第33話 白豚歩けば市場に当たる
さてさて、マリアさんの件はどうやら決着が上手くついたようで、機嫌良さげに彼女は帰って行った。
ヴィクトルさんに改めて訪問の挨拶をしてから、お土産の『冷製・出汁蒸し卵』を渡すと、素晴らしく喜んで貰えたようで、居間のテーブルでお茶の時間に。
にこにこととても上機嫌に、ヴィクトルさんはロマノフ先生に尋ねる。
「あーたんのレッスンもちゃんと考えててね。二ヶ月後からでどうかな」
「そうですね、帰ったらロッテンマイヤーさんにそのように伝えておきます」
「え……レッスンしてもらえるんですか?」
わぁ、宮廷音楽家にレッスンしてもらえるとか凄い。
だけどお月謝とか交通費とかどうしたら良いんだろう。
ローランさんのところに刺繍したハンカチ持ってったら、その分稼げるかな。
眉が八の字に下がるのが解ったけど、その眉間を向かいに座っていたヴィクトルさんが指で擦る。
「お月謝とか交通費とか、あーたんは心配しなくて良いからね」
「え、いや、でも……」
「大丈夫ですよ、鳳蝶君。ヴィーチャには金銭的な対価より、君から欲しいものがあるんですから」
「欲しいもの、ですか?」
何だろう、私が持ってるものなんて刺繍の腕とか園芸の腕とかしか。
首を傾げると、くふんとヴィクトルさんか口の端を上げた。
「あーたんが姫君から教わった異世界の曲を楽譜に起こして演奏させて欲しいんだ。ダメかな?」
「異世界の曲を楽譜に……!?」
「うん。さっき歌ってくれたのも異世界のだよね。あれもちゃんと覚えたから、弾こうと思ったら弾ける。でも、これは姫君から教わった曲なんでしょ?なら勝手には弾けないし、楽譜にも起こせない。だから僕はその許可が欲しい」
許可もなにも渡りに船って奴だよね。
姫君ならきっと「
許可を取る約束をすると、ヴィクトルさんが嬉しそうに頷く。
なんて言うか、ロマノフ先生とヴィクトルさんしか知らないけど、エルフって皆友好的なのかしらん?
尋ねてみると、二人は顔を見合わせて同時に首を横に振った。
「アリョーシャも僕もエルフのなかでは変り者だよね」
「そうですねぇ、あと一人いるんですけど、それと三人合わせて『人間贔負の三馬鹿』って言われてましたねぇ」
「あー……なるほど、余り期待しちゃダメってことですね」
「そういうことです」
まあ、人間ですら肌の色やら生まれやらで色々あるんだから、人間と他種族ならもっと色々あるんだろう。仲良く出来るに越したことはないけれど、押し付けは良くない。
ぼんやりと出してもらったお茶を飲んでいると、ヴィクトルさんがカップをおいて立ち上がった。
「さて、じゃあ、行こうか?」
「そうですね、よろしくお願いします」
何だろう。
二人を眺めていると、「ふふっ」とヴィクトルさんが笑う。
「折角帝都に来たんだから、見物していくと良いよ。目的の『帝都一の歌い手』にも早々に会えちゃったんでしょ」
「で、ヴィーチャが案内してくれるんですよ」
「そうなんですか、ありがとうございます!」
わぁ、お家と菊乃井以外の初めてのお出掛けだ。
ウキウキしていると、ロマノフ先生が手を繋いでくる。
「帝都は菊乃井よりかなり人が多くて、道もいりくんでますから、手を繋いでないと小さなこどもは直ぐにはぐれてしまいます」
「そうだね、迷子になって泣いてるこどもとかよく見かけるよ」
「おぉう、それは大変」
きゅっと先生の手を握ると、反対側をヴィクトルさんに取られる。
思えば私の知ってる大人の手は、先生の手かロッテンマイヤーさんの手か、後は屋敷で働いてるひとの手で、どれも働くひとの手だ。
ヴィクトルさんの手は柔らかくてしなやかで、何だかレグルス君の手に似ている気がする。
ピアノを弾くから大事にしているのかもしれない。
広いドアから連れられて外に出れば、石畳の道が現れる。
帝国は東西文化が入り交じり、独特の雰囲気が街並みに漂う。
モスクのような建物があるかと思えば、鹿鳴館のような西洋建築、武家屋敷や町屋とでも名付けたくなるような建物の間を、舗装された石畳が通り、人や馬、馬車、荷物を積んだリヤカーのようなものが行き交っていた。
大通りの左右には商店だけでなく、屋台だって出ている。
野菜や肉や魚だけでなく、布やビーズ、花なんかも売っていて賑やかだ。
「僕の家はマルシェの開かれる通り沿いにあって、中々賑やかなんだよね」
「あ、マルシェって言うのは市場ですよ」
「市場……!!」
何もかも極彩色を纏ってキラキラと輝くように見えた。
呼び込みをするお店のひとも、籠を手に買い物をするひとも、皆表情豊かに丁々発止のやり取りを楽しんでいる。
それを見ながら露店を見て回ると、不意にこの人生では初めてだけど、前の世界で何度も嗅いだ匂いが。
刺激的で、でも食欲をそそるそれは、随分遠いくせに懐かしくて仕方ない。
店先に並べられた籠には、葉っぱやラグビーボールみたいな形の種の数々、それに混じってシナモンや生姜に鬱金まで!
「スパイスが沢山ある!」
「おや、珍しいですね」
「ここ最近見るようになったんだよね」
二人の手を引いて露店に駆け寄れば、浅黒い肌のおじさんがニッカリと笑う。
「スパイス、沢山アルヨー!
ここであったが百年目って訳じゃないけど、次にいつスパイスと巡り会うか分からない。
急いでウエストポーチをあけると、ローランさんがくれた餞別をおじさんに渡す。
「一通り全部、この中に入ってるお金で買えるだけくださいな!」
「アイヨー!沢山買ッテクレタカラ、オマケシテオクヨー!」
中を覗いたおじさんはホクホク顔でスパイスを袋に詰めていく。オマケと見せてくれたのは、なんとバニラビーンズだった。
バニラビーンズってめっちゃお高いんだけど!
結構な荷物になったけど、一つずつウエストポーチに入れると、お礼を言う。すると、おじさんが紐の着いた木の札を見せてくれて。
「ワタシ、時々帝都ニ行商ニ来ルヨー。坊ッチャン、ゴ贔屓ヨロシクネー。オジサンノ名前、ジャミル言イマス。商人ギルドニ入ッテルカラ、ギルドデコノ木札ミセタラ直グニ連絡ツクヨー」
「あ、ありがとうございます!」
見せてくれた木札をバニラビーンズの袋にくくりつけて、それも渡してくれた。
いそいそとしまうと、ヴィクトルさんとロマノフ先生とお礼を言って店を離れる。
こう言うとき、ロマノフ先生は私の好きにさせてくれるし、理由を無理に聞こうとしない。それにならってかヴィクトルさんもなにも言わないでくれた。
だから、人通りが少なくなった辺りで立ち止まる。
「ロマノフ先生、このスパイスを使って菊乃井に名物を作れるかもしれません」
「名物、ですか?」
「はい、カレーライスって言うんですけど、聞いたことはありますか?スパイスを調合した辛い煮汁で野菜や肉を煮て、それをご飯にかけて食べるんですが」
「そんな料理があるんですか……?」
「僕もよく旅に出てスパイスの本場にもいったことあるけど、そんな料理は聞いたことないな」
それなら、期待出来るかも。
何より、私がカレー食べたい!
握り拳を固めた私に、けれどロマノフ先生は少しだけ苦笑いした。
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