29.女騎士と女奴隷と通販
ある日。
ピンポーン。
「はーい」
インターホンが鳴ったので、俺は読んでいたジャンプを閉じて玄関に向かった。
のぞき穴から見てみると、大きめのダンボール箱を持った作業衣姿の男が一名。
よし、時間指定どおりだな。
靴入れの上に置いてあるシャチハタを取り、チェーンを外してドアを開放する。
「ちはーっす。お届けもんでーす。こちらにハンコおねがしゃーす」
「はいどーもお世話様っすー」
俺は礼を言って伝票に判を押し、そのダンボールを受け取った。ドアの幅に注意しつつ、よろめかないように慎重に家の中へと運んだ。そして玄関の床にそれを置いて一息ついていると、リビングからひょこっと誰かが顔を出してきた。
「ご主人様、どちら様でしたか……?」
少しくせっ毛のミディアムボブで、色白の肌を持つ二十歳くらいの女の子。
クローラ・クエリ。異世界の帝国「ワイヤード」から転生してきた女奴隷で、現俺の同居人である。基本的な家事を手伝ってくれる頼もしい存在だが、こういう来客対応は決まって俺だ。
その理由は彼女の服装に起因する。
裸エプロン。
その名の通り、素っ裸にエプロン一枚という格好。とある事情から彼女は家の中では常にこの出で立ちである。そんなやらしい格好を外部の人間に見せる訳にはいかない。
普通の服着させたげりゃーいいだけでしょ、というツッコミはどうか抑えてくれ。それを一番言いたいのは俺なんだから。
「って、なんですかその大きな箱!」
見るなり彼女はびっくり仰天。俺はその箱に張り付いたガムテープをベリベリ剥がしながら答える。
「宅配便だよ。荷物が届いたんだ」
「たく……はい……びん?」
言っても女奴隷は小首をかしげるだけであった。
あれ、おかしいな、異世界にも運搬のインフラは多少なりともあるという話だったはずだけど。
奴隷だったから、そういうものを利用する機会がなかったのかな。
「手紙のやり取りは知ってるだろ。今までも何回かあったし。それと同じだよ」
「……ああ、郵便のことですか。でも、この世界では手紙にしろ荷物にしろ、人が手でお運びになるのですよね?」
「ん、まぁな」
「手紙ならまだしも、こんな大きなものを人に運ばせるなんて……なんというか、非効率的ではないでしょうか」
非効率的? どういうことだろう。
「その、ワイヤードでは
「あー、そゆこと」
風のエレメント(異世界の魔法のようなもの)を使用して、ものを指定した場所まで自動で飛ばしてくれるワイヤード独自のインフラ。
俺も使っている様子を見たことはある。といっても、荷物にエネルギーを直接纏わせただけのものだったのだが。あとから聞いた話によると、それ以外にも専用の荷台に
それらは主に運搬物の重量及び目的地までの距離によって使い分けられていたようで。後者のタイプほどエレメントを激しく消費するが、重いものや複数の荷物を遠くまで届けられる。反対に簡素タイプは軽いお使い程度の運輸に使用されていたとか。
で、どうやらクローラさんはこの世界の宅配屋さんはそーゆーのに一切頼らずにやってるものと思っておいでのようだ。
「見た感じ随分重そうですし、どこから届けられたのかはわかりませんが、非常に大変だったのではないかと」
「確かに大変っちゃ大変だろうけど、お前が思っている大変さとはぜんぜん違うと思うぞ」
「? どういうことでしょう」
「別に最初から最後までこんなの抱えて持ってきてくれてるわけじゃないってことだよ」
「そうなのです? つまり、
「あぁ、お前もよーく知ってるもんを使ってな」
既知のものと言われ、しばらく頭の中の記憶を弄っていた彼女だが、やがて自信なさげに呟いた。
「もしかして、車……ですか?」
「正解。まさにそれだよ」
俺が言うと、ようやく合点がいったというようにクローラは手を軽く叩いた。
「よく考えてみれば、そうですよね。私、車というのは人を運ぶためのものだとばかり思ってたもので、そこまで考えが至りませんでした」
「ま、バスくらいしか乗ったことなかったからね。でも、街に出てみるといろんな形の車があっただろ。その中には荷物を運ぶために作られた車もあるんだよ」
「運搬のためだけに、ですか!?」
「トラック、っていうんだけど……なんかでっかい箱背負ってる……こんなの」
スマホを取り出して、適当なトラックの画像を検索して、彼女に見せてやる。
「ああ、たまに見たことはありますね。これが荷物運び用の車……人が乗るのは前の運転席だけ……と。なるほど、いろいろな形があったのは用途によって使い分けるためだったのですね。確かにこれを使えば、運搬には困らなそうです。それこそ
クローラは顎に手を当てて、興味深そうにそれを観察していく。
「ですがご主人様、誰もがそういう車をお持ちなわけではないのですよね?」
「そりゃそうだろ。俺だって持ってないし」
「今回は、このお荷物の送り主の方がそれを持っていたからいいものの、もしそれを所持していない方とのお取引の場合は、結局手で運ばなければならないということになるのでは?」
ん? んん? どゆこと? なんでそこで送り主の事情が絡んでくるの? 別に関係なくね?
一瞬言われたことの意味がわからなかったが、少し考えてみてもしやと思った。
「あの……もしかして、ワイヤードって運送会社みたいなものがなかったり?」
「運送会社? なんですかそれ」
あー、やっぱりか。今来た宅配の人も、きっとこの荷物の送り主だと思ってたんだろうな。
誰もが
「えっとね、運送会社っていうのはこういう荷物運びそのものを請け負ってくれる企業のことだよ」
「ただ荷物を運ぶことを生業に?」
そんなこと誰でもできそうなことなのに……というような表情をするクローラ。
異世界には存在しないインフラは多々あれど、これも無かったとはね。どう説明したものか。
「お前の言う通り、トラックみたいな車は誰もが持ってるわけじゃない。でも、この世界ではほぼ毎日、多くの人が荷物の運送を必要としているわけだ」
「それはわかりますけど。でも、運搬方法が限られていては……」
「んじゃ例えばさ、荷物をどうしても届けたいけど、肝心の風のエレメントを持ってない。そんな時ってどうする?」
「持っていない時……そうですね。そういった場面に対面したわけではありませんが、もし私だったら……誰かにエレメントを貸してもらう、とか?」
「うん、いい線いってる。つまり第三者に代行してもらうわけだよね」
「はい。普通に考えてそうするしかないかと……あ」
自分で言ってようやく気づいたらしい。運送会社というものの需要に。
「自分でトラックを運転して、送り先まで直接届けるよりも、有償で他の誰かに運んでもらった方が合理的だ。それを望む人が大勢いるということは、それを請け負う者にとっては立派なビジネスになる」
「なるほど、そういうことでしたか。それに、運送『会社』というからには、きっと規模もとてつもなく大きいのでしょうね」
「めちゃくちゃでかいぞ。それこそ、世界中のどこにでも届けてくれるくらいだからな」
「世界中のどこでも?」
そこでクローラは興味深そうに詳細を促してきた。
どこでも、という単語に反応するあたり、向こうの運搬に関する事情が大体掴めてきた。
「
「確かに、そう言う意味でも無理ではありますが……もう一つの理由でも、無理ですね」
「もう一つの理由?」
俺が聞き直すと、彼女は苦笑しながら回答を述べた。
「そもそもワイヤードでは、勝手に国境を超えて
「……それは検閲的な意味で?」
クローラは無言で頷いてその続きを語り始めた。
「他国と荷物や手紙のやり取りをする際には、必ず役所に届け人が直接持っていかなければなりません。そこで預けられた物は帝都にて厳しい審査を受け、許可が降りた場合にのみ、国外へ飛ばせるのです。しかもその際には本人ではなく、役人の方が代わりに送付を行うそうで」
厳しいようだが、正直それは仕方ない部分はある。国の内政情報とか外に漏らすわけにはいかねぇもんな。実際この世界だって、輸出入の際には色々チェックとか入ってるだろうし。
「といっても、ご主人様の言う通り非常に多くのエレメントを要しますし、そこまでなさる方はそうそういらっしゃらないようでした。よくて国絡みの貿易等がたまにあるくらいで」
「制限がきついと大変だな」
「そうでもないですよ。もともと外とは隔絶されているような環境ですので、他国と関わりのある人もそう多くはありませんでしたし。そのような制限があっても特別困るようなことはありませんでした」
「自分には関係ないから、か」
簡単に物を運ぶことができる技術を持ってはいるけど、その規模は限られている。と……。必然的に国内だけでのちょっとした使いっ走り程度にしか機能していない。だから庶民の持つエレメントでも十分に事足りるが故に、運送会社なんて大層なものも必要がない。
何度か思ってきたことだけど、かなり便利な文化を有しているのに、それを活かしきれてない部分が多いんだよなワイヤードって。
もしこれが現実世界にあったらどれだけ宅配文化における問題が解決するか。人員不足、不在と再送、交通遅延……。
「ところでところで、そのお荷物は一体何なのです?」
「ああ、これはね……」
閑話休題。
せがまれるようにクローラから訊かれた俺は、そのダンボールの側面に書かれている品名とイラストを彼女に見せてやった。
小さな風車のような形をした、夏の風物詩とも呼べるもの。それは……。
「せんぷうき……ですか?」
「そ。こないだ壊れちゃっただろ。だから新しいのを買ったんだ」
「買った? ですが、こういうものってお店に行って購入するものではないのですか? 今までもずっとそうしてきたはずですが……」
「まぁ本当はそうなんだけど、見ての通り扇風機ってでかいし重いじゃん? それにこの暑い中店から家まで運んでくるのはきっと大変だと思ってさ。ちょっとした裏技を使った」
「うらわざ?」
俺はニヤリと笑うと、スマホの液晶を高速フリックし、とあるアプリを呼び出す。
そこには扇風機を始め、エアコン、テレビ、PCなど数々の商品の写真が。下部にはそれぞれの値段が表示されている。さながら画面の中の商品陳列棚。
その小さな空間の中の濃密な品揃えを目にした途端に、女奴隷は目を丸くした。
「すごい……いろんなキカイが沢山……。これが裏技なのです?」
「そう。通信販売。略して通販」
「つーはん……どこかで聞いたような」
詳細については全く知らないだろうが、実際単語自体はこいつはとある事件で耳にしている。詳しくはレベル4の「女騎士と女奴隷とおつかい(後編)」を読んでくれ。
「簡単に説明すると、店に行かずに、このスマホで注文するだけで届くようなシステムだよ」
「そ、そのようなものがあるのですか!」
聞いた途端にクローラは目を大きく見開いた。
「ワイヤードにも注文して何かを届けてもらう、っていうのはあったんじゃない? それの延長みたいなものだよ」
「確かに、お店が食材などを仕入れる時にはよく農家の方や漁師の方に届けてもらっていたようですけど……それは、あくまで搬入量が多くて人の手で運ぶのは大変だからで……」
「俺らみたいな一般市民が使う意義を感じられない?」
言いにくそうにクローラは「はい」と弱々しく返事を返した。
当たり前のように使ってる俺らからすれば、何を今更って感じの質問だけど、いかんせん相手は異世界人。通販なんて概念がまったくないところから来たのであれば至極まっとうな質問。キチンと教えてやらねば。
「別にクローラは間違ってないよ。今回に限って言えば、業者みたいに重いものを大量に仕入れたわけでもない。普通に店に行って買ってもよかった話だった」
「……」
「でもそれは、俺らが普通に店に行くことができるから、なんだよ」
「? ど、どういう意味でしょうか」
「そのままの意味さ。俺達は毎日当たり前のように街に出て買い物してるけど、それが出来ない人もいる。近くに店がなかったり、あっても目当てのものを置いてなかったり」
「……あ」
クローラは奴隷ではあるが、ワイヤードの「帝都」という最も栄えていた都市で暮らしていた。各地方からの食材、木材、鋼材、ありとあらゆるものが集められており、工業も発展していたことも相まって物資の流通量には事欠かなかったという。
出店なんてちょっと外に出れば腐るほどあるし、持ち合わせさえあれば手に入らない物など無かった。
だが彼女が転生してきたこの世界はどうだ。
家を一歩出りゃ一面に広がる田畑、林、荒れ地。コンクリートジャングル? なにそれ美味しいの? みたいな。
バスで十数分揺られなきゃスーパーにも繁華街にもいけない。コンビニだって歩いて15分はかかる。きれいなクソ田舎だろ? 東京都内なんだぜ、ここ。
「立地の問題だけじゃない。時間の問題もある。近くに店があっても、仕事で忙しかったりすれば営業時間内に間に合わないってこともざらにある」
「お店に立ち寄れないほど忙しい人……」
「ちょっと極端だけどね。後は身体的事情だ。病気とか怪我とかしてて、自由に動けない人でも買い物はしなきゃいけない。そういうときに、これがあると便利だとは思わない?」
「言われてみれば……そうですね。そういえばコンバータも同じような理由で重宝されていましたし」
コンバータとは、ワイヤードに存在していたキカイで、一種の自販機のようなものだ。原材料と対価を支払えば、その場で食品、衣料、家具問わず、加工品に変えてくれるスグレモノ。ただ加工業者からの猛反発を食らって早いうちに廃れていったらしい。
「あれが導入される前は、郊外に住んでいる方々は今の私達と同じく買い物をするのに遠路はるばる帝都にまで来なければなりませんでした。たまに行商人の方もいらっしゃいますが、いかんせんそればかりを当てにするわけにもいかないので」
「でしょ。そう考えると、通販にも多少の意義を見出せたりしない?」
「そうですね。これがあるだけで、色々と解決するものも多いと思います」
「うん。問題の解決だけでなく、手間を省けるって意味でも大いに助かるしね」
「つーはん……私達の知らなかった新しい買い物の体系……」
そこまで説明したところで、突如異変が起きた。
「うひゃぁ!!」
という若い女性の悲鳴と。
ボヴォォォォ! という、まるで中華料理屋で鍋から炎柱が立ち上がる時のような音。
穏やかじゃないわね。一体何が起きたんだ?
慌てて廊下からリビングへダッシュで戻ると、そこから繋がるキッチンではとんでもない光景が広がっていた。
立ち込める煙と、焦げ臭い臭い。
俺は思わず鼻をつまみ、事件の犯人の尋問に入った。
「何やってんだよリファ」
「あ、マスター。これはだな……」
そこに立っていた今の悲鳴の主である人物は、こちらに気づくと苦笑した。
彼女はこの家のもうひとりの同居人、リファレンス。クローラと同じワイヤードに住んでいた女騎士だ。
馬に乗って戦場をまっしぐら。迫りくる敵をなぎ倒して数々の武勲を上げた兵長さん。そんな彼女もとある不運に巻き込まれて死んでしまい、この日本に転生。俺の同居人として、今を生きておいでなのである。
騎士とは言えど、この世界は平和そのもの。戦いなどあるはずもなく、かつての本業の腕を発揮する機会などこれっぽっちもない。そんなまったりとしたスローライフを送る彼女の仕事は何か。
もっぱら、料理である。
戦場では時たま炊事係の役も担っていた経験もあることから、彼女の料理の出来はなかなかのものだ。
最初のうちは、調理器具や機械の学習に手間取っていたものの、今ではすっかり使いこなせている。
で、今は本日の昼食の仕込みをやっていたはずの彼女だったが……何かやらかしてしまったようだ。その「やらかした何か」があるであろう調理台を背に隠して、リファは取り繕うように釈明を始める。
「あ、あのな……今日は鶏肉と生野菜のサンドイッチを作ろうと思ってな」
「うん」
「今レタスやトマトなどの野菜を切り終えて、今度は肉を捌こうとしてたところでな」
「うん」
「で、この後はそれをフランパンで焼くわけだが、そこまでには多少時間がかかる。この後もパンを切って焼いて、そこに具材を一つずつ挟んでという行程がある。これにもそこそこ時間を要するだろう」
「うん」
「調理時間が長引けば長引くほど、食べ物の鮮度というのは失われていくものだ。切った野菜はしなびていくし、肉も傷んでいく。そこで思った。マスターには出来たてを食べてもらいたいゆえ、調理時間は最小限に留めておくのが望ましいとな」
「うん」
「で、そのためにどこか省いたり短縮したりできる箇所はないか考えていたらな、いちいち肉を切って焼いてというところがどうもまどろっこしいなと感じてな。どうにかしてそこをショートカットする方法を模索していたのだ」
「うん」
「まぁ私は戦場で多数の作戦や戦術を練り、成功を収めてきたてぇんさいだから? この程度の解決法を考えつくのにさほど時間はかからなかったわけでな?」
「うん?」
「聞きたいか?」
聞きたいも何も、キミはたった今何をやらかしたのかボクに問い詰められているということを自覚しようね。
「その方法とは――! ずばり、切りながら焼けばいいのだ」
「……はい?」
「フフーフ、これを見よマスター」
と自慢げに言って彼女が目の前に差し出したのは――。
燃え盛る炎の短剣。
といえば妙にかっこいいし少年心が踊りだすようなニュアンスだが、実際に見て思うのは「なんじゃこれ」だ。だってその短剣とは、俺の家の包丁だったのだから。
異世界の住民が扱う魔法「エレメント」を無機物に纏わせる技術だ。基本的に剣などの武器に用いられ、戦いでは様々な属性を扱った得物が猛威を奮ったという。
「この燃える包丁を使うことで、具材を切るだけで焼ける。つまり一石二鳥というわけだ。どうだ、名案だと思わないか!?」
ああ、迷案だな。
と言おうとしたが、字にしなきゃ皮肉が伝わんないから黙っておく。
こいつにそれで焼けるの断面だけやんとか、添えるだけの左手も一緒に燃えるやんとか、教えたところで通じるとは思えない。てぇんさいはいつだって自分の考えることが正しいと信じてやがるもんだ。
バカと天才は紙一重ってまさにその通りだなと思っているが、その言葉を考えついたヤツは果たしてバカなのか天才なのか。
それはそれとして。
包丁、火のエレメント、鶏肉……。全部組み合わせればめっちゃ料理時間を短縮できる……はずだった。
だけどリファレンス博士は間違って余計なものも焼いちゃった! それは……。
ま な 板。
享年二年(大体)。見るも無残な焼死体となったそいつを見て、俺もクローラも唖然とする。
真ん中の部分は丸焦げでそこからほぼ真っ二つに割れている。おそらくここに包丁の火の刃が入り、炭化してもろくなったんだろう。幸い水回りだったからすぐに消火できたものの、もう使い物にならないのは明白だった。
「すまぬ、マスター……良かれと思ってやったのだが、裏目に出てしまった」
さすがに本人もやりすぎたと思ったのか、とうとう申し訳なさそうに頭を下げた。
こちらとしても、大事には至らなかっただけマシかという思いだった。だってこういうヘマはもう何回と対処してきたんだもの。今更これくらいのレベルじゃ沸点の半分にも達しねーっつーの。
問題はこのあとだ。
まな板というのは料理に於いて地味に無くては困るもの。これがないと物を切ることはできない。まさか調理台やちゃぶ台に直に具材を置くわけにもいかないし、困ったな。
「リファ、他に何か切る予定だったものは無いか?」
「え? 一応まだ捌いてない鶏肉だけだが……」
「じゃあ残りは手で千切って焼けばいい。俺とクローラはこのまな板の処理だ」
そう言って、俺はまな板の遺体を持ち上げて指示した。
まな板って資源ごみだっけ? 燃えるゴミ、じゃないよな。むしろ燃えたゴミだよな……。
「しかしご主人様。代わりのまな板はどうします? 昼食はなんとかなるかもしれませんが、夕食までは新しいものを買っておかないと」
わかってる。でも、今日の天気予報によればこの夏一番の猛暑日とかなんとか……。
ふと窓の外を見やると、照らす太陽に、陽炎に歪む景色、聞こえてくる蝉の鳴き声、見てるだけでドッと汗が吹き出しそうな光景。
うーわ行きたくねぇー。こんな中、ただまな板一枚のためにあの遠いホームセンターまで遠征せにゃならんとか苦行かよ。
どうしよ。もういっそのことこの二人の胸をまな板にしようぜまな板に……って、いやいやいやいや何を考えてんだ俺は。暑さで頭が鉄腕DASH村になりかけてんのか?
邪な思いを振り払おうとするも、俺はさり気なく彼女らのバストをちら見。
どっちも……それなりにある。少なくとも72以上はある。
それぞれ着用していたワンピとエプロンをぐっと盛り上げるような小山……。薄着の季節ゆえに、そのエロいラインはくっきりはっきりとわかる。巨乳と言うほどではないが……すごく柔らかそうで、一度意識したら目を奪われそうなほどの魅力を有していることは確かだ。
代用は……無理か!(当たり前)
「わ、私が行ってこよう。今回はすべて私の軽率な行動が原因だ。それくらいの償いはさせてくれ」
「いいよ。お前一人だけでお使いにやらせるなんて、そんな危険な真似はさせられない」
「マスター……そんなに私のことを気にかけてくれるなんて……」
そりゃぁキミを一人で外に放り出したら、迷子になるか道草喰うかのどっちかになって、結局ボクが探しに行かなくちゃならなくなって実質二度手間になっちゃうからね。しょうがないね。
どうするかなー、明日は曇りで気温下がるって言うし、今夜はピザでも取って買い物は明日に回すかなぁー。
などと考えていると、突然俺の頭にも名案が舞い降りた。
「そっか、こんな時こそ通販だ!」
「は?」
頭上にはてなを浮かべる女騎士を無視して、俺はスマホの電源を入れ、先程の通販アプリを起動。そして検索欄にまな板と入力して、ラインナップを表示。
出るわ出るわ、大小様々なまな板の数々。高級なものから100均に売ってそうなやつまでよりどりみどりだ。
「マスター、これは?」
怪訝そうに覗き込んできたリファに、俺はまな板を見繕いながらクローラにした時と同じように説明してやった。
「なんと、スマホにはそんな能力も備わっているのか! さすが異世界……まさか店に行くまでもなく物が手に入るとは……」
説明を終えるなり、リファはクローラ以上に目を輝かせ興奮した様子を見せた。
「まったく、そんなものがあるなら早く言ってくれマスター。危うく罪悪感を感じるところだったぞ」
いや感じろよ。なに水に流そうとしてんだよ。お前の罪はこのまな板の焦げのようにこびりついて取れることは未来永劫ないんだよ。
「えっと、お急ぎ便なら今日中に届くかな……。お、これは……?」
俺はお手頃な価格の無難な白いプラスチック製のやつの詳細を開く。午前中に頼めば夕方には届くそうだ。ラッキー、ならこれにしよう。
ポチッとな。
「よしこれで完了。あとは届くのを待つだけだな」
「「え?」」
脇でどんなふうに注文を行うのか、今か今かと楽しそうに眺めていた二人は拍子抜けしたように同時に言った。
「た、たったそれだけか!? 十秒もかからなかったように思えるのだが!」
「これだけだよ。欲しい品を選んだらワンクリックで取引成立。この手軽さも通販の魅力の一つさ」
「い、いくらなんでも手順が簡素すぎやしないか……これで物が届くと言われても正直信じがたいというか……」
「ワイヤードでは、注文書を送ったり、仕入れ額を確認したりと、色々手順があるのに……そういうことはなさらないのですか?」
「それも含めて全部今やっちゃった」
「えぇ……」
まぁ気持ちはわかる。まるで召使いに「あれ持ってきてー」と言ってるようなものだもんな。だがこれだけで本当に届くってんだから、かがくのちからってすげー。
「百聞は一見にしかず。ひとまず届くのを待ってみようぜ。そうすりゃ納得するだろうしさ」
「いや、でもそんな一朝一夕には無理では……」
「恐れながらクローラもそう思います。出荷の準備をするにも色々準備や手続きがあるでしょうし、やはり直接店に出向いて買ったほうが確実……」
○
数時間後
ピンポーン。
「ちはーっす。お届けもんでーす」
「ほれ来たぞ」
「「早っっ!?」」
昼飯を済ませ、まな板の死骸を処分し、新しい扇風機の前でかわりばんこに宇宙人ごっこをやっている間に、到着せし我が注文の品。
判を押して、荷物を受け取り、ダンボールを開封してみると。
ピッカピカツヤツヤの新品まな板がそこに収まっていた。
「ほーらな」
「ほ、ホントに先程注文した品が……」
「し、信じられん……こんなことありえない……」
それがありえるかも。
「とにかくこれでわかったろ? 通販の力ってやつをさ」
「……」
「……」
今まで見た文化の中でもダントツで衝撃を受けたらしい。二人でまな板を眺めながら黙りこくってしまう。
「通販……なんというか、便利すぎて逆に怖くなってくるな」
「です……。こんな強大な力をいとも簡単に操るなんて。後で何か大きな代償を払わねばならないなんてことないですよね……?」
世の中にうまい話はないという精神。すばらしい。
異世界人からしたらこれ以上なくできすぎたシステムだもんな。疑ってかかるのもむべなるかな。
「なぁマスター、教えてくれ。通販にも、普通の買い物と比べて良し悪しな点はあるのではないのか?」
「ですです! こんなものが何のデメリット無しに使えるのなら、きっと誰しもこれに頼って店での買い物などしなくなると思います!」
詰め寄るように訊いてくる異世界コンビ。俺はたじろぎながら二人をどうどうとなだめる。
「もちろんあることにはあるよ。それに、これだけに頼って生活できるかっつーとそうでもないし」
俺は新しいまな板を台所に持っていきながら解説を始めた。
「まず通販で頼むと、商品の代金に加えて運送料がかかる。これは当たり前だよな。運送会社も善意で届けてくれるわけじゃないから。だから近場で調達できるにもかかわらず、通販で買うと実質損をすることになる」
「そ、そうだな」
「あとは配達時間だな。今回は当日中に届いたけど、全部が全部そうなわけじゃない。大抵は翌日に、土日は休みな所も多いから……下手すりゃ三、四日かかるなんてこともある」
「それでも数日で届くのですね……ワイヤードではその数倍かかっても早いほうなのに」
「まぁだから、『今すぐ揃える必要がある』ものを注文するには本当はあまり適さないんだ。それこそ店に直接出向いた方がいい」
「なるほど」
「あと、通販は家に居ながらにして物が手に入るわけだけど。逆に言えば『家にいなければならない』っていうのはわかる?」
「まぁ、でないと受け取れないわけだしな。……そうか、実質拘束されているのと同じなわけか」
「ある程度『この日のこのくらいの時間に届きますよ』みたいなことはわかるけど、もし荷物が届いた時に家にいない場合、再送やら何やらで色々面倒なことになる。こういうところも注意して注文しないとダメなわけ」
ふむふむ、とリファもクローラも真摯に清聴している。
そろそろここで、話を振ってみようか。
「他にも色々あるけど……二人は何か思いついたこととかある?」
「え? 私達がか?」
急に問われた彼女らは、お互いに目を合わせた後、腕を組んで考え始めた。
どっちが先に意見を出すかな、なんて考えていると意外にも二人同時に、全く同じことを口にした。
「「品定めが出来ない」」
おっ、いい意見が出たな。
品定め。要するに実物を見て手に取り、どういうものか判別することが出来ないということ。
この通販サイトも、購入のために判断する材料は商品紹介文とその写真のみ。あとは口コミやレビューがありはするが、あくまで参考程度にしかならない。
実際に届いて、思ってたのと違う! なんて失敗はよく聞く話だ。
「返品もできるけど、払った分の運送料は返ってこない。それに送り返す分も負担しなきゃならないから、かなりの損になる」
「なるほど、リスクはかなり大きいな」
「ただ、通販はネットの世界。国中のありとあらゆる物を取り寄せられる。それに、豊富なのは価格面でも同じだ。近場の店で同じものを売っていても、それより安く買える可能性だってある」
「そ、そうなのか!」
「ああ。通販サイトっていうのはそこ自体が物を売ってるわけじゃないんだ。数々のお店がそのサイトに商品を登録してて、俺達が検索すればサイト側が『この店ではこの商品をこの価格で売ってますよー』って紹介してくれるっていう仕組みなんだよ」
「なるほど……とすると、非常に見極めが重要ですね。どうすれば手に入るのが早くなるのか遅くなるのか、はたまた高くなるのか安くなるのか」
クローラの考察に俺はその通り、と肯定した。
「店で買おうが通販で買おうが、とにかく考えることが重要ってこと。自分が今置かれている状況、財布の中身、近所の店の品揃えと価格……それらすべてを吟味した上で決めることが肝要なわけ」
「非常に便利かと思いましたけど、意外と技量が必要なもののようですね」
「でも慣れれば本当に助かるもんだよ。現に今日だって、こんなクソ暑い中出歩かずに手に入っただろ?」
「うむ。私達が使いこなすには難易度は高そうだが、これもこの世界の文化だ。とくれば、私達が学ばなければならないものの一つということになる。今後とも積極的に活用していくべきだな。そうだろうクローラ?」
一通りの説明を聞いたリファは、意気揚々とクローラに同意を求める。反対に女奴隷の方は、あまり乗り気ではなさそう。
「私は別に、どうしてもという場合でなければ特に使う必要もないかなと思います」
「な、なぜだ? 家にいたまま、店で買うよりも安く済ませられるかもしれない素晴らしいシステムではないか」
「それはそうですけど……もしこういうのに慣れてこればかりに使うようになってしまったら……」
「しまったら?」
リファが続きを促すと、クローラは少し頬を紅潮させ、うつむき気味に人差し指を突き合わせながらぼそっと言った。
「ご主人様と……お買い物に行く機会が減っちゃいます」
……oh。
「便利なのもいいとは思うのですが……クローラは……今まで通りみんなで一緒に買い物をする方が……その、楽しいかなって」
「……」
「はっ!? も、申し訳ございません! 奴隷の分際で勝手な理屈を……」
すぐにクローラはすばやく土下座。リファは特別それを咎めることはしなかった。
というか、彼女も若干顔が赤くなっていた。そして人差し指で頬を軽く掻きながら。
「あ、いや……それも一理あるな」
「リファさん……」
「私も……マスターとの買い物の時間が減るのがイヤじゃないかといえば、そうでもないからな」
お前ら……粋なこと言いやがって。可愛いなもう。
「心配すんなよ。さっきも言ったけど、通販は使いどきの見極めが重要なんだ。そんな目に見えて買い物行くことが少なくなるなんてことはないよ。それに――」
俺は二人の頭にそっと手を置いて優しく言った。
「買い物じゃなくても、二人と一緒に出かけることなんていくらでもできるだろ」
「え?」
「まぁデートってわけじゃないけど、行きたいところがあれば連れてくからさ。遠慮なく言ってよ」
「「で、でででででデートぉ!?」」
ぼんっ! と女騎士と女奴隷の頭が小さく爆発した。
「わ、わわわわわ私はそんな……デートだなんて恐れ多すぎます! そういう意味で言ったわけでは決してなくて……ああでもそれがイヤというわけでもなくて……」
「い、いいいいいきなり何を言うかこのマスターは! 私は誇り高き騎士で、そんな貴族の紳士淑女がするような行為など私には似つかわしくないというか……もう少し相手を選ぶべきだと思うのだが! あ、いや、違……他の女とやれというんじゃなくて……むしろそれはもっとイヤだから……その……」
ものすごく早口かつ小声で何か言い出す二人。ごめん、俺聖徳太子じゃないから何言ってっか聞き取れねーわ。わかるのはその様子がとてつもなく可愛いってことだけだわ。
「まぁ、何かあったときのために必要にはなってくるとは思うから。一応知っておいて損はないよ。これ、実はお前らのスマホとPCでも見られるから」
「え? そうなのか!?」
「うん。ただしできるのは商品の閲覧までな。実際に注文するのは俺しかできない。もし買いたい商品があったら、それ見せてくれれば俺の方で注文しとくよ」
「はぁ……」
ということで、それからしばらく通販サイトについての勉強タイムに入った。
検索のやり方やお気に入りの登録、レビューなどなど。色々な機能の学習に二人は真面目に取り組んでいた。
そんな彼女達を横目で眺めながら、果たして彼女らはこの全く新しい買い物にどんなふうに向き合っていくのかと、思いを馳せるのであった。
○
後日。
「じゃあバイト行ってくるねー」
「おお、いってらっしゃいなのだマスター。とっておきの夕食を用意して待っているぞ」
「行ってらっしゃいませご主人様。掃除や洗濯はこのクローラめにおまかせくださいませ」
バタン。
……。
…………。
……………………。
「あらら」
「? どうしたクローラ」
「いえ、掃除をしようと思ったのですが、この『コロコロ』とやらの残りがなくなってしまったみたいで」
「そうか。私も包丁の切れ味が鈍ってきたようだったから砥石のようなものが欲しいと思ってたところなんだ」
「そうなのですか。困りましたね、これでは掃除ができません」
「私もこのままでは料理に支障が出てしまうしな……。だが勝手に抜け出して外出するのはマスターから禁じられているし……。出たとしてもどこに行けば買えるかもわからんし。……む、そうか! あの手があったか」
「どうしたんですかリファさん?」
「通販だクローラ。こんな今こそあれを活用すべき時だろうに」
「はぁ……」
「私達がまず欲しい商品をサイトで調べて、それをマスターに知らせる。そのまま彼に注文をしてもらう、と……これなら万事解決ではないか!」
「お言葉ですが、リファさん……それはまずいのでは?」
「なんだ、お前も通販はどうしてもという時は使うべきと言っておったではないか。今がその時だろう」
「ですが……それって結局お仕事中のご主人様のお手を煩わせることになるのではないでしょうか」
「う……それもそうか」
「せっかく頑張っていらっしゃる時に、私達の事情で邪魔をするなど、あってはならないことだと思います」
「しかし、このままでは私達の仕事が遂行できんのも確かだぞ。疲れて帰ってくるマスターに手料理を振る舞えないのは、私としても心苦しいし」
「それはそう、ですけど……でも不思議ですね。どうして私達も同じサイトを見られるのに、注文できるのはご主人様だけなのでしょう? 最初に見た時には注文のボタンを押すだけだったのに、それがあの方にしかできないというのは、些か腑に落ちないというか……」
「それは当然金だろう」
「え?」
「わからないのか? これもれっきとした買い物の一種で、そこには金の動きがある。払うべき対価を持ってない私達が勝手にものなど買えるわけがないだろう。お使いじゃあるまいし」
「ですが……そのお金の支払はどうやっているのでしょう? ボタンを押して、荷物が届く。この流れの中のどこにも、お店で見るような『お金を渡す』の部分が見当たらないのですよ」
「そんなこと私の知ったことか。この通販システムの全貌を私達はまだ理解していない。きっと目に見えないどこかで、ひっそり行われているのだろう」
「そういうものですか?」
「そういうものだ。さて、こうなったらひとまず家の中を探してみるか。もしかしたら砥石もコロコロの替えも見つかるかもしれん」
「そ、そうですね。私も手伝います」
……。
…………。
……………………。
「……あ」
「お、見つかったか。 砥石か? コロコロか?」
「いえ、どちらでもないのですが……」
「なんだ違うのか、じゃあ何を見つけたというのだ?」
「これ……」
「どれどれ、なんだこれは……見た感じただの小さくて固い紙のようだが……」
「何か表面に書いてありますね。えーっと……」
「「くれじっと・かーど?」」
次回:女騎士と女奴隷と自己破産(嘘)
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