13.女騎士と女奴隷とおつかい(前編)
八王子郊外 某商店街
「ここだな」
「はい。ご主人様が仰っていた場所で間違いないかと」
そう言いながら、リファレンス・ルマナ・ビューアとクローラ・クエリは、その商店街名が刻まれたアーチを見上げた。
その奥に見えるのは、肉屋、八百屋、和菓子屋、靴屋、床屋などなど様々な個人営業店。
駅前のアーケード街などに比べれば、規模も活気も格段に小さい。だが、古き良き時代を思い起こさせるような、静かで温和な雰囲気漂う場所である。
平日の昼間ということもあってか、買い物に来た主婦やご老体などの姿がちらほら。
そんな場所に、異世界人二人はいざ踏み込まんとしていたのである。
「気を引き締めていけ、クローラ。これは私達に課せられた任務だということを忘れるな」
「は、はい。ご主人様のご命令は何があっても成し遂げないとですね」
周囲の光景の空気とは真逆に、両方無駄にやる気に満ちた姿勢と言動である。
さて、任務とは、ご命令とは何なのか。一体それがこのこぢんまりした商店街と何の関係があるのか。
事の発端は、わずか1時間前に遡る。
○
「お使いに行ってもらう」
「へぁ?」
「うゅ?」
その言葉に呆けた声で二人は反応した。
俺は静かにちゃぶ台に買い物袋と財布を起き、仁王立ちで説明を始める。
「お前らもこの世界で暮らし始めて大分経つ。なのでそろそろ任せてもいい頃合いだと思ってな」
「へぁ……?」
「うゅ……?」
同時に首を傾げるリファとクローラ。話が未だに呑み込めていないらしい。
俺は小さく咳払いをして、明瞭簡潔に二人へミッションを課した。
「これから二人だけで、食材を調達してきてくれ」
「へぁ!?」
「うゅ!?」
同じことばっか繰り返してんじゃねぇーよ。アニメ版のポケモンかオメーらは。
「だーかーら! 買い物だよ買い物! 俺なしで行けっつってんの!」
「……」
「……」
ぽかんとした顔でお互いに顔を見合わせていた双方だったが、ようやく自分が何を言われたのか理解したらしい。大きく目を見開いて、驚きの声を上げた。
「へぁぁぁぁ!?」
「うゅぅぅぅ!?」
わかったもうわかった。ごめんお前らに任せようとした俺がバカだった。そうだよね、いくら難易度の低い仕事だからって、依頼する相手が人間でなきゃ意味ないもんね。言葉も通じないサルに言ったって仕方ないよね。はいOKOK。もう俺一人で行ってきますわ。ほなさいなら。
「いやいや待ってくれマスター! いきなり言われたからちょっと驚いただけだ!」
「ですです!」
玄関に直行する俺のシャツを、ものすごい勢いで二人は引っ張ってくる。やめろよ伸びるだろ。
「ともかくちょっと座ってくれマスター」
「おすわりですご主人様」
騎士が指示し、奴隷が指差す家の床。言われるがままに座すのはこの俺。
そんな俺にリファとクローラはふぅ、と軽くため息を吐いた。
「まったく、マスターも人が悪いぞ。何を言い出すかと思えば、あんな重大なことをサラっと」
「そうですよ。もう少し雰囲気を作るべきだとクローラは思います」
「何でお使いごときでそんなこと気にしなきゃいけないんですかねぇ……」
「決まってるだろう」
「決まってますっ」
力強く言って、二人の同居人はちゃぶ台から身を乗り出した。
「これはマスターが私達に課した――」
「ご主人様が私達に言いつけた――」
「初めての任務だからだ!」
「初めてのご命令だからです!」
……は?
今度は俺がキョトンとする番だった。だがお構いなしに向こうはまるで舞台の演技でもやってるかのように続ける。
「今までマスターは我々に遠慮しすぎだと思っていた。『~しといてくれる?』『~しちゃダメだぞ』『~した方がいいぞ』などなど。曖昧というか、頼みごとみたいというか……」
「はい。仮にも私は奴隷……ですが、何も命じてくれないのは奴隷としての矜持が許さないというか……そんなに信用がないのか疑ってしまうというか……」
「だがそんなマスターが、今日始めて私達に使命を定めた。まぁ唐突なのはさておいて、重く受け止めないわけにはいかんだろう」
「ですです!」
ええ……。と俺は困惑するしかない。
まぁ確かに任務でも命令でもあるけど……正直ここまでのリアクションが返ってくるとは思わなかったよ。
ていうかちゃんと命じれば真面目に捉えてくれるんなら、今までにどれだけこいつらの勝手な行動が阻止できたのか。考え出すと後悔が心を埋め尽くす。
「わかったよ。じゃ改めてお前ら二人に命じる」
「はっ!」
「ですっ!」
俺が立ち上がって言うと、即座にその場にリファは片膝を着き、クローラは正座。
「今から俺が指定した場所に行って、今晩及び明日の朝の食事の材料を買ってきてこい。買うものはこのメモに書いておいた」
と、ちゃぶ台の上に折りたたまれたメモ用紙を追加で置く。彼女らはそれを開いてしっかりと確認。
「け、結構多いのだな」
「だから二人も派遣するんだよ。そうした方が負担も少なくなるだろ」
「なるほど、さすがご主人様」
「それとあとこれ。初めていく場所だから、忘れずに持ってけ」
取り出しましたるは、手書きの地図と簡単なルート説明が書かれた大きめの紙。お使いで一番怖いのは迷子だからな。
小さい子どもならまだ誰かが助けてくれるかもしれないけど、こんな二十歳
近い女二人組に声かけるとしたら十中八九ナンパか職質だ。万が一の時に備えて、盤石の体制を敷いておく必要がある。
「えっとあとは注意すべきこと……そうだ。もうわかってると思うけど、この世界の買物に使うのは
異世界、ワイヤードに存在するという特殊なアイテム。
火、水、雷、土、風の5つの元素を
あちらの世界では切っても切れないほどの生活必需品。毎日の家事や労働に使うほか、武器や兵器としても重宝されている。
だが、最も注目すべきは……なんと、通貨としても扱われているということ。
どれだけ多くの
「わかってる。金の使い方については、マスターのを横で見てたから、問題はない」
「細かい計算はクローラはできませんけれど……これも勉強だと思ってやってみます!」
「OK。じゃあこれ財布。足りるとは思うけど、もし所持金が底をつきそうなら、無理に全部揃えなくていい。買えるもんだけ買ってきてくれ」
「うむ、わかった」
さて、準備はこんなもんでいいだろう。そろそろ出発の時間だ。
二人はせっせと着替えて旅支度を整え、忘れ物がないかを最終チェック。
「財布よーし、地図よーし、買うものリストよーし」
「体力よーし、やる気よーし、心の準備よーし! 準備万端ですっ!」
「うっし。そんじゃ、気をつけて行ってこい。何かあったらスマホで連絡くれれば――」
と、言いかけたところをリファが手で制して止めた。
「心配するなマスター。私を誰だと思ってる」
「ポンコツ」
「そう、誇り高きワイヤードの騎士だ。これくらいどうということはない」
聴覚が既にどうということになってんだよなぁ。
「ご安心くださいご主人様。このクローラ、命に変えてもこの仕事を果たしてみせましょう!」
死んじゃったらその時点でミッション失敗なんだよなぁ。
早くも不安になってきたが、今更取り消すのもどうかと思うし。可愛い子には旅をさせよ。遅かれ早かれこういうことは経験しとかないとな。
「では行ってくるぞマスター!」
「行ってきますご主人様!」
明るく元気にそう言って、女騎士と女奴隷は扉を開け放つ。そしてお使いという、転生後初めての任務に出征するのであった。
それを笑顔で見送った俺はしばらく、家の中で一人佇む。
やがて彼女らがこの家の周囲から遠ざかるギリギリのタイミングで俺は動き出す。
「帽子よーし、マスクよーし、サングラスよーし」
その三種の神器を取り出し、素早く装着。フル装備で洗面所の鏡の前に立つと……完全な不審sy――別人に早変わりだ。
二人だけで買い物に行かせるとは言ったが、奴らは異世界人。行き先で困ったり迷うことは多々あるかもしれない。それは出来る限り自己解決してもらうわけだが、もう一つ懸念がある。
それは他所様に迷惑をかけるかもしれないということ。
実は以前、二人はスーパーに俺に無断で買い物に出かけたことがあったのだ(「女騎士と女奴隷と銭湯」を参照)だが、奴らは当時買い物のやり方を完全に習得してはいなかったため、スーパーの人を大いに困らせてしまった過去がある。
今回も同じようなことをやらかさないとは限らない。そうなった場合、収拾をつけられるのは俺しかいない。
準備を済ませた俺は、数十秒前の彼女らと同じようにこの家のドアを開放した。
外廊下から周囲をぐるりと見渡すと、遠目にせかせかと歩く二人の若い女性の背中を確認。
……目標を肉眼で確認。これより任務を開始する。
「レッツ、尾行」
○
で、今に至るわけだ。
彼女らが無事にバスに乗り、下りた先で迷わずに目的地に着いたのを見届ける。俺は隠れていた電柱にもたれかかりながら安堵の息を吐いた。
とりあえず第一関門突破と言いたいところだ。ここまでは順調。特に何事もなくてよかった。
……否。
何事もないかというと嘘になるか。
いや、別にリファとクローラには何の問題もない。あるのは……俺の方というか。
ともかくとあることが身に起きて、俺は少々気が焦っていた。
「警部、やっこさん動き出しましたぜ」
毎度おなじみクソウザ系ギャルこと木村渚がいつの間にかぴったりついてきていたからである。
尾行してた俺もまた尾行されてたっていうね。なんだこの連鎖現象。
ハンチング帽と伊達メガネをかけ、髪型をおさげに変えていた彼女はいつもとは印象がかなり違う。黙っていれば本当に気付かないレベルだった。
くそう、こんな奴の気配も感じ取れなかったなんて迂闊だった。
「しかし、張り込みも楽じゃないっすね警部」
「尾行だよ」
「おっとそうだ。アンパンと牛乳買ってきたっすよ。はいどうぞ」
と言って、彼女はアンパンの袋と牛乳瓶を差し出した。
だが俺はそれを受け取らない。なぜなら。
袋にも瓶にも、中には何も入っていなかったのだから。外装だけ。空っぽ。
なにこれ、バカには見えない食べ物?
「美味しかったっす」
「美味しかったかぁ」
何も食ってないのに早くも胃が痛みだしたよ。
「ところで、なんでこんな商店街に? 普通にスーパーで良くないっすか?」
「これでいいんだよ」
俺はつまらなそうに言って、片手でサングラスの縁を持ち上げた。
今回お使いの場所としてここを指定した理由。それは――。
「あ、ちょっとセンパイ! リファっち達行っちゃいましたよ! 見失わないうちに早く!」
俺の思考を遮って、渚は俺の髪を引っ張って小走りで追跡を始めた。
……いやいやいやいや髪を引っ張るなよ! 痛いわもげるわ抜けるわハゲるわ!
○
「さて、まずは買うものをもう一度確認しよう」
リファは俺のメモを取り出すと、じっくりと内容を読み始めた。クローラもそれを熱心に覗き込んでいる。
「えっと、牛肉、ネギ、豆腐、春菊、白菜、……あとは油揚げとわかめと鯖と煮干しと大根……」
「ふむ……決して手に入りにくいものではなさそうだが……」
そう言って、女騎士は顔を上げて自分達を取り囲む店の数々を見渡した。
「なんだか……多いな」
「です……どこで何を買えばいいのか……」
迷ってるご様子。まぁ無理もない。奴らはこの世界でだけでなく、元の世界でも買い物の経験がそこまでないはずだからだ。
「リファさんはこういうところは結構馴染みがあるのではないですか? ワイヤードにもこのような市場はあったかと思いますけど」
「物資はほとんど軍部からの配給制だったから、私費を使うようなことはほぼしなかったのだよ。訪れるところと言えば……武具工房とか、喫茶店とか酒場とか。こういう場所は警備で見て回るくらいだな」
「そうなんですか」
「お前は……ああ、奴隷だから買い物ができないんだったな」
「お恥ずかしいですが……でも、たまに前のご主人様の荷物持ちとして連れて行ってもらえたことはありますよ」
「ということは……」
二人目を合わせて、同時に肩を落とす。
「「買い物のやり方はほぼ知らない」」
そういうこと。
リファもクローラも、俺が買い物をしているところに立ち会ったことは折に触れてある。だがそれはレジで精算するだけか、自販機に小銭を突っ込むだけであって、およそ会話と呼べるようなものは殆ど無い。よくて「あ、袋一緒でいいです」「あ、レシートいらないです」くらいのもんである。
「だ、だが問題はない! 私は神速のナイトレイダーとして名高い高貴なるワイヤードの騎士! 買い物くらいお茶の子さいさいだ!」
その肩書きがこの場で通用すると思いこんでるあたりもう問題だらけだと思うんですけど。
「それにクローラだって、前の主人が買い物をしている時の様子ぐらい目にしたことは何度かあるだろう。それを真似しておけばなんとかなる」
「そうだとよいのですが……」
まだ完全に不安は拭いきれていないようだが、モチベは維持しているようだ。その調子で頑張ってくれればいいのだが。
「あのー、センパイ」
すると、横の渚が俺の肩に手を置いてきた。何だよ、と鬱陶しげに返事をすると、かなり引きつった笑みを浮かべながら彼女はこう言った。
「リファっちやクロちゃんって……もしかして、自分を異世界人だと思いこんでる頭がアレな人?」
惜しいねぇ、思い込んでる以外は全部当たってるよ。だがそんなことはおくびにも出さない。こいつにはこのまま勘違いしておいてもらう。
「まぁそんな感じ。香ばしい奴だと思って触れないでおいてくれると助かる」
「こっちから願い下げですよ」
心底軽蔑したような感じでギャルは言った。こういう陽キャはその手のジャンルに忌避感示すのはわかっていたことなので、これ以上掘り下げる必要はないか。
改めて、俺は同居人コンビの方に目を戻す。
「えっと……あそこが野菜屋さんで……あっちはお魚を売ってるお店のようですね」
「そうだな。だが全部回っていくと時間がかかりそうだ。ここは手分けしようではないか」
「なるほど、それもそうですね。では私は、お魚とお肉のところに行ってきます!」
「では私は、野菜と……あとなんだ、この豆腐とか油揚げとかはどこで買えばいいのかわからんが、探してくるとしよう」
おいおいいきなり別行動とか大丈夫かよ。はぐれたりしたらそれこそ面倒なことになるぞ……。
「では、金は半分ずつに分けて持とう。袋もひとりひとつ持ってるからいいとして……」
「買い物リストはどうしましょう? これは半分こできませんよ」
「心配するな。買うべきものはとっくに頭の中に入ってるから。それはお前が持っていろ」
頭に入れたものが外に流れ出てなきゃいいけど。と俺は心の中で呟いた。
そんなわけで、彼女達は買い物を終え次第今いた場所に落ち合う取り決めをすると、各々の担当する店へと向かった。
「あちゃ、どうしますセンパイ。ここはあたしらも二手に分かれた方が」
「だな。じゃあ俺リファを追いかけるから、お前はクローラを頼む」
「ラジャラジャ」
ドロイド兵みたいに言うと、渚は人混みに紛れてあっという間に見えなくなった。
正直あいつに任せて一体何の得になるんだろうと思いはしたが、どっちにしろ俺は片方にしかついて行けない。今はリファの方に集中しよう。
○
八百屋にて
店先に野菜がずらりと並んでいたので、すぐ見つかった。
リファの他には何人か客がいて、店主のおっちゃんはそれに応対していた。
彼女はその様子を必死で観察していたが、そんなもんはいわばテスト直前に参考書を高速でめくりまくるような意味のない行為。
案の定、おっちゃんが客を捌き、リファの方に顔を向けた時。本人は完全に硬直してしまっていた。
「あ、あの……えっと」
「おやおや、こりゃ珍しい外人さんじゃないか。悪いねー、おじさん英語喋れねんだよ」
「え、えいご……?」
「えっとなんだっけな……そうだそうだ! アイアムアペン!」
大発見、文房具が店主やってる八百屋。
当然そんなことを言われたリファ女史はますます困惑するばかり。
「ぺ、ぺん? ……あの、ちがくて、その……」
「おっと違ったか! すまねぇ、ロシア語はさっぱりなんだ」
すまねぇ、俺もあんたが何言ってるかさっぱりなんだ。
ちっくしょう、ここでリファの風貌が仇となるとは……考えが甘かったか。
あいつがペラペラ日本語喋ってくれればスムーズに事が進むものの、当人がこの様子じゃ……。
「う……そうじゃなくて……」
「あ、何よ。なんかほしいのあんの? 何?」
「えっと……」
しまった。メモはクローラの方に渡してて持ってないんだった。さっきの予想通りだよ。今のリファは完全に買うものを忘れてる。
しきりに唸っていると、おじさんも何かしなくちゃと思ったのか、側の野菜を手にとって掲げてみせた。
「今日はじゃがいもが安いよ! それとあとこの人参。今日仕入れたばっかだから新鮮だぞ! どうよ?」
「……え? それだっけ……?」
「あとはこのタマネギもつけるから、今日はカレーか肉じゃがにしてみたらどうだい?」
「ぁ……じゃ、それで」
あーあ。
俺はこめかみを押さえた。さっそく大失態だ。押し切られるとNOと言えないタイプなのかアイツって……。
「はいじゃあじゃがいも人参1パックずつとタマネギ1個で、合計で400円だ!」
「……あ、ああ。これでいいか?」
リファはぎこちなく財布から千円札を出して店主に渡す。だがまだ自分が買うべきものはこれだったかと疑ってるようだ。とはいえ、それを口に出して店主に伝えることは最後までしなかった。
「はいじゃあ千円お預かりで、600円のお釣りだな。へい毎度!」
「???」
商品の袋は受け取ったものの、釣りの方は彼女は受け取らずに凝視していた。
「? どうした姉ちゃん?」
「や……なんで野菜だけでなく、金までくれるのだ?」
「は? いやだから釣りだって」
「金を支払うのは私だ。受け取れるのは商品だけだろう? もしこれを受け取ったら貴様は損ではないか」
「……?」
しまった、お釣りのシステムについては詳しく説明してなかったのが裏目に出たか。
あいつらにはとりあえず金額は気にせず、商品を受け取ったら金を出しておけとだけ言っておいた。後は店側が「これじゃ足りない」とか色々教えてくれるはずだと思ったからだ。お釣りについてもまた然り。そこで彼女らには実践を以て学んでほしいという算段だったのに……。
だがお釣りの意義そのものを異世界人が疑う、というとこまでは予想外だった。
「ん? あ、ああ! なるほどなるほど」
ぽん、とおっちゃんは手を叩いて納得したような素振りを見せる。どうやらリファの意図を汲んでくれたみたいだ。
「これはつまり『釣りはとっとけ』ってやつだな!」
オヤジテメェェェェェェェ!!!!!
ざっけんなゴラ! 買い物初心者相手にアコギなことやってんじゃねぇぞ! 言っとくがそれ普通に詐欺罪だからな! わかってんのかオイ!
「え、あ……うむ」
取 引 成 立 。
くっそ出鼻くじかれまくりだろ、なんだよこれ!!
そんな俺の心境とは裏腹に、リファは任務を遂行できたという高揚感故か、ちょっと機嫌を良くして八百屋を後にしようとした。
「あ、思い出した」
が、ちょっと足を止め、店主の方を振り返った。
「すまない。あと、『とうふ』と『油揚げ』も欲しいのだが」
「え? いやいやそれはウチじゃ扱ってないよ。ここは八百屋だからね」
「そ、そうなのか。ではどこで……」
「あー、それなら田中さんとこの店に行けばいいよ。そこの道行ってれば見つかるでしょ」
だめだこりゃ。道案内にすらなってない。なぜ普通に豆腐屋という単語が出ない? なぜすぐ見つかる場所のルートすら教えてやれない?
聞く相手が悪かったか。このままだとズルズルと失敗の連続になっちまう。どうしよう……。
「えっと、田中さん田中さん……と」
と葛藤している間に、リファはスタスタと言われた方向に向かって歩いていってしまった。やばい、これじゃ迷子必至だ。早く追いかけないと。
だが彼女の足取りが予想以上に早かったのと、結構人が多くなってきたのとあいまって、物見事に俺は
リファを見失った。
まずったな。スマホでいつでも連絡を取れるとはいえ、そうしたらこのお使いの任務は意味を成さなくなる。
どうするべきかと迷っていると、誰かと肩がぶつかった。これは周囲に気を配らなかった俺が悪い。
「す、すみません」
素直にそう謝って相手の顔を見ると……。
「あ、センパイじゃん」
「なんだ、渚か」
お互い追跡しているうちにまた巡り合ってしまったらしい。まぁこの商店街はそんなに大きくないから不思議な話ではないが。
それよりも、渚がここにいるってことは……。
いた。彼女の追跡対象である女奴隷が。
肉屋でショーケースに並ぶ鮮やかな赤色をした肉を眺めている。
「つぅかセンパイ、リファっちは?」
「……すまん、見失った」
「はぁ~? 何やってんすかまったくもう」
こいつに呆れられるとは非常に屈辱であるが、当然何も言い返せない。
「だから今探してんだよ。で、クローラの方はどうだ?」
「概ね順調ですよ。さっきまでお魚屋さんにいて、今見ての通り肉屋に到着したところです」
メガネを外してレンズをハンカチで拭きつつ、渚は端的に報告した。
任務の遂行進度はこっちのほうが圧倒的に早い。目当ての魚をきちんと買えていたのなら、この肉屋で終わりだ。
こんなことしてる場合じゃないのだが、少しだけ俺はクローラの様子を見ることにした。
「えっと……」
「あら、可愛らしいお嬢ちゃんね。なにが欲しいの?」
しばらくすると、小太りの温厚そうなおばちゃんが店の奥からやってきた。
リファとは違い、クローラは髪の色も目の色も至って普通であるため、辺に敬遠されるようなことはなかった。そのおかげか、彼女も詰まることなくおばちゃんに返事を返す。
「はい。えっと……『ぎゅうにく』を……」
「牛肉ね。どこをどれくらい?」
「ど、どこ? どれくらい? えっと……えー」
謎の単語を口にされて、一気に焦りゲージが溜まっていく女奴隷さん。メモを取り出してどういうことかと目をぐるぐるさせている。
もちろん「牛肉」だけなんて曖昧な注文を俺は言いつけてない。ちゃんとメモの横に、どの部分を何グラムと書いてあるのだが……どうやら彼女はその文章と牛肉の関連性を見いだせてないようだ。
そんな困っているクローラを見て、おばちゃんはふっと笑った。
「そのメモ、見せてごらんよお嬢ちゃん」
「ふぇ? あ、はい……」
おずおずと言われるままに彼女はメモを渡した。おばちゃんはそれを見て、大きく頷いた。
「はいはい、ロースを300グラムね。ちょっと待っててね」
そしてショーケースの中の肉を取り出し、計りで重さを計測してから袋に詰めてくれる。
「お待ちどうさま。1200円と言いたいところだけど……サービスで1000円にしといてあげる」
「さ、さーびす?」
「いいのいいの。遠慮しないで。そうだ、あとよかったらこれも持ってきな」
おばちゃんは気前よくそう言って、店の奥から何かを持ってきた。
それは――。
「はい! 肉入りコロッケ。揚げたてだよ」
「え、ええ?」
「お使いなんでしょ。頑張ってるお嬢ちゃんにご褒美さ。まぁ実は形が崩れちゃって売りモンにならないやつなんだけどね」
差し出されたその湯気を立てて美味しそうな匂いを放つコロッケを、クローラはぎこちなく受け取った。
すぐそこでお礼を言ってガブリと言っちゃうのかと思ってたが、彼女はそれをじっと見つめたまま微動だにしない。さっきのリファと同じリアクション。
「? どうしたの?」
「あの……私、奴隷なんですけど」
「は?」
クローラは自らの首についている首輪を指差して言った。
「この世界では違うのかもしれませんけど……その、このような接待を受けるのは本来なら分不相応というか……」
あ、やばい。これはやばい。ここで奴隷云々言われたら家でどういう生活させてんだって話に発展しかねない! 止めに入らないとまずいか?
「ですから……もし私が貴族や兵士の方達と勘違いしておられるならこれは受け取れな――きゃっ」
俺が飛び出そうとした時、おばちゃんが行動に出ていた。
クローラの頭をクシャクシャに撫で回したのだ。
「な~に言ってんだい。別にあんたがどういう人間だろうと関係ないよ」
「え、ええ?」
「あたしがそうしたいからしてるだけさ。それの何が問題なんだい?」
「で、でも……」
「細かいことは気にしなくていいんだよ。ほら、まだ買うものあるんだろ? それ食ってしっかり元気つけな」
最後にポン、と頭頂部を軽く叩くとおばちゃんはニカッと笑った。
クローラはまだしばらく反応に困ってる様子だったが、やがて意を決したようにパクリとコロッケにかぶりついた。
「美味しいかい?」
「……は、はいっ! すごく!」
「そりゃよかった。じゃあお使い、頑張ってね」
「は、はい……ありがとうございますっ!」
ペコペコと何度もおばちゃんに頭を下げ、クローラはコロッケを頬張りながら肉屋を後にした。
俺はそっと胸をなでおろす。深くツッコまれなくてよかったぜ。理解あるおばちゃんで助かった。
「そっすねぇ。センパイが留学生を奴隷に調教しちゃうほどの鬼畜野郎だってバレなくてホントよかったですねぇ」
理解のない奴が約一名。コイツさえいなければいい話に終わってたのに。いちいち無粋なこと言ってんじゃねぇよ、というのも勝手が過ぎるか。
「って、そうだ、リファを探さなくちゃ!」
あいつは絶対今田中さんという存在しない店名を探して、右往左往してるはずだ。急いで見つけ出さなければ。
俺はクローラを再度渚に任せ、スマホで連絡をかけようとしたのだが。
目当ての人物は向こうから居場所を教えてくれた。
「やってられるかぁーーーーっ!!!!」
思いっきりでかい叫び声を上げて。
瞬間俺は悟った。危惧していた最悪の事態が起きてしまったのだと。
「ちょっとセンパイ、今のリファっちの声!」
「ああ、行くぞ」
俺と渚は人混みをかき分けて、声のした方へ一目散に走った。
○
「どういうことだ! どこにも田中さんなんて店ないだろうが! だいたいさっき買った野菜も、よくよく見てみればマスターの言ってたのと違うやつだし!」
買い物袋を地面に叩きつけ、地団駄を踏みながらリファレンス・ルマナ・ビューアは脇目も振らずに喚いていた。
彼女の半径数メートルだけ人が寄り付かず、ミステリーサークルみたいになっている。もちろん近づかないだけで、周囲の人間はほぼ全員その癇癪を起こしている金髪碧眼女をしっかり凝視している。
「ああもう、どうしてこんな簡単な任務すらうまくいかないんだクソッ!!!」
やり場のない怒りを発散させるようにリファは悪態をついた。
やっぱりこうなるか……。
俺は小さく舌打ちして、今度こそ彼女のもとへ行って怒りを鎮めようとした。
しかし、またもや横槍が入った。
「リファさん! 何やってるんですか!」
クローラだった。彼女も騒ぎを聞きつけてやってきたのだろう。息を切らしてミステリーサークルに立ち入ると、悲痛な声でリファの名を呼んだ。
女騎士はギロ、と目の前の人物を睨みつける。
「何だ、クローラか」
「何だ、じゃないですよ。どういうことですかこれは!」
リファはふん、と鼻を鳴らすと乱れた姫カットの髪を手で軽く払った。
「行くぞクローラ。ここはもうダメだ」
「ダメって……それはどういう」
「この場所は、買い物をするにはあまりにも不適だと言ってるんだ!」
予想の斜め上の言葉にクローラは愕然。思わず肩にかけていた買い物袋がずり落ちそうになる。
「な、何を言ってるんですかリファさん……私達はご主人様のご命令を実行中なんですよ?」
「別に任務を中止するとは言ってない。場所を移すだけだ」
「は? でも、このしょうてんがいで買い物をしろと……」
「『ここでなくてはならない』とは言われてない。別な所で調達しても達成できる」
「そんな……一体どうして」
「わからないのか?」
バッ、と片手を地面と水平に広げてリファは力説する。
「どこに何を売ってるのかがまったくわからん構造! いろいろな店がごっちゃになって、まるで整理がなっていない! それに店に入ったら入ったで目当ての物を探すのすら一苦労。店の者に言っても違うものを持ってくるし! こんなところでまともに買い物なんぞできるか!」
「ですけど……ならどこに行けというのです」
「決まってる! こんなごちゃごちゃした場所よりも、もっと客に親切で、便利な店だ」
「それって……」
リファは目をカッと開いて拳を握り、叫んだ。
「スーパーだ!」
……うっわぁ。
と俺も渚も、そして周囲の人も全員がそういう表情をした。
「あそこに行けばすべてが揃う。ここみたいにいろんな店を行ったり来たりしなくてもいい! それに自分でモノを選んで『れじ』に持っていくだけで全て済むのだからな。余計な会話も交渉も一切不要! これさえあれば他の店などいらない! こんな不便極まりない場所など存続しておく価値などないのだ!」
「それは違いますっ!!」
リファの言葉をクローラの叫びが遮断した。
周囲が一瞬静まり返る。俺も驚いて完全に出るタイミングを逃した。いつもは遠慮しがちなクローラでは考えられないような言動。どうしたんだろう。
「このしょうてんがいにもいいところはあります! 価値がないなんて切り捨てるのは間違ってると思います」
「何? ここのどこにそんなものがあるというのだ!?」
「い、いっぱいですっ!」
曖昧すぎるが、力強くクローラは主張する。
「確かに何もかもワイヤードとは違って、文化も技術も進んでるこの世界では、見劣りするような場所かもしれませんが……それでも私はここを支持します!」
「何をたわけたことを……奴隷ごときの価値観じゃ、こんな場所も天国だとでもいうのか? 浅はかだな」
かちん。
と確かにそんな音がクローラの方から聞こえた気がした。
見てみると、ぷるぷると彼女の身体が小刻みに震えている。
もしかして……怒ってる?
「なら……証明してみせます」
「何?」
「ここが……リファさんが言うほど悪い所じゃないってことを!」
びしっ!
と女奴隷は人差し指を目前の女騎士に突きつけて宣言した。
それに肩眉をひそめていたリファだったが、やがて全てを理解したというように静かに笑い始めた。
「くっくっくっ……面白い。いいだろう。騎士に刃向かうその度胸……気に入った」
そしてキッと急に険しい表情に戻ると威勢のいい声で、
「ならば私も証明してみせよう。この商店街とやらがいかに前時代的か! いかにスーパーの方が優れているかをな!」
「……望むところです」
じり、と向かい合い、謎の構えをとる二人。
ギャラリーは全員その謎の展開に魅入っており、誰も言葉を発しもしないし、動きもしなかった。
「行くぞクローラ」
「行きますよリファさん……」
「「いざ尋常に勝負ッッ!!!」」
……この話の主旨、なんだっけ。
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