第27話 経済のパイの味と効能

 超絶技巧とは、『緑の手』・『青の手』系スキルの補助スキルというのか、主に手を使うことに対してブーストがかかるスキルらしく、熟練の中でも名人と呼ばれる一握りが持つスキルなのだとか。

 イゴールの加護とは、ずばりそのまま空の神にして技術と医薬、風と商業を司る神・イゴールから加護を与えられている状態を指す。

 ちなみに、私は百華公主以外の神様との面識はない。


 「だから『超絶技巧』は兎も角、『加護』の方は全く思い当たりません」

 「じゃあ、なんで生えてるんです?」

 「さあ?」


 ちくちくと草臥れたシャツのボタンつけとほつれを止めて、ズボンの破れた部分には接ぎ当てして、更にその当て布の上に渦巻きみたいなエルフ紋様の蔦を刺繍する。

 ロマノフ先生によれば、コンドルは魔力向上、蔦は頑健さを向上させるのだそうな。

 ズボンのお膝は破れやすいから、丈夫になればいいね。


 「はい、出来ました」

 「お、おお、ありがとよ」


 男やもめになんとやらで、ローランさんの服は結構なダメージを負っていた。

 私の『青の手』が本物かどうかのお試しに、今まで放っていたボタンが取れてたのとかほつれとか穴空きを、ちくちくとその場にあった針と糸でお直しした訳なんだけど。

 その直したズボンを【鑑定】にかけて、ローランさんはごふっと噎せた。


 「信じられん、本当に頑健にブーストかかってら。」

 「これでハンカチに刺繍入れたのが鳳蝶君だって証明になりましたね?」

 「おお、目の前でやられたら、そりゃなぁ」


 ローランさんは顎を擦りながら頷くと、今度は持ってきたハンカチに視線を写す。

 そもそも私、何しにきたんだっけか。

 借りた針と糸を返すついでにロマノフ先生に伺うと、がくっと肩を落とされた。


 「君のハンカチを売り付けに来たんですよ……」

 「ああ、そうなんですか……って、へ?」


 いやいや、無茶言うな。

 冒険者ギルドって言うからには冒険用の物品は売り買い出来ても、私が持ってきたのは刺繍入りハンカチなんだから。

 売り物になるはずがないで……


 「うーん、全部で金貨二枚でどうよ?」

 「はい、売った」

 「売れたー!?」


 びっくりしてついつい叫ぶと、大人二人がぽかーんとこっちを見る。


 「……そりゃ、売れますよ」

 「……そりゃ、買うだろ」

 「何で!?」

 「いや、なんでってお前……」


 困惑しながらもローランさんの説明してくれたことには、頑健というのは物理防御を指すのだけれど、これは肉体を鍛えればいくらでも上がるのだそうな。しかし魔力と魔術耐性というのは魔素神経の出来で決まるらしく、鍛えようがない天性のものなのだとか。


 「つまりな、そこのエルフみたいに全身に魔素神経が行き渡ってるようなやつなら、最下級魔術でも人は殺せる。逆に俺みたいに最下級魔術を使うのすら覚束無い奴は、最上級魔術を使うなんてとんでもないし、使えたとしても、そのオッサンの最下級魔術レベルの威力もでねぇのよ」

 「だけど、そんなひとでも鳳蝶君の刺繍ハンカチがあれば、私の魔術でも半殺しくらいで済む可能性が……」

 「はーい、先生!先生の凄さがイマイチ解んないので、それが凄いのかどうなのか解りません!」

 「おぉう、そうきましたか」

 「あー……えっとな、俺が素の状態で出せる火の玉が一つだとするだろ?お前さんのハンカチを持つとだな、出せる火の玉が四つに増えるんだよ。逆に火の玉一つ食らったら死ぬやつが、四つまでは耐えきれるようになる」

 「やだー、凄いじゃないですか、やだー」

 「おう、やっと解ったか」


 はい、どうにか。

 ブンブン首を上下させると、横から現れたロマノフ先生の手に顎を捕まえられて、強制的にタコ口にされる。


 「この間からの私のお話は、これで理解して貰えましたね?」

 「あい、わかりまひた!」

 「よろしい」


 とりあえず売り物になるってのは、どうにか。

 だけど、ハンカチだ。防具や武器なら解るけど、ハンカチに金貨二枚ってどうなの。

 因みに金貨二枚は独り身なら1ヶ月余裕で暮らせる、筈。多分。私のポンコツ記憶が正しかったらだけど。

 それを素直に口にすると、ローランさんは苦い顔でうむと頷く


 「本来こう言うブーストがかかるような武器や防具や道具は、それ専用に作られた特殊な材料で、特殊なスキルを持った職人が誂えるんだ。だから材料の生育だの調達だの運搬だののコストや職人の育成費込みの人件費でべらぼうに高くなるんだよ。金貨二枚じゃとても買えん。だけどこれはハンカチだし、特殊な材料を使ってる訳でもないから、これくらいで手打ちにしてくれや」

 「いや、私は金貨二枚でも怖いくらい高いと思いますけど……。特殊な材料って言うと、魔力のこもった糸とか金属ですか?」

 「それだけではなくて、魔物の皮や骨、粘液なんかもそうですね。そういったものは冒険者に依頼して、魔物を倒すか採取してきて貰って調達するんです」

 「概ねそんな材料は危険を伴うから、やっぱり高いんだよ」

 「ははぁ……そうやって経済は回るんですねぇ……」


 そうやって経済が回るなかに、その辺りの何の変哲もない布と糸で作ったこれを放り込んだらどうなるだろう。

 いや、いっそ木綿のシャツか何か、鎧の下に着る物に刺繍をして売り出せば。

 しかし、と思い直すと、無意識の内にため息が零れた。


 「私一人のスキルに依存するものはよろしくない……」

 「おや、君のお小遣い稼ぎにはなるでしょう?」

 「はい、ありがとうございます。でもそれとは別口で産業が欲しいんです。家内産業じゃなくて、地域を活性化出来るような」


 菊乃井の家のみを思えば家内産業でも、別に困りはしないのだ。没落しない道を見つけたに過ぎないのだから。

 けれど、私がしたいことは識字率を上げる、もっと言えば広く領民に教育を受けてもらいたいのだ。

 そのためにはやっぱりお金が、それを産み出す産業が必要な訳で。

 つらつらとその辺りのことを話すと、ロマノフ先生は真剣な顔で頷いてくれた。


 「親が貧しいと、とてもじゃありませんがこどもに教育を受けさせる余裕はありませんしね」

 「それもありますが、そんな家ではこどもも立派な労働力なんじゃないでしょうか。例えば子守りに使って、両親は畑仕事とか、若しくは子守り変わりに仕事を手伝わせるとか」

 「なくはないなぁ」

 「それに、貧困と低学力は連鎖してしまうんです」


 貧しいと教育にかける費用が削減されてしまう。するとその家庭のこどもは教育を受ける機会を失して、結果読み書きの必要な職業には就けなくなる。

 読み書きの必要な職業は概ね高賃金が多いが、そこに勤められないとなれば、自然低所得にならざるを得ない。そうなると、その子世帯も矢張り教育費を削減する。負のスパイラルだ。


 「両親が働いてこどもを労働力とみなさなくて済むだけ稼げれば、そのこどもを学校に通わせる余裕が出来るんじゃないかと。そのためには、私一人が儲かっても仕方がない。領民全てが豊かになって貰わなければ」

 「そして領民全てに教育の機会を……ですか」

 「なんでまた、そんなことを……?」


 訳が解らない。

 ローランさんの顔には、疑問符が張り付いていた。


 「レグルスくんに勉強を教えてて思ったんですが、例えばレグルスくんが大人になって、ひとを使う立場に立つとして、レグルス君の部下になる人が読み書き出来ずに、あやまたずレグルスくんの指示が通るでしょうか?」

 「それは……」

 「無理でしょう?だからってレグルスくん一人では何も出来ない。仲間は必要です。もっと言えばレグルスくんにだけ優しい世界ではなく、レグルスくんの周りのひとにも優しい世界でなければ、レグルスくんだって生きにくいんです」


 絵本をちくちくしてて痛感したことだけど、こどもが一人健やかに育つのは本当に難しい。


 「例えば病気の危険を考えて、私は治すより罹らないことを優先してレグルスくんに教えます。でもそれだって、レグルスくんと一緒に遊んでるこどもが病気に罹れば貰ってくるでしょう。それではレグルスくんに予防法を教えても意味がない」

 「だから遊び相手のこどもたちにも予防法を教える。……つまり教育を施したい、と」

 「はい。だけどその親が罹ってしまえば、やっぱり蔓延するわけで。でも豊かであったなら医者にかかって、こどもに移す前に治すことだって可能ですよね」


 負の連鎖を何処かで食い止めて、明るい連鎖に持っていきたい。

 病気の予防法を教わった子供が大きくなって、我が子に同じように教える。それが孫の代ひ孫の代に続くような。

 話し過ぎたのか喉が乾く。

 ウエストポーチから水筒を出すと、コップを三つ借りて、持ってきたフランボワーズとハチミツ入りの炭酸水をそれぞれ注ぐ。

 口に含めば丁度良く溶けたフランボワーズとハチミツの入り交じった甘酸っぱさが、舌の上でシュワシュワと弾けた。


 「あのよ、坊や……、いや鳳蝶様よ」

 「はい。あ、様はいりませんよ。私はまだ爵位とか持ってませんし」

 「ああ、そうかい。いや、こっちの事情だから気にすんな。あのな、お前さんが凄い理想を持って領民の未来も考えてるのは良く解った。だが、なんでまたそんなことを考えるようになったんだ?そこんところを聞かせちゃくんねぇかい」

 「ああ、はい……どこから話せばいいでしょうね……」

 「ああ、でしたら私が説明しますね」


 ロマノフ先生が斯く斯く然々と、第三者目線でここ暫くで起こった菊乃井家のお家騒動をローランさんに語る。それに補足を入れながらも、概ねは黙っていると、不意に「それでか」とローランさんが天を仰いだ。

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