25.女騎士と女奴隷と海⑤

 光陰矢の如しとはよく言ったものである。

 楽しい時間はあっという間に過ぎ、既に日も傾いて夜になろうとしていた。

 茜色から群青色に変わりつつある空の下、片付けを終えて俺たちは駐車場に戻っていた。


「いやー、楽しかったっすねーセンパイ」

「ああ、久しぶりに夏休みっぽいことができたよ。ありがとうございます箱根さん」

「もう君らの感謝の言葉には一円の価値もない」


 塩水の件がよほど気に障ったのか、終始不機嫌なままである。


「んもー、いつまで塩水のこと引きずってんですか。あの後ちゃんとノンアルコールビール頼んであげたでしょ」

「ああそうだねー! もっと言えば、そのあと食べ足りないからってラーメン焼きそばたこ焼き注文しまくった挙げ句に、支払いを全部僕に押し付けてくれたんだよねー!?」


 おっ、不機嫌な理由そっちか。


「まったく、君らの親には同情するよ。こんな不孝者を子に持って……はぁーあ」


 そうぶつくさ言いながら荷物を荷台に押し込んでいく箱根さん。これを積み終えればあとはもう帰るだけだ。


「あれ、センパイ。リファっちとクロちゃんは?」

「ん? さっきトイレ行くって言ってたじゃん」

「それもう十分以上前の話ですよね。いくらなんでも遅すぎません? もう人も少なくなってるから、混んでるとは思えませんし」

「言われてみればそうだな」


 女のトイレに費やす時間が平均どれくらいなのかは知らんが、渚が言うならそうなんだろう。


「よし、荷物はコレで全部か。ほらみんな、帰るから乗ってー!」

「店長! リファっちとクロちゃんが! トイレに行ったまま帰ってきません!」

「うるさぁい! 並べ! 団体行動を乱すな! 男女男男女女男女男女で交互に並べぇ!」


 交互じゃねぇし、この場に男女二人しかいねぇよ。


「スマホには電話かけたの?」

「あたしにバッグ預けて行っちゃったんですよ。そこにスマホもあったので連絡つかなくて……」

「ったく世話のやける……しょうがない。僕が探してくるよ」

「あ、俺も探しますよ。二人探すなら捜索者も二人いたほうがいいでしょ」

「じゃああたしはここで車見張ってますね。もしこっちに帰ってきたらLINE飛ばしますんで」


 というわけで、どこかで道草食ってるであろう異世界人達を探すことになった。



 ○ 


 海水浴場にあるトイレを手当たり次第あたってみたが、列はできていないし、しばらく待っても出てくる気配はない。


「やっぱどこかで寄り道してんでしょうね」

「かもね。ここからは手分けして探そう」

「了解です」


 そこで箱根さんとは一旦別行動へ。

 海の家や更衣室などの施設は順次閉鎖されていき、いる場所もだいぶ絞られてくる。

 となるとあとは……。

 俺は足を早めて海岸を進んでいった。


 やがて日が完全に沈み、群青色が闇夜へと変貌していく頃。

 ようやく俺は失踪者の片割れを発見した。


「ようリファ」


 女騎士は、砂浜に体育座りをして、穏やかに波打つ海を眺めていた。


「あ、マスター」


 呼ばれて俺に気がついた彼女は、慌てて立ち上がった。

 既に水着からいつもの猫耳パーカーに着替えており、履いていたスカートに付いた砂を叩いて落とした。


「お花摘みは済んだか?」

「え? あ、ああ」

「そっか。じゃあ戻ろうぜ。みんな心配してるぞ」

「む。そうだな。すまない……ちょっと思うところがあって」

「思うところ?」


 俺が尋ねると、リファは後ろ手に手を組んでまた水平線の方へと目を向けた。


「今日色んな事があったこの海を……もっと記憶に留めておきたかったんだ」

「……そっか」

「楽しかった」


 突然彼女の口から出たその言葉に、俺は少し驚いた。

 楽しかった、だって? たしかにそう言ったよな?

 なんだろう……あまりにも、らしくない感想。

 そう思ったのが顔に出たのか、女騎士はこちらの表情をチラと横目で見ると微笑した。


「意外か? 私がこんなこと言うの」

「……一瞬な」


 確かにこいつが今日一日、皆とキャイキャイ一緒に騒ぎまくってたのは事実。でもそれはただ無意識に、その場の空気に流されてただけなのかと思ってた。

 だって派手な水着着させられたり、俺の恋人役やらされたり……。絶対気乗りしないだろうなってことばかりだったから。まぁだいたい渚に焚き付けられたからだけど。

 ということを伝えると、彼女は小さく吹き出した。 


「それはないぞマスター」

「え?」

「嫌だったら、ちゃんと断ってる」


 靴を脱いで裸足になると、リファは波打ち際へと歩を進めた。

 寄せては返す紺碧の海水が、彼女の足をくるぶしの高さまで呑み込んでいく。

 嫌だったら断ってる、って……じゃあ満更でもなかったってことか?


「掟だからな」


 海中に揺らぐ自分の足を見つめながら短く彼女は言った。


「『誰かに流されてはいけない。確固たる自分の意志を持ち、それだけは絶対に忘れるな』このワイヤードの掟は、いつだって守ってるつもりだ」

「もうワイヤード人じゃないのに、か?」

「ああ」


 片足を上げると、飛沫がはねてキラキラと光り、幻想的な光景を映し出す。

 それに自らも魅せられているというように、リファはうっとりとしながら語り続ける。


「これは人生の指針みたいなものだから。この掟があったから……私はここまで生きてこれたんだ」

「……」

「もしこの言葉がなかったら、きっと私は今頃……」


 一瞬彼女の顔が曇りがかったが、すぐにまた笑顔に戻った。


「とにかく、ここで今日一日遊んだのは私自身の意志だ。私が心から楽しいって思えたから、今こうしてここにいる。それだけははっきり言えるぞ」

「そっか……」

「まぁ、戦いが全ての人生を送ってきてたはずなのに、ここまで遊びを楽しめるような人間になってたことには、少なからず自分でも驚いてるけれどな」

「……」

「今日だけじゃない。この世界に転生してきてから体験した色んな新しい文化や技術……学んでいくのはいつもワクワクする。毎日が楽しみで仕方がないくらいに。明日はどんなものに出会えるんだろうって」


 その気持ちを体現するように、リファはその場でくるくると踊った。周囲が暗くてもなお輝く金髪が風にたなびき、ワンピースのスカートがふわりふわりと舞う。


「だから今日、ここに来れて、本当に良かった」

「……そうかい」


 まんざらでもなかったってわけか。

 それならいいや。冷酷な軍人としてではなく、ちゃんとこの現代に生きる人並みの感性を持て始めたってことなんだから。

 俺はその事実に少なからずホッとして、胸を撫で下ろした。

 そして、一人でキャッキャと子供みたいにはしゃぐ彼女に向かって軽く言った。


「じゃ、あの時のアレも結構乗り気だったってわけだな」

「はぅっ!!」


 突然ぼんっ、とリファの頭頂部が小爆発を起こすと、踊りが緊急停止した。

 「アレ」が何なのかはわざわざ明言するまでもない。きっと彼女もわかっているはずだ。

 しっかし、クローラならまだしもリファがああいう行動に出るとは正直驚いたよ。


「や、あれは……あくまで恋人のフリのための演技だったのだ! ほ、本気にするな!」

「え? あ、うん。まぁほっぺただったからな」

「あ、当たり前だろう! 口になんかしたら……それこそ……赤ちゃんが……ゴニョニョ」

「はい?」

「あ、でも、欲しくないわけじゃなくてむしろ欲しいというか……でも、それでマスターの警備隊が務まらなくなったらアレだし……」

「……あのー」

「だ、だけどその場合……寿退職なんてこともなくはないのかな……? ということは警備隊から……その、奥さんにジョブチェンジ……? はぅっ!」


 両手で顔を抑えながらなんか聞き取りにくい声で言ってる。こういう一面も、この世界で得た人間性のひとつなのかな?


「……っ! ああもう! 変なこと言うから頭が混乱したではないかこのバカマスターッ!」


 バシャァ! と足を蹴り上げて水をぶっかけられた。

 どうやらお怒りに触れてしまったらしい。ちょっといじりすぎたようだ。


「悪かったよ。それより、いい加減戻ろうぜ。みんな待ってる」

「……ん」


 ムスッとした顔でいつつも、リファは陸に上がってハンカチで足を拭き、靴を履いた。

 では出発しようかと駐車場まで彼女を案内しようとした。


 だがその直前で、ふと違和感に気づいて俺は足を止めた。


「リファ? お前……」

「ん? どうしたのだマスター?」


 そう言ってゆっくりと、リファの右の上腕二頭筋あたりを指さした。



「その傷……」



 パーカーの袖から覗く彼女の白い肌。

 そこに、くっきりと太い傷痕のようなものが見えていた。

 まるで、大きな刃物で切り裂かれたような、焼けた棒を押し付けられたような……痛々しい傷。

 彼女は、言われた箇所を見ると、なぜか小首を傾げた。


「ん? あれ? こんな傷、あっただろうか」

「覚えてないのか?」

「ああ。はて……一体いつ負ったのやら」


 どうやらリファ自身も記憶していなかったらしい。確かに彼女のその位置に今まで傷はなかったはず。

 あんな目立つ位置にこんな目立つようなモノができてれば、見逃すはずがない。でも、傷の状態はできてから相当時間が経っているのは間違いなさそうだ。


「まぁ騎士をやっていれば怪我をすることなど日常茶飯事だ。きっと気づかぬうちに負傷したんだろう」

「……」


 彼女は特に怪しむこともなく、明るくそう言う。

 本当に気づかなかっただけか。例えそうだとしても、何だろう……この言いようのない不安感。

 なんだか、嫌な予感を感じずにはいられない。ただの古傷のはずなのに。


「どうしたマスター。私は平気だ。騎士の傷はワイヤードに於いてはむしろ誇り……。そんなに慌てることはないぞ」

「でも……」

「いいのだ」


 言いかけた俺を遮るように、彼女は若干強めに言った。

 戸惑うしかないこちらを見て、リファは微笑んだ。

 だがその笑顔は、お世辞にも嬉しさや楽しさから来ているものではない。

 そこにあるのは、卑下、悲観、失望……そんな負の感情。

 それで作り上げた笑顔という仮面を被って、女騎士ははっきりとこう言った。



「私は、元からキズモノだから」



 ずきり。

 と、俺の中で小さな痛みが走った。

 なんでだろう。覚えのないはずなのに……こいつの過去なんて知らないことだらけなのに。

 まるで……自分がそうであるみたいに……悲しくて、苦しい。

 共感、投影……よくわからないけど……。感情移入してしまっていることは確かだった。

 だからこそ、その傷のことを気にせずにはいられなかったのかもしれない。

 俺は気がかりなままであったが、所詮は俺の独りよがりだ。リファの言う通りこれ以上は深く掘り下げないでおくことにしよう。

 騎士である以上に、彼女は一人の女の子でもある。自分にできた傷のことなど、話題にしてほしくないに決まってるだろう。彼女自身も、きっと少なからず気にしているはずだから。


 

「わかった。でもこっちの世界でも怪我をしないとは限らないからな。くれぐれも注意しろよ」

「うむ。忠告感謝するぞマスター」

「ん。じゃあ帰るか」

「ああ」


 そう言って、俺が踵を返した時である。




「……私の手を握ってくれますか?」




 背後から、そんな声がした。

 反射的に振り返ると、そこには自らの口を抑えて呆然と立ち尽くす女騎士の姿があった。

 今のセリフ……リファが言ったのか? 

 いや、ここには俺の他にリファしかいないし、声ももちろん本人だったから当たり前だけど。

 でも……口調は間違いなく彼女のものではなかった。

 それを本人も自覚していてのこの反応なのだろう。


「あれ……私……今、なんで……」

「リファ……」

「わからない……気がついたら……勝手に口が……」

「……」

「おかしいな……どうしてあんなことを……」


 リファは本気で訳がわからないといったように、目を泳がせながらしどろもどろになる。

 無意識、で済ませるにしては不可解な現象だ。本人も本当に意図していなかったようだし。

 さっきの傷といい、今のリファはちょっと様子がおかしくないだろうか。

 一体彼女に何があったのか。

 俺にはわからない。そしてリファ自身にもわからない。

 じゃあ……今しがた放った言葉の真意は?

 それも当然。わからない。

 だからこそ。わからないからこそ。

 俺はそっと彼女に手を伸ばして、言った。言うしかなかった。


「俺でよければ」


 はっ、と女騎士は顔を俺の方に戻した。

 目を見開いて、口を半開きにしている。

 別に変なことを言ったつもりはないが、何か思い当たる節でもあるのだろうか。


「あ……《《あなたは》》……」 

「え?」

「な、なんでもないっ!」


 頭をブンブンと振り、砂浜に置いていた100均ソードを持ち上げると、スタスタと俺を追い越してしまった。


「私は腐っても元騎士だ。そんな他人に手を引いてもらうほど落ちぶれてはいない!」

「はぁ……」

「それに、警備の対象であるマスターになど……なおさらできぬ。逆に、私がマスターの手を引くほうが理に適ってるではないか」

「引いてくれるの?」

「ふぇ?」


 俺が再び彼女に手を伸ばしてそう言うと、女騎士は間抜けな声を上げてこっちを振り返った。

 そして俺の手をマジマジと見つめると、ますます顔を赤くした。


「お、男のくせに甘ったれるな! それでも我がマスターか!」

「はぁ? なんだよ自分から振っておいて」

「うるさいこのバカマスター!」


 べー、と舌を出すとリファはそれ以上何も言わずに走って行ってしまった。

 小さくなる彼女の背中を眺めながら、俺はやれやれとため息を吐く。

 女特有の面倒臭さ。こういうところも、きちんとこの世界の人間ぽくなってんな。

 そう思わずにはいられなかった。






 ●



 その一部始終を見ていたあたしは苦笑せずにはいられなかった。


「とうとう出たか、そのセリフ……」


 駐車場の鉄柵に寄りかかり、大きく息を吐く。

 まったく……「やれやれ」はこっちが言いたいことだっての。

 そう心中を吐露したい気持ちに駆られ、あたしは天空を仰いだ。

 計画の成果は出たと言ってもいい。

 「これ」が始まってから、一体どれくらい経っただろう。ようやく変化が現れ始めた。

 今のセリフもその一つだ。

 無意識に出たということは、この世界に感化されてきている証拠。

 ゆっくりとだが、確実に「この世界の人間」に存在が変わりつつある。

 だけど。



「それはあんたが言うべき言葉じゃないんだよ、二番目ぇ……」



 だってお前は、この計画の要じゃないんだから。

 所詮は、一番目のための贄となる存在。

 なのに余計に手間を掛けさせてくれちゃってまぁ。

 だけどまぁ、彼女は彼女なりに「役目」は果たしている。その証拠が……。


、ずいぶん目立つところに出たよねぇ」


 古傷。

 ここに彼女が現れてから、今に至るまでに……着実にヤツのそれは増えてっている。

 最低でも、それさえ果たしていればいい。



 その傷痕が表す意味こそ、この計画の目的そのものと言っていいのだから。



 だけど……それと同時に面倒も増えるんだよなぁ。

 あたしは視点を別な方向に向ける。

 センパイ達のところから少し離れた砂浜に、別の人物がいた。

 くせっ毛で、色白で、ひょろひょろした体型。

 あたし達が……一番目と呼ぶ存在。

 彼女もまた、二番目と同じようにそこに座り込んで、黒く染まっていく海を見つめているのだった。

 そして……もう一名、彼女に背後から近づいてくる者がいた。

 四角メガネと無精髭が特徴的な、中年男性。


「あーあ」


 こっちはこっちで、ヤバイ組み合わせが……。

 胃が痛い、とはこういう時に使うものなのかな。

 もしあたしが人間だったら、きっともう既に何個も穴が空いていただろう。

 だが、無視するわけにもいくまい。



 今の今まで現実に目を背けてきた彼が……ようやく、向き合おうとしているのだから。



 この計画の立案者。そして計画の最重要人物。

 あたしは、その数十メートル以上離れたその二人の会話に、そっと耳を澄ませた。  


「さてさて、どういう反応が起きるのやら」

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