

 自然と口角があがる。

 と、イゴール様に額をつつかれた。


 「魂と身体の繋がりが弱い件に関しては、百華に任せなよ。魂に関しては僕より専門家がいるから、そっちに話を聞きに行ってるからさ」

 「魂の専門家、ですか?」

 「うん。肉体の病なら僕の領域だけど、君の病気───離魂病は魂の病だからね。そっちに聞いた方が確実だ」

 

 優しい手が私の髪を櫛削る。

 イゴール様の身体がふわりと宙に浮くと、おいでになった時のように、天井から光がさして。

 お帰りになるのだろう、柔らかな燐光がその御身体を包んだ時、ふっと視線が私のウエストポーチに止まった。


 「鳳蝶。君、その腕輪みたいなの、なに?」

 「腕輪、ですか?」


 なんだろう、なんか入れてたっけ?

 ウエストポーチに触れると、ステータスボードが現れ、そこにはハンカチや懐紙に混じって『ミサンガ』があった。

 腕輪ってこれだろうか。

 取り出してお見せすると、イゴール様はそれを手に取り、しげしげと眺めた。


 「これは……刺繍糸かなにかで編んでるのかい?」

 「はい。糸の細さや太さ、編む順番を変えれば色んな模様が出来ますよ」

 「そう。じゃあ、お布施代わりに貰っていくね」

 「え?あ、そんなものでよければ……」

 「うん、これ、お洒落だしね」


 ふくふくとした丸いほっぺを薔薇色に染めて、ミサンガを眺める。

 そう言えば、もう一つ生えたスキル・超絶技巧は矢張りこの方の加護なんだろうか。

 尋ねようとすると、首を静かに否定系に振られた。


 「いいや。って言うか、君、百華の前で何か作っただろ。百華のことだ、誉めてるのか分かんないような言い方で誉めたんじゃないの?神の前で、神が認める技術を見せたら、そりゃ生えるでしょ」

 「あー……いやー……折り紙でそんな……」

 「まあ、良いじゃないか。あって困るでなし」


 そんなもんなのか、スキルって。

 釈然としない様子の私に肩を竦めると、今度こそイゴール様が光に包まれてどんどん存在が薄くなる。


 「では、またいずれ。後、一人で頑張らなくても、世界中に同じ気持ちの人間がいる。何より後ろのエルフ二人も協力するっぽいし、遠慮なく手伝って貰いなよ?」

 「へ?」


 「じゃあね」と言う言葉を残して、イゴール様は光と共に消えてしまわれた。

 ぐぎぎと錆びたような音をさせて振り返れば、石畳に膝をついた姿勢のロマノフ先生とヴィクトルさんがいて。


 「あの……もしかして……全部見てらしたんですか?」

 「はい」

 「……僕、初めて神様にあったよ」


 何処かぼんやりとしたヴィクトルさんを、ロマノフ先生が支えて立たせる。

 ふらっとしたヴィクトルさんを私も支えようとしたら、逆にがっしりと肩を掴まれた。


 「あーたん、音楽学校って何?『ミュージカル』って?詳しく!」

 「きゃあっ!?」


 綺麗なお顔が鼻先まで近付いて来て、びっくりして変な声が出た。

 ヴィクトルさんは大層興奮されているようで、薔薇色の頬が更に上気して赤みが増す。めっちゃ迫力。


 「み、ミュージカルはお芝居に音楽やダンスを取り入れた音楽劇のことですぅ!音楽学校ってのは、才能ある若い人を集めて、歌舞音曲やお芝居を教える、ミュージカルの専門学校ですぅ!」

 「乗った!手伝う!僕、手伝うからね!」


 肩に食い込むのは細い指なのに、私をぶんぶん振る。

 エルフの外見詐欺の怖さを、私は思い知るのだった。

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