4-3 カノン

雲が流れて行くのをイオはぼんやりと見ていた。

 天中を過ぎた太陽は未だに強い日差しを投げているが、ずっと吹き付けている風のお陰で熱さは全く感じない。

 むしろ、暖かな陽だまりの中にいるようで心地いい。


 ロッカーを出た後、イオはどうしても授業に出る気になれなかった。アンヌに自分の考えを告げた所為もあるし、整備士の放った姉という言葉が、ずっと胸の中で反芻し続けているせいでもあった。

 兎に角、一人になれる場所が欲しかった。

 探しあぐねた結果、イオは北棟最上階にある、屋上庭園に落ち着いてた。

 

綺麗に整えられた芝生が敷かれた庭園に人影は無く、ぼーっとするには最高の場所であった。ほかの授業棟は眼下に並び、覗かれる心配もない。

 イオは体に纏った倦怠感を取っ払うように芝生へ寝ころんでいる。

 背中にあたる芝生がどこか懐かしい。


 自分の中で決着は付けたはずなのに―イオの胸の中に引っかかる重たい感情。

一晩のうちにそう言う感情は全て整理したはずだった。だから、その気持ちを精一杯、モネやアンヌにも伝えてみたのだ。

 

だが― その感情は一向に晴れない。それどころかさらに重たくなっている気さえする。

 何も考えず、寝る。それしか方法が思いつかなかった。

 今はただ、何も考えたくない。

 イオは大きく息を吸って寝るぞッと自分に言い聞かせた。




 眠りに落ちているのか、意識があるのか分からない曖昧な状態がしばらく続いた。夢と現実が混濁している心地は決していいものではない。

 

だが、結果的にそれが功を奏した。

 人の気配にハッと気が付き、眼を開ける。

 頭上、眼前に竹刀の切先が迫っていた。


「うぉッ!?」


 イオは咄嗟に横へ逃げる。

 竹刀はドンっと鈍い音を立てて芝生を抉った。


「なにをしている……?」


 威圧感のある低い声にイオはギョッとして身を起こす。


「お、お前ッ!?」


 眉間の血管がピクッと動くのをイオは自分で感じた。戦闘体系術の教官でもあり、アポロンの怪獣対策を指揮する男、大門モユルがそこにいたのだ。


 以前、授業中に姉を馬鹿にされたことで逆上したイオをコテンパンにいなした男である。イオが快く思っている訳が無かった。

 そんな感情を隠さず、悪意を込めた目で睨みつけるイオを尻目に大門は続けた。


「午後の授業は全部出ていないと聞いたが?」


 その時イオは初めて日が傾き、放課後になっていることを知った。


「関係ないだろ……」


 イオは何時でも食って掛かれるよう身構える。しかし、大門の鉄面皮は一向に動かず、呼気を吐き出す鼻だけが微かに動いていた。

 全てを見透かしているような無感情な顔と鋭い眼光がイオの癪に障る。


「なぜ、自分が負けたか分かるか?」


 予感は的中していた。自分の取れない鬱憤や態度の原因を理解しているのだ。それが分かっていてもイオは敢えてとぼけて見せた。


「ッ……はぁ?」

 厭味を込めた笑みも入れた。


「負けた理由だ」


「ッ……チッ………才能だよ……」


 これは逃げられない―直感したイオは渋りながら答える。


「あたしには才能がない。カノンには才能があった、ただそれだけだ」


 言いながらイオは自分が嫌になった。頭でそう思っていても実際口にしてみれば心にグサッとくるものがある。


「……………こい」

 大門はイオの言葉には返答せず、踵を返すと庭園を歩き始める。


「どこ行くんだよッ」

 叫ぶイオに大門は一切取り合わない。

ただひたすらに歩いていく。不思議にもそれを見ていると、置いて行かれるような気がしてイオは後に続く羽目になった。


 大門は後続するイオを全く考慮せず、すたすたと庭園を横切るとその突端に立った。


 イオがすぐ背後に迫ったのを確認すると大門はスッと西側の棟を指さす。指の先には楽奏室があり、その小窓から防音使用の個室が覗いて見えた。


「ったく………何が―」


 大門の太い指先が指し示す方向へ視線をゆったりと流していったイオは、愕然とし、立ちすくんだ。

 

 言葉を失ったのは衝撃が大きかったから、と言うよりもそこにあった現実の圧力に押しつぶされぬよう、立っているだけで精一杯だったからだ。


 視界は万華鏡のようにぼやけ、輪郭もハッキリとしない光の点と共に回転し、中央に映ったヴァイオリンを弾く少女にクローズアップして行く。


 郎蘭土 カノンであった。


 全身は汗にまみれ、固く閉じられた目が苦悶に呻いている様にも見える。驚くほど精巧で素早い弓の動きは、一音ごとに弓を弾く、デタシュと呼ばれる高度な奏法だ。

 あまりの激しさに弓を握る手は裂け、血飛沫が舞っている。荒々しいまでのその動き、吹き付ける風に混じってヴァイオリンの音色の幻聴が聞こえ来るようだ。


「あぁ……あぁっ……」


 イオは呻く。


才のある人間が何故あそこまで必死に鍛錬しているのか、イオには理解できなかった。カノンともあろう人間が血を流しながら必死に練習をしている。


なぜだ―価値観が根底から覆ってしまいそうな衝撃。天才と呼ばれる人間は持っていずるもの。練習や努力などする必要なんて―イオの脳が混乱し、まともに知覚出来なくなっていく。


「な、なんで……あの人が………」


 同時に理解した。カノンがずっと手袋をつけていた理由。それは地獄の練習で出来た傷や血豆を決して見せない為だったのだ。


 追い打ちを掛けるようにして大門が言う。


「あれがお前に足りないものだ」


 具体的に何かを差さない分、頭には様々な事が思い当り、重くのしかかって来る。それに耐えきれ無くなったイオは少し後ずさる。

 一歩足を弾けば視界はサッと明瞭になった。無論、無意識のうちにイオはカノンから目をそらしていた。


「あたしに……足りない……もの…ッ。いやだッ!」


 次の瞬間には堪らず走りだしていた。

 嫌だった。自分の胸の中にあるどっしりとした重たい感情に気づいてしまう事が。


 敗北の後、起こったその気持ち。

 悔しい―

 それはという気持ちだ。


 だが、それと正面から向き合えば向き合うほど、辛い。悔しさを覚えれば覚えるほど、それに立ち向かわなければという現実があまりにも辛すぎる。

 だから、だから全て忘れたのに―

 頬がくすぐったい。泣いているのだ、と気が付いた。


 胸が締め付けられ、胃がむかむかするのを感じながら、イオは庭園から下る階段を駆け下りて行く。

 丁度、階段を下り終えた所で人とぶつかりそうになり、よろけて壁にもたれ掛かった。


 相手はイオのことなど気にも留めていないかのように、窓から差し込んだ逆光の中、立っていた。

 視界の中で光が次第に解けて行くのを待たなくても、それが百合園セイラだと分かった。


「ッ……」

 イオは言い返すより先に自分の目を拭って涙を隠す。


「あら。薔薇十字さん」

 セイラは澄ました声で言う。


「あなた、ジェミナス降りるんですって?」


「……ッ、お前も………だ、だったらどうしたッ」


「いいえ、別に。ただ………あなたの覚悟ってそんなものだったのね」

 また、溢れて来そうな涙を我慢するのに必死で、イオは初めて何も言い返せなかった。



 その直後、怪獣警報が鳴り響いた。

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