4.女奴隷とテレビ

「……」


 朝食後の片付けを終え、さてこれからどうしたもんかと思っていた頃。

 新しい同居人クローラさんは、キョロキョロと落ち着かない様子で家の周囲を見渡していた。転生してきて、異世界の家の中のものが気になって仕方がないんだろうか。

 対するリファの方は、自分の喰う分のメシがなくなったせいで(自業自得)、更に機嫌が悪化。戸棚に運良くあった飴玉を与えたものの、焼け石に水。ベッドに突っ伏して不貞寝してしまっていた。

 仲良く談笑、ってわけにもいかねぇよなこれじゃあ……。何か話題のきっかけでもあればいいんだけど……。

 などと思っていると。


 ガタガタ……ゴトン。


 と玄関の方で小さく音がした。郵便だ。なんだろう、大学からかな?

 俺は二人の同居人を尻目に、いそいそと廊下に出る。そしてドアに設置されている郵便受けから、投げ入れられたであるブツを引っ張り出した。

 ずっしりとした、厚めの封筒。

 切手も、宛名も、宛先も書かれていない。あるのは、差出人の名義のみ。

 もうこれだけで嫌な予感はしていた。前例が二回もあれば、自ずと答えは出てくる。本日のドタバタのおかげで胃が痛んでいたのが、更に増してくる。

 俺は下唇を噛み締め、大きくため息を吐き、その差出人を確認した。


 死者処理事務局 転生判定課担当 木村


「……っ!?」


 反射的にドアを開け、靴も履かずに外に出る。

 だが、辺りに人の気配はない。たった今。わずか十秒ほど前に、郵便受けにそれを突っ込んだ張本人の姿は……跡形もなく消え失せていた。

 黙って俺は家の中に戻り、玄関のドアを閉めた。

 そして。


「き」


 で、封筒の端っこを抑え。


「む」


 で、小さく呼吸を整え。


「らぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 で、思いっきりそれを引き裂いた。


 ドサドサドサ! と内容物が床に音を立てて落ちていく。

 ぶっちぎりのタイミングで、ぶっちぎりに現れやがってこの野郎! どういうつもりだ! 女騎士の次は女奴隷だと!? 冗談じゃねぇよ! 俺んちを勝手に更生施設扱いしてんじゃねーっつーんだよボケぇ!!

 怒髪天を衝くどころか串刺しにするレベル。その怒りの矛先をぶつける相手が目の前にいないのが更に俺の怒りのメーターを上げていく。


 イライラを床の郵便物にぶちまけたい気持ちでいっぱいだったが、それだけは抑えねばなるまい。ちらっと見たが、これらはクローラに関する書類のようだったのだから。

 戸籍謄本。住民票。マイナンバーカード。その他諸々市役所とかで交付してくれそうなもの一式。清々しいくらいに作り込まれてる。今更だが一体どうやって用意したんだかこんなもの……。

 出生地及び本籍はリファ同様この家の住所。生年月日も同じ。年齢もリファと同い年の二十歳……ということになっている。

 違うのは名前だけか。まぁそこまで細かく設定する必要もないと言えばないのだけど。


 他には何が入ってんだ? どれどれ……。

 しばらくガサゴソとやっていると、小さく折り畳まれた便箋が書類の間には挟まっていることに気がついた。明らかに他のものと雰囲気が違うそれを手にとって中を拝見。そこに書き連ねてあった無機質な明朝体の文を目で追う。


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 新涼の候、ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。

 死者処理事務局転生判定課担当 木村でございます。


 貴方様におかれましては転生者との同居生活をいかがお過ごしでしょうか。

 さてこの度ですが、厳正なる審査の結果、貴方様は新たな転生者の同居人パートナ―に選出されました。そちらの自宅には既に本人が在宅のことと存じます。ご報告が遅れまして誠に申し訳ございません。

 本来同居人は転生者一名につき一人が基本なのですが、今回は止むに止まれぬ事情により、このような事態になりましたことについても、重ねてお詫び申し上げます。

 二名の転生者との共同生活は不便なことも多々あると存じますが、死者処理事務局からもできる限りのフォローはさせていただきますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

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 ここまで懇切丁寧な口調で人をムカつかせる文章もそうそうねぇな。

 できる限りのフォローってなんだよ? お前ら今までフォローしてくれたことあったか? なんか困った時に介入したか? たまに粗品送りつけてくるくらいじゃねーか!!

 もうこの辺でその手紙をシュレッダーにかけるよりも細かく切り刻んでやりたい気分だったが、どうやらまだ続きがあるようだ。



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 また、今回二人目となる転生者についてですが、同居人パートナ―が「奴隷」ということで設定されております。

 転生者は実際にこの現実世界に実在の職業を選択する事になっておりますが、今回のケースに限り、本人の強い要望によってこの同居人パートナ―で転生させることにいたしました。こちらは


 しかし、我々といたしましては以前申しました通り「転生者を新たな世界で暮らせるように順応させる」ことを目的としております。

 転生者には職業に見合った扱い及び待遇を同居人の方にお願いしておりますが、今回に関してはあくまで本人の意向であり、事務局の意向ではない・・・・・・・・・ことをご理解くださいませ。



 すなわち、奴隷という言葉が指し示すような非人道的な扱いは「くれぐれも」なさりませぬようお願いします。



 転生者は既にこの世界の人間として新たな一歩を踏み出そうとしております。そのため、そのような「過去の歪んだ認識」は即刻改めてもらわなければなりません。

 現在の価値観を教え込むことを再優先事項とし、一人の対等な人間として接していただければと思います。

 このような複雑な事情になりましたことについては誠に遺憾ではございますが、同居人の方には何卒引き続きご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。


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「……」


 なんだろう。

 木村の奴……やけに必死だな。

 リファの時は淡白というか、あっさりとした、必要事項だけ書いて終わりみたいな内容だったのに。今回はちょっと感情が籠もっているような気がする。

 焦り? 憤り? 不安? よくわからないけど……言いたいことはわかる。これはさっき俺がクローラときっちり話をつけたことだ。

 「過去の歪んだ認識」……。自分が奴隷であるという自己意識。その歪みとやらはこの短い時間の間で嫌というほど表れている。

 リファのように単にこの世界の暮らしに慣れさせなければならないというのに加え、新たなミッションをこなさなければならなくなった。

 それは、彼女自身の在り方を変えていくということだ。

 死者処理事務局がここまで念押ししてくることや、この手紙内の「本人の強い要望」という一文……。

 これが意味するのは、クローラが「今までの生き方に固執している」ということ。

 つまり、保守的な一面を持っているということに他ならない。さっき身分についての話をしたときなんかまさにその片鱗が見え隠れしてた。

 こいつは少々骨が折れそうだな。

 だけど――。


「諦めが悪いのはこっちも同じだってーの」


 俺はその手紙をくしゃりと握りつぶすと、他の書類をまとめにかかった。

 事務局は正直気に食わないけど、それとこれとは別の話。

 突然始まった異世界人との生活……頼んだわけでもないし、引き受けた覚えもない。ぶっちゃけ面倒事に巻き込まれたとしか思ってない。

 それでも、俺は彼女達の前でこう言っている。


 キミを、俺の同居人パートナ―として認めると。


 男に二言はないというわけではないが、一度宣言したことを自分の都合で反故にするのはダメだ。

 別にそんなことを律儀に貫き通す義理もないのは百も承知。これは単純に俺の気分の問題だ。

 リファに跪かれ、クローラに深々と頭を下げられたその時から、俺はこいつらの同居人になると決めたんだ。正直その場の空気に流された面もある。見栄を張った部分もあることにはある。あとになってやっぱやめときゃよかったかな、と軽く後悔もした。

 だけど、そんな俺を彼女達は信頼してくれた。俺を自分のマスターとして、ご主人様として、初対面の相手を疑うことなくそう認めてくれた。それを途中で裏切るのは……良いか悪いか関係なく、俺が嫌だ。

 もうひとり増えてどれだけ俺の負担が増えるかわからないけど、いけるところまでやってやるさ。

 もちろん奴等をただの自堕落なニートで終わらせるつもりだって毛頭ない。

 きちんと家事の手伝いとか色々させていくし、そのために必要な教育も折に触れてやっていく。今は「扶養被扶養」の関係だが、いずれは対等な協力者にさせる。させてみせる。

 それに、クローラはリファに比べちゃまだ接しやすそうに見えるし、打ち解けるのにはさほど苦労はしないだろう。

 しっかりしろ俺。同居人が一人増えたくらいどうってことないだろ。いやあるけど、どうってことないと思っとけよ。パートナーを信頼しろ。これ人生の鉄則。


 そう自分に言い聞かせるようにガッツポーズを決めて、そう軽く意気込んだその時である。


「――それでは本日のメインゲスト! 〇〇ちゃんの登場です!!」


 いきなりリビングの方からそんな声とワンテンポ遅れて黄色い歓声が響いた。それで我に返った俺は書類を急いで抱えて何が起きたのかと居間へと戻った。


「あ、ご主人様……あの、あの……っ」


 荒々しくドアを開けると、びっくりしたようにクローラが肩を震わせた。様子が穏やかじゃないわね。明らかに何かに怯えている目をしている。

 何か自分がとんでもないことをやらかしたのではないか、これから怒られるのではないか……そんな表情だ。

 だが、部屋の中を見渡しても特に大きな変化はない。荒らされてるわけでもなし、なにかが壊されてるわけでもなし。唯一の変化点といえば……。



「こんにちはぁ~、〇〇ですぅ~。今日はぁ、よろしくおねがいしますねぇ~」

「はい〇〇ちゃん、スタジオパークにようこそー。ささ、こちらへどうぞー!」


 部屋の隅っこに設置されている、薄型の四角い機械に映像が映し出されていたことくらいか。



 テレビ。

 どこの家にでもある、家電三種の神器の一つ。

 もともと実家で使っていたうちの一台を、上京した時に持ってきた。今で言えば随分古い型ではあるが、まだまだ使えてる。

 でも、一人暮らしを始めてしばらくは電源をいれることがなかった。ニュースも天気予報もスマホで見られるし、アニメやドラマもネットでいくらでも配信やってるし。とりたててみたい番組があるわけでもなかったので、ぶっちゃけNHKの受信料取り立て人おびき寄せ装置みたいな扱いだった。

 だが、思いの外役に立ったのがリファがこの家にやってきてからである。

 最初彼女がこれを目にした時には非常に驚かれたし、原理を説明するのにかなり時間を要した。ご飯の時とか、起床時とか寝る前とか、事あるごとに時間を見つけては画面に釘付けになっていた。

 もっとも、最近ではそれで観られるものの大多数がスマホで代用可能と知って、そっちの方に気移りしている傾向にあるのだけど。


 で、そんなタイミングでまた新しい異世界人が、テレビの技術を目の当たりにしたわけである。


「す、すみません……こ、こちらをいじっていたら、急にこれが……」


 震え声でそう白状しながら、女奴隷は何かを俺に差し出してきた。

 プラスチック製の長方形に、いくつものボタンが付いているもの。リモコンだった。床に転がってたものを拾って興味本位にポチッとしちゃったんだろう。


「も、申し訳ございません! クローラは、何かとんでもないことを……!」

「あーいやいや別にいいって」 


 俺はクローラの隣に座ってリモコンを受け取る。電源を切ろうと思ったが、ちょうどいい機会だ。これも彼女が現代文明に慣れるための一環だと思えばいい。

 ということでこのまま視聴を続けることに。ちなみにやっている番組は平日の昼過ぎにやってるトーク番組だ。毎日芸能人や俳優などのゲストを招いて司会とお話する老舗番組。今回は結構有名な若手アイドル歌手であった。あまりその手の界隈には興味がなかった俺でも注目している存在である。

 リファのときにも気を付けていたことだが、テレビを見せる時には必ず番組の内容には注意しなければならない。見せるものの内容によては毒にも薬にも成りうるのだから当然である。

 ひとまず視聴を許可しているのは今んところニュースと食レポや旅物、音楽系、ドキュメンタリー、そしてこういったトークショーのみ。アニメやドラマ、バラエティ等はひとまずお預けという感じである。


「ご主人様……あの、これは一体何なのでしょう……こんな薄い箱の中に人が閉じ込められて……」


 彼女は俺とその薄い箱を交互に見ながら、恐る恐る質問してきた。

 閉じ込められている、か。まぁそう見えても仕方ないのかな。とすると、俺はさしづめこのテレビに映る芸能人を監禁している極悪人ってか。はは、ウケるわ。


「これはテレビって言って、人を閉じ込めてるわけじゃなくて、人を映す道具なんだよ」

「人を、映す?」


 復唱するだけして、彼女は物言いたげなまま黙りこくってしまった。

 納得もしてないし、謎は深まるばかり。更に深く掘り下げたいけど、自分の身分を気にしてあれこれ勝手に質問出来ない。そんなリアクションだ。

 ここは俺がリードしていく他なさそうだな。


「例えば池とか湖を上から覗き込むと、そこに自分の顔が映るだろ。それと似たような感じ」

「……」

「もちろんこのテレビには、これを観てる俺達以外の人間や景色が映ってる。どういうことかっていうと、これは別の場所でこの人達がその湖や池に姿を映している光景なんだよ」


 ちょっとわかりにくかったかな? 全開よりはうまく出来てると思ったんだけど。あの時はそりゃあもう質問攻めで困ったもんだった。


「……えぇと、ここではないどこかで映ったものを、このキカイのようなものに映す……ということです?」

「おお、それだよそれ!」


 意外と理解早いなこの娘。よかったー、時間無駄にかけずにすんで。


「しかし……この中にはどこにも湖も池も見当たらないのですが」

「ああ、それはカメラっていうキカイがあるんだけど、そこに映ったものがこのテレビに表示されるようになってるんだ。つまりこの映像はカメラが見ている映像ってわけさ」

「かめら……。キカイで人を映し、それをこの『てれび』で見ることができる、と」

「うん。すごいでしょ。どれだけ遠く離れたものでも、カメラさえあればここで観ることができる。この世界の代表的な技術だよ」

「……」


 これまたリファとは違う反応。大はしゃぎしもしないし、リモコンを連打してチャンネル変えまくったりもしない。ただ小さく首を傾げて、その映像に向き合ってるだけ。冷めたやっちゃのぉ。


「あ、あの……」

「ん?」

「このキカイを使って……つまり、別の場所で起きているものを見て……一体何をなさるのでしょう?」

「なにをする……?」

「い、いえっ! その……例えば……街の様子を監視して、犯罪者がいないかどうか見張ったりとか……そういったことにお使いになられるのかなー、と」


 ……なるほど、そうくるか。

 いやね、間違ってないわよその仮説。だって実際にそういう用途で使われてるもん。凄まじく的を射た質問であることに素直に称賛だよ称賛。

 彼女がこのように訊いてきたのは、ワイヤードという国におよそ娯楽と呼べるものが皆無であることに起因するのだろう。テレビがいわば人を楽しませる物に重きをおいたものであると直感するよりは、今クローラが挙げたような実用的な使い方を思い浮かべるのは自然といえる。


「んー、半分正解で半分間違い、ってとこかな」

「……と、言いますと?」

「たしかにそういうことにも使える。ってか使ってるやつもいる。けど、こいつは別の目的のために置いてるってこと」

「べつのもくてき、ですか」


 それは一体? と言いたそうな口の動きを見せる彼女に、俺は先手を取って答えた。


「ただの、暇つぶしさ」

「へ?」

「暇つぶしだよ。そのままの意味」


 俺はリモコンを操作して、別のチャンネルに変えた。

 画面が切り替わり、今度は旅番組の様子が映し出された。穏やかな川に沿って河川敷をレポーターがペラペラ喋りながら歩いている。

 クローラはいきなり全く別な映像に変化したことに少しだけ驚いたようだが、相変わらずそれについて積極的に追求してくることはしてこなかった。


「テレビって、いくつものカメラと繋がってるから、こんなふうに観る映像を変更することもできるんだ。さっきは人が楽しくおしゃべりしてる様子。これは色んな場所を旅する様子」

「……」

「他には、美味しそうな食べ物をレポーティングする様子……とかね」


 再びチャンネルを変えると、今度は画面いっぱいにケーキやタルトなどの色とりどりのスイーツが。見るだけで思わず涎が出そうなほどの出来栄えである。まぁそれはさておき。


「このテレビに映るのは、こういうものばっかりさ。どう? なんか想像してたのと違うでしょ?」

「……ええ、その、だいぶ」

「だろ。暇つぶしのための道具。映る内容も暇つぶしに最適なもの。テレビってこの世界ですごく普及してて、一家に一台は必ず置いてあると言ってもいいんだけど、大体の用途はそういう娯楽目的なんだ」

「……ごらく」


 呟くように言って、クローラはうつむいた。さしづめ思うことは「そんな余裕がこの世界にはあるのか」だろうか。これはリファの時も言われたな。


「ご主人様は……こういったものを見て……楽しいですか?」

「え……?」

「暇つぶし……という感覚があまりピンときませんが、きっと観て楽しいとか面白いとか思わなければ余興には成りえないのではないかと思いまして」

「ああそういうこと」


 楽しい、ねぇ……。

 そんなこと、考えたこともなかったな。かといって、つまらないと感じたこともないし。


「これはあくまで俺の意見だけどさ、テレビって窓の外の風景に似てると思うんだよね」

「窓の外?」


 いきなりの突飛な表現に、女奴隷は素っ頓狂な声を上げた。


「乗り物に乗ってる時とか、あるいは街行く外の人々を眺めているような、そんな気分。流れるように景色が移り変わっていったり、色んな人が思い思いのことをしているのを観察したりした経験とかない?」

「……ええ、多少は」

「でも心底それを楽しんでいる人っていないと思うんだよ、俺。ただ他にやることがないからそうしてるって、それだけ。テレビってそういうことのために使われてることがほとんどだと思う」


 もちろんテレビの役割がそれだけなわけじゃもちろんない。

 今度はニュースやお料理番組にチャンネルを変えてみる。


「こういうふうにこの世界で起きた事件や知っておくべき情報を報じたり、料理のやり方をレクチャーしたり……人の役に立つような内容のものもある」

「……なるほど。結構バリエーションがあるのですね」

「時間帯やチャンネルによって、やってる番組は本当に様々だからね。暇つぶしに最適なものや、役に立つ実用的なもの、そして……」


 俺はさっきのトーク番組にチャンネルを戻した。

 そこではゲストのアイドルの過去の活躍を振り返るコーナーに突入しており、大きなステージの上で笑顔を振りまきながら精一杯歌唱する彼女の姿が映し出されていた。


「クローラの言う通り、純粋に余興として楽しめるようなものもある」

「……」


 歓声に囲まれて、奏でられる音楽に合わせてノリノリで踊るそのアイドル歌手。不思議とこっちも心が弾んでくるな。随分昔から芸能界にいるけど、今でも全然可愛いし、スタイルもいいし、正直好みのタイプだったりする。


『♪貴方のハート撃ち抜くぞぉ~♥ バァンっ♥』

「おほ~」


 俺はもっとその姿をよく見たいと、自然と身を乗り出してテレビに顔を近づけた。

 かかっている曲も知っているものであったためか、自分でもそれを口ずさんだりしていた。やっぱいいなぁ、この娘……。油断したらファンになりそうだ。


「ほら、楽しいし面白いと思わない?」


 俺がそう言いながら彼女に同意を求めてクローラの方を振り返った時。俺にかかっていたアイドルの魔法は解けた。

 クローラさんは、そのテレビの画面ではなく、俺の方をじーっと凝視していたのだから。

 そう、テレビの中のアイドルに熱狂し、夢中になっている俺の姿を。

 蔑みの感情も、不快な感情も、哀れみの感情も、一切ない。何も感じていない、虚無だけがその瞳の奥に広がっている。そんな目つき。

 やっべぇ、やっちゃった……。いくらこのアイドルが素敵な娘だからって……ちょっとはしゃぎすぎてしまった……。


「あ、いやぁ……これはその……」

「……」

「そ、そう! これもテレビの力なんだよ。番組によっては、面白いあまり今みたいに虜になってしまう奴も出てくるんだ。すごいだろ?」

「とりこ……ご主人様は、ここに映っておられる女性の方の虜なのですか?」


 やめてそんな純粋無垢な目で訊いてこないで。頼むからジョークを軽く受け流せるくらいの感性持って。このままじゃマジモンのドルオタ扱いされちゃうよヤバイヤバイ。

 違うんだ、俺はただ彼女のビジュアルと歌唱力に惹かれてるだけだから。CDもほんの五、六枚くらいしか持ってないし、ライブも過去に二、三回くらいしか行ったことないにわか中のにわかだから!


「確かに……とてもこの方はお美しいです、よね……」


 画面の方をちらっとだけ見てクローラはしゅん、としてしまった。


「やはりご主人様としても、このような人が側にいる方がずっといいに決まってますよね。虜になってしまわれるのも、納得がいきます」

「あ、いや……」

「服や容姿を見る限り、すごく高貴な方のようですし……他にも、生まれ持った素質が違う……こんな薄汚い奴隷とは何もかも。私は、ご主人様の余興にすらならない……何の役にも立たない……ただのゴミ同然」


 いかん、両者を比べるようなシチュエーションになっちゃったよ。これはいくらなんでもまずい。なんとかして慰めないと。この娘はこうなると色々と面倒臭そうだからな。


「あー、まぁそりゃこの女の子はアイドルっていう……美しい女性が名のれる称号を持ってるし、俺以外にも大勢の人から人気を集めてる。けど、それは生まれが高貴だったからとか生まれつきそうだったからとかいうんじゃないぜ」

「はい?」

「実はこの人、ものすごーく貧しい家庭出身だったんだ。早くにして親を亡くして、親戚の家を転々としながら辛く厳しい暮らしを強いられてきたらしい」

「そ、そうなのですか……」


 嘘 だ け ど な 。

 本当は両親とも存命でしかも超有名演歌歌手、自身も超高学歴の帰国子女という富裕層様様なご身分であらせられる。でも正直にそれを話すと、泣きっ面に蜂もいいとこなので、こうしてフェイクマシマシニンニクアブラカラメでお送りしております。


「でも、今彼女はこうしてクローラが高貴な人間と見間違うほどの立場に立ってる。それはなんでかっていうと……この世界は誰でもこういうふうになれるチャンスがある世界だからなんだ」

「ちゃんす、ですか?」

「さっきも言った通り、ここはワイヤードに比べりゃ誰もが平等な扱いを受けられる。何かをしたいと思うのに、生まれは関係ない。大事なのは自分の持つ能力。そしてそれ努力次第でいくらでも伸ばせる。その努力が認められれば、こうして貧しい家の出でも、ここまでの存在になれるんだ」

「努力すれば……なんにでもなれる、ということでしょうか」

「その通り。彼女もそのためにすごく必死に頑張ってきたんだぜ。数えきれないほどの挫折を繰り返し、なんども壁にぶち当たってきても、決して諦めないで続けてきた結果なんだ」


 これは本当。コネや学歴だけでアイドルやっていけるほど芸能界は甘くない。

 ここまで上がってこれたのは、まごうことなき彼女の努力の賜物なのだから。


「でもって、クローラは今日を持ってこの世界の住民の一員だ。つまり、お前でもこのアイドルみたいになれるかもしれないってことなんだよ」

「私が……この方みたいに……」


 クローラは、か細い声でそう言うと、またその画面の中のアイドルに目を向けた。

 その眼差しは嫉妬や羨望といったものではなく、むしろ憧れに近いものを感じた。

 自分でもこうなれる。こうなることができる。奴隷という虐げられることが常だった自分から脱していく。

 自身の在り方を変えていくって、こういうことでいいんだよな……?

 今のでどれだけ効果があったかはわからないけれど、これを機会にもっと自分を見つめ直していってほしいと俺は強く思った。

 よくよく見てみれば、クローラだって負けず劣らず結構可愛いし、愛想だってよさそうだし。色んな所に気を配れば、アイドルだって本当に夢じゃないかもしれない。「奴隷だから」なんて理由で、全てを諦めるなんてもったいなさすぎるって。


「別に俺がとやかく言うことじゃないし、どうありたいかはクローラが決めることだ。伝えておきたいことは、自分がやりたいと思ったら何でも挑戦してみろよって話」

「……それは、奴隷として許されることなのでしょうか」

「俺が許すって言ってるだろ」


 そうくせっ毛ボブの頭の上に手を乗せて、軽く撫でながら俺は言う。するとクローラはこちらを上目遣いで見つめると、少し顔を赤く染めた。


「ご主人様は……」

「ん?」

「私が……このてれび、に映っておられる女性のようになったら、可愛がってくれますか?」


 なるほど、俺を軸にしてきたか。

 きっと他人に命令されるばかりの毎日で、自分の意思で動くことをしてこなかった人間に、「さぁこれからは何でも自分で考えて過ごせよ」というのも酷いえば酷な話になるのかな。それなら、それでも別にいいか。

 俺だって今すぐ変化を求めるわけじゃない。ゆっくり地道にやっていけばいいさ。彼女の第二の人生は、まだ始まったばかりなのだから。


「もちろん。今のお前なら絶対なれるって。もしそうなったら、きっと一日中愛でても飽きないよ」

「ご主人様……」

「あ、今のままでも十分可愛いからね? ただ、服装とか髪形とか、正直もっとテコ入れできる部分はあると思うからさ。そのために何か必要だったらいつでも協力するから、遠慮なく言ってよ」

「あ、ありがとうございます……」


 クローラはそうお礼を言って、三指をつくとぎこちなく頭を下げた。

 テコ入れ、か。お洒落とか無縁の生活を送ってきたのは間違いなさそうだけど、そういう事も含めて今後は学習していってもらうか。あまり俺自身そんな知識があるわけじゃないけれど。


 さてと、一件落着したところで、この次は何をしましょうかね。

 掃除洗濯……は、今日はパスしとくか。いろいろ建て込みそうだし。ぶっちゃけキレイにしたところですぐまた汚れそうだし。


「……そうだ、メシだメシ」


 冷蔵庫の食材がすっからかんになっていたのを忘れたか。急いで買いに行かないと。

 昼飯……は時間的にもういいや。とにかく夕飯の材料だけでも確保しておかないと。

 俺は急いで外行き用の服に着替えて、スマホと財布を買い物袋に放り込んだ。


「ご、ご主人様? 一体どうされたのですか?」


 俺のただならぬ慌てっぷりにクローラはオロオロしながら訊いてきた。


「食材買い足しにいくだけ。これからちょっと店まで出かけてくる」

「そ、それでしたらクローラもお供いたします! むしろ私めが代わりに行ってきます!」

「いやいや、いいよいいよ。初めてこの世界に来たばかりで、右も左もわからないだろうし。家でお留守番しててよ」

「し、しかし……主だけに仕事を押し付けて奴隷の私だけ何もしないというわけには……」

「心配ないって。すぐ帰ってくるから。それに仕事もこれから少しずつやっていってもらうし。とりあえず今日のところはおとなしくしてて、ね?」

「……ご主人様がそうおっしゃるなら」


 そう言って、クローラはそれ以上食い下がることはしなかった。物分かりが良くて助かるよいやホント。

 で、問題なのはもう片方の物分かりが良くない方だったりする。


「おいリファ」


 俺は薄毛布にくるまっている女騎士を揺さぶって起こそうとする。


「んー、なんだマスター……メシができたのか?」


 こいつもこいつで在り方変えて貰う必要あんじゃねーかなぁ。何なんこの親に料理名言いつけるだけでそれが自動で食卓に出てくる精神。ふざけんなよマジ。


「そのメシを作るために今から買い物行ってくるから、クローラと一緒に留守番よろしく」

「なっ!!」


 言った途端に跳ね起きて女騎士は俺の胸ぐらを掴み上げた。


「ど、どういうことだ! 一人で留守番は嫌だとあれほど言っておるではないか! 行くなら私も一緒だ!」

「そうしたいのは山々だけど、クローラ一人で残しておくわけにも行かないだろ」

「置いてけばいいではないか! あんな卑しい奴隷なんて!」

「俺がよくねーんだよ。お前と違って、この世界のことはなにもわかってないんだから」

「うぅ~、でも!」


 置いてかないで~、と言わんばかりに金髪を振り乱して彼女は俺の腰にしがみついてくる。ホントにこいつは面倒くさいなぁ。


「『一人で』留守番は嫌なんだろ? じゃあクローラがいれば文句ねぇじゃんか」

「大アリだ! 私は高貴な騎士だぞ! 奴隷と同じ空間にいるだけでも気分が悪いのに、そのうえ二人っきりだなんて……屈辱にも程があるっ!」


 ……やれやれ、口の減らない騎士様だこと。およそ高貴とは程遠い。

 だが、これ以外に選択肢はない。ここは意地でも言うことは聞いてもらう。こんなこともあろうかと、取っておいた最終兵器を使う時が来たようだ。

 音静かにそれを取り出し、プリプリしているリファに気づかれないよう接近。

 そして。


「ん? どうしたマスター……って、何をする!? ちょ、待てこら……いきなりそんなっ……あっ、あんっ! やめ、やぁっ! んんっ! 離してっ! ひぃん! ふぁぁぁぁん!」


 部屋中に響く甘い嬌声。

 息を荒くしながら、ベッドの上でくんずほぐれつする男女二人組。

 そんな激しい運動はしばらく続き、やがて肩を上下させて熱い息を吐きながら、お互いは身を離した。

 で、その果てに一体何が生まれたのかといいますと。


「くっそー、離せこのバカマスター!」


 毛布と頑丈な針金で簀巻きにされている、哀れな女騎士の姿であったとさ。

 芋虫みたいにもぞもぞと蠢き、ボヨンボヨンとバッタのように飛び跳ねるその様は見苦しいの一言に尽きる。


「悪く思うなよリファ。これも夕飯のためだ」

「何ぃ!?」

「そんな暴れなくても留守番の間だけだ。帰ってきたらすぐ解いてやるよ」

「そーゆー問題じゃなかろうがこのーっ!」


 口も塞いどこうかな。

 と思ったが、流石に可哀想なのでやめにした。


「ってなわけだから、クローラ。なんかあったらこのオネェさんが面倒見てくれるから、仲良くお留守番しててね。あ、拘束は解除しちゃダメだよ?」

「へ? あ……は、い」


 状況が飲み込めてないのか、顔をひきつらせながらクローラは了承した。まぁおとなしくしていてくれれば後はどうでもいい。こうしておけば喧嘩になることもないだろうし。リファも大暴れできまい。万事OKだわ。


「んじゃ行ってくるねー」

「え、えっと……い、いってらっしゃいませっ!」

「ああもう、覚えてろこの外道マスターッッ!」


 お見送りの声と罵声を背中に受けながら、俺は玄関のドアを開けた。


 ○


 二時間後。


「ふぅ、思ったよりも時間食ったな」


 重い買い物袋を肩にかけて、俺はアスファルトの道を走っていた。

 買い物事自体は手早く済ませられたとは言え、バスに時間を取られすぎた。まさか往復で合わせて一時間も待つなんて。こーゆーのが田舎暮らしの辛いとこだ。

 リファのあの拘束もいつまで持つか分からない。まずいことになる前に早く帰らないと。

 バス停から小走りで十分程度。ようやく俺は我が家への帰還を果たすのであった。

 別にアパートが全焼してたり、窓が全部ぶち割れてたりとかはしてない。よし一安心。


「たでーま!」


 玄関の鍵を解錠し、靴を脱ぎ捨てて廊下を駆け抜け、慌ただしくリビングへと直行。


「ごめん遅くなって。ちゃんとおとなしくしてたかー?」


 と、言ったところで俺はフリーズした。フリーズせざるを得なかった。

 別に俺の危惧していたことが起きていたわけじゃない。そのために打った対策は完璧だった。リファはまだ簀巻きのままベッドに転がっているし。衝突や喧嘩の痕跡も全く無かった。

 そう、これですべて済むはずだった。懸念される事態は回避されるはずだった。

 だが、俺は浅はかだった。それは一体何か。


 留守にしてる間に、ゴタゴタを起こすのはリファだけだと思いこんでしまっていたことだ。


 つまり、リファを抑え込んでおいたところで、もう片方が暴れてしまうかもしれないという危険性を考えていなかったということである。


 簡潔に言おう。クローラがやらかした。

 彼女自身の被害妄想ではなく、リアルにやっちゃってた。

 しかも、リファが暴れるよりもはるかにやばいことを。


 彼女は、クローラ・クエリという女奴隷は……テレビに映っていた。

 否。

 


「ど、どうでしょうかご主人様……」


 、彼女はおずおずとそう言った。

 さて、今の一文で状況が理解できただろうか諸君。

 テレビの外枠。これは読んで字のごとく。俺のテレビのパーツそのものである。それを両手で持って、中から顔を覗かせている状況。


 もう一度言うよ、テレビの外枠「だけ」を彼女は持っている。

 わかる? じゃあそこにくっついている「中身」はどこ行っちゃったのよって話なわけ。

 当然だけど、枠だけ取外し可能なんてタイプじゃないからね、俺んちのテレビは。いや、そもそもそんなのがあるのかどうか知らんけど。


 で、さっきの疑問に戻るけど……「中身」どこ行った?


 部屋の中を見渡して探そうとするけど、正直その必要はなかった。

 隠されていたわけでもない。消え去ったわけでもない。探しものはこの狭いアパートの室内の中に、堂々と今も存在していたのだ。

 ただ、俺は認めたくなかっただけなのかもしれない。


 部屋の隅に打ち捨てられた、バキバキに割れた液晶と、ブッ千切れたケーブルと、火花をちらしている精密機器が「それ」だなんて。


 我が家のテレビという重要な財産を無残に殺された俺は、へなへなとその場にへたりこんだ。買い物袋からじゃがいもや人参、玉ねぎが落ちてフローリングを転がっていく。


「私は止めたからな」


 簀巻き女騎士は俺に顔を向けないまま、拗ねるようにぼそっと言った。止めたとは言え、そんな格好でできることなんてたかが知れてる。

 し、しまった……裏目に出たか。でもまさか……なんでクローラが……どうやって……どうして……。


「あの……てれびに映っていた方と同じようになりたくて。私にはそれができると、ご主人様が仰っていたので……」


 うん、言ったよ。一言一句間違ってねぇよ。でも認識が何もかも違ぇよ。それだけで一流アイドルになれるなら総選挙も握手会もやる価値皆無だよ。握手会チケットだけ抜き取られてあとは捨てられる運命のCD達も少しは救われるよ。

 テレビに出てる人のマネをしたかったんだろうけど……なんでそこでそうなるんだよ……そうじゃねぇよ……。くそ、言いたいことは色々あるのに言葉が出ねぇ。


「ご主人様……クローラ、前よりは少し変われてますか?」


 ああ変わったよ。少なくとも第一印象からは180度激変してるよ。イメージぶち壊しだよ。無垢そうな顔して何しでかしてくれちゃってんだよ。

 と、まくしたてたい気持ちでいっぱいだったが、いかんせんショックがでかすぎて何も喋れない。

 何も返事が返ってこないことに少し不安を覚えたのか、彼女は少し焦りながら次のアピール手段を模索し始めた。


「えっと、えっと……あ、そうだ!」


 何かを思いついた後、彼女は小さく深呼吸をして軽く咳払い人差し指を画面の中から俺に突きつけ、パチリとウィンク。

 そして。


「♪あ、貴方のハート撃ち抜くぞぉ~♥ バァン♥」



 大丈夫 ハートはとっくに 木っ端微塵

 ――ご主人様、心の俳句

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