3-6 活路

 自分がどれほどダメージを受けているのか判然としない中、イオは必死に呼吸を続けた。何もしなければ体は悲鳴を上げ、痛みで気が遠くなる。酸素を肺いっぱいまで吸い込んでいるほんの僅かな瞬間だけ、痛みを忘れることが出来た。

 今日ほど酸素の回復力を感じたことはない。

 細胞が活性化し、全力で肉組織の修復に取り掛かっているのが分かった。


 物理的な攻撃を受けたわけではない。しかし、凄まじい音響攻撃は神経を麻痺させ、全身耐え難い苦痛を与えていた。

 それでもイオは立たねば、と思った。

 敵はすぐ次の一手を打って来る。必ず。

 意地でも根性でもない。今もし立たなければセイラへの勝利、怪獣の撃退、全てが運であったことになる。

 

 慟哭するように嗚咽し、口に溜まった大量の涎を右手の中に吐き出すと、イオは床を手で掴んだ。涙で霞んだ顔を上げるとアンヌが目を瞑っているのが見えた。


 アンヌも辛いのだ―イオは震える腕、太ももに力を込めると

「うぬぁあぁぁぁッ」

と絶叫しながら立ち上がった。


 立ち上がったというにもあまりにも弱々しい足つき。


 ズタボロにされていた三半規管のせいでグラッと足元がおぼつかなくなり、イオはステップを踏むようによろける。

 なんとか両足を大きく開き、ようよう胴を支えるようにして踏みとどまったイオは再びアンヌを見た。絶叫に驚いたアンヌが目を見開いていた。

イオは精一杯の笑顔を作ったつもりだったが、逆にそれは痛々しい。


「はぁッ……はぁッ……へ、へへッ……助かった。ありがとう、お姉さま……」

 イオは作り笑いに必死でアンヌが決して表情を動かさない事に気が付かなかった。


「いえ、助かってなんかいない。まだ次が来るわ」

 

「ッ……」

 そっけなく言うアンヌの言葉が少し、胸に痛い。だが、今は戦闘中、致し方なしと納得し、前を向く。


「直ぐに次の攻撃、だな。隙を見せないこと、それが戦いの掟ってやつだろ?」


「違う」

 矢継ぎ早にアンヌが返答し、イオは再び振り返る。


「えっ?」


「次にあの音が聞こえたら、直ぐに左へ飛んで」


「えっ? ど、どういうことだ?」


 それは反撃もせず、カノンの攻撃を受けるという事を意味している。音の攻撃に逃げ場はない。イオの疑問も至極当然で、アンヌの指示は全く意味が分からなかった。

 しかし、アンヌは最後まで真意を教えない。


 と、言うよりも教えることが出来なかった。


「いいから、指示通りになさいッ」

 そう怒鳴りつけた時には既に眼前のオーキッドがヴァイオリンを構えていたのだ。


「来るッ」

 イオが叫ぶ。


 途端に鼓膜が引き千切られるような衝撃がイオを襲う。二度の爆音を受け、ほぼグロッキー状態のイオにトドメを刺すには十分すぎる攻撃。

 あまりの苦痛と衝撃で吐き気を催したイオの喉を胃液が駆け上がって来る。


「左へッ」

 アンヌは堪らず叫んだ。大音響の中そんなアンヌの叫びが聞こえているはずもないが、叫ばずにはいられなかった。


 揺れる視界の中、イオが一瞬だけこちらを振り返る。

 スローモーションのようにイオの目がハッキリ見て取れた。彼女の瞳が何を意味しているのか、アンヌには分からない。

 

 体を大きく仰け反らせて、もだえ苦しむイオ。

 それがアンヌの指示を全うした行動だったのか、それとも突発的な緊急回避だったのか。イオは悶える体を捻り、左へ飛んだ。


 飛んだというよりも倒れ込むと言った方が正しい。

 膝に込めた力が最後だったかのように地面を転がるローズ。数百tの巨体がローラーのように大樹を踏み潰す様は畏怖の感情すら湧きそうである。


 そして―

「音が……消えている……!?」

 両手で地面を支えるように上半身を起こしたイオの痛みは驚きで消えた。


イオの発言は厳密に言えば間違っている。確かに彼女の中では音が消えている。そう、イオが言う音―猛烈な轟音は完全に消え、その代わりにヴァイオリンの甘美な音色が耳を打っていた。

鼓膜を破壊せんとする先ほどの音と対照的に内耳、そして筋肉、神経までもが浄化されていくようであった。


オーキッドは依然として身を揺すりながらヴァイオリンの演奏を続けている。その様子を見て、アンヌは驚きよりも自分の可能性が勝利した安心感でホッとしていた。

これで絶対的な確証が持てた―未だ驚きを隠せず、地面に這っているイオにアンヌは滔々としゃべり始める。


「早く、超音波の特性に気が付くべきだったわ……」


「ちょ、超音波の特性?」


 『音』と言う物に別段アンヌは詳しいわけではない。しかし普通の人が持つ知識に少し毛が生えた程度の知識でも、凄まじい音を聞けば『超音波』という単語が浮かばざるをえなかった。


「超音波の特性、それは極めて指向性しこうせいが高いこと」


「し、しこーせー? ちょっと難しくてよくわかんねぇけど……」


「郎蘭土さんの言葉、何か引っかからなかった?」


「言葉……?」

 首をひねるイオをアンヌは待たない。


「『あなた達にこの曲が聞こえているか分かりませんが』、彼女はそう言ったわ」

 イオがハッと気が付いたように頭を上げる。


「た、確かに変だ。まるであの爆音があたしらにしか聞こえてないみたいな言いぐさだ」

 アンヌは頷く。


「そう。この強烈な音は私達にしか聞こえていないのよ」


 イオは思わず笑ってしまった。緊張感が弾けた所為もあったし、聡明で冷静なアンヌがあまりにも無茶で素っ頓狂な事を言ったせいでもあった。


「お、お姉さま。馬鹿にして貰っちゃ困るぜ。それぐらいあたしでも知ってる常識だ。音ってのは波紋みたいに全方向へ広がって伝わるんだぜ? 子供の頃、科学で教わったしな」


「ええ。それは普通の音が持つ特性。でも超音波は違う。超音波は指向性、つまり音が発生する向きが非常に限られているのよ。ただ……」


「ただ?」


アンヌはイオの向けていた視線を前方のスクリーンへ向けた。


「超音波は……普通、人間の耳には聞こえない」


「じゃ、じゃあ聞こえてるあの音は超音波じゃない? でも、そーなると、しこーせーがあるってのが変になる? って、じゃああの音は一体何なんなんだ?お姉さま」


 イオの疑問はもっともであった。しかしアンヌには返答するだけの知識が無い。イオが回避してくれたお陰で指向性の謎は解けた。だが、そうなると聞こえる理由が分からない。可聴な超音波、そうとしか言いようが無かった。


 長考するように頭を伏せたアンヌに、イオが上を見上げながら頭をしゃくった。


「チッ……あぁぁッ! 分かんねぇッ! いや………一つ分かった事がある。お姉さまの分析だと、つまりあいつはしこーせーとか何とかで前方向にしか音を出せないってことだろ?」


「それは間違いないと思っていいわ」


「それだけ分かれば充分だッ」

 立ち上がり、大きく深呼吸をする。そんなイオを見れば彼女が何をしようとしているかなど、魔女ではなくとも分かる。


「背後から回り込んで、一気にッ……叩くッ」

 ガッと腕を突き上げるイオ。


「ダメよッ 危険すぎる。まずは音の秘密をッ」


 無論静止した。例え、音の弱点が分かったからと言って突貫するのはあまりにも無謀すぎる。対策を考えたわけではないのだ。ただ、敵の攻撃、その内容が分かったに過ぎない。仕組みすらまだ理解したとは言えない。


 言い切った瞬間、アンヌは無駄だと思った。恐らく彼女は自分の言葉を最後まで聞かず、飛び出す。しかし、ローズ―イオは動いていない。それどころか自分の方を向いていた。


「心配はいらないさ。相手は戦闘未経験。でも……こっちにはお姉さまがいる。だったら、私にでも勝てる」


 無責任―とは思わなかった。その代わりにアンヌの胸がどきりと痛む。信頼してくれていることが嬉しいのか、それとも……

 

オーキッドの肩アーマー。六角形のそれが音響攻撃と同時に展開する様子をアンヌは見ていた。肩に秘密がある可能性も考え、それを破壊する作戦も思いついていた。

 だが。イオの目、そして言葉。それにアンヌはただ


「分かったわ」

と答えるしかなかった。


「そんな訳の分からない音、いくら使おうと所詮は音だ。ブラッディローズには傷一つ付けることなんかできるかッ 本当の闘いがどんなもんか、教えてやるッ!」


 間が無かった。言葉を切り終わったイオはフォトンを全噴射し、地面を滑走して行く。

 アンヌは何故上空へ行かないのか― 謎は直ぐ解けた。

 前方に転がったブラッディメアリー。それを片足で蹴り上げるとイオは見事にキャッチ。


「ビームだァッ」

 光軸が大気を貫く。放たれたそれはオーキッドには向かわず、大地を抉った。木々が粉々に砕け、粉塵と火の点いた大木の破片が宙を舞う。


 カノンはすかさず、そこへ音響攻撃を加えた。叩き込まれた音は空中で噴煙を幾何学模様に変形させ、奇妙な紋様のように煙が地面へ捌けて行く。可聴な範囲が一目瞭然であった。

 その煙を突き抜け、上昇する物体。

 カノンは見逃さなかった。体を大きく逸らし、上昇する物体を音で狙う。


 うまい具合に騙されたことがイオに安心感を与えた。上空を舞うのは太刀。囮である。

 カノンが音を放出した時、既にイオは右後方へ回り込んでいた。

 拳を振り上げ、渾身の力を込めるイオ。


「トドメェェェェェェッ!」


 力んだ勢いでイオは目を固く閉じていた。それでも狙いは正確。猛烈なパンチには何の影響もない。固く握りしめられた鋼鉄の拳は正確にオーキッドの頭部を狙い、数秒もしない間に根元からぶち抜くであろう。

 背後を取られたカノンが対応するには時間が無さ過ぎる。

 


 刹那であった。


 背面を覆う、装甲。その全てが弾けるようにして展開すると無数の六角形ヘキサゴンが姿を現す。


しまった―アンヌだけがそう思った。


イオはまだ気づいていない。


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