1-3 ヤンガーサン




アポロン女学院に入学することが出来るのは原則的に貴族だけである。

しかし、貴族以外の人間が入学する方法がたった一つだけ存在する。

それは『魔女』になることだ。


極希に生まれる不思議な力を持つ彼女たちは貴族家を支える為、特別に学院への入学を許可されている。


 決して全員がそうなるわけではないが、貴族家の侍女になれば一生安泰と言ってもいいし、学院で学ぶことが出来る高い教養はほかでは決して得ることは出来ない。

 そして何より、上手くいけば、今までの自分とは全く違う遙かに高い地位が手に入るというステータス。

 平民が自分の地位を上げるための数少ない手段。それが魔女になり、学院へ入学することなのである。


 しかし、だからこそ、入学には凄まじい倍率をくぐり抜けなくてはならない。頭の良さはもちろんのこと、その力の度合いも加味される。

 なんとか、入学の切符を手にしてからも気は抜けない。

 貴族の娘以上に、現状の能力、学習態度などあらゆる場面において評価を求められる。彼女達が果たして貴族を支える存在として相応しいのかどうか。

 

 だからこそ、みなみ アンヌは目覚めると同時に罪悪感と危機感の混じった奇妙な感覚に襲われたのである。

 外はもうすでに暗くなっており、空が紫色に浸食されようとしている。

 時計がない彼女の部屋でもこれが夜明けではないことが分かった。窓の向こうに映る校舎の窓を数人の生徒が往来するのが見える。


 授業を休み始めてもうすでに三週間程が経っている。

 魔女である彼女にはそんなことをしている余裕はないのだが。

 まだ目の奥には眠気が残っているが、それは寝不足から来るものではない。むしろその逆である。


 額に手を当て、目を擦る。頭の鈍痛は少しばかりまともになった様な気がしたが依然として感覚はハッキリとしない。

 大きくため息を吐き、ベッドから身を起こして足を垂らす。

 目を擦った手にはわずかばかり水が付いていた。


 泣いていたのか――

 またあの時の夢を見たんだとアンヌは直感した。

 出来れば思い出したくはない記憶。だからこそ、普段思い出さないような努力を必死にしていた。しかし、記憶は深い傷となっていくら押さえつけてもこうして表層に姿を現す。


 立ち上がり、電気を付け光に目を顰めながら、ドアの隙間に入れられた無数の便箋と樹紙じゅしを掴み上げ、一枚一枚目を通す。


 学院に居ながらここ数週間はまともに授業へ出ていないつけが少しずつ回って来始めていた。紙の中には授業課題の提出を勧告する、脅迫状に似た物も混じっている。

 立場上、授業に出ないことは同時に自分の首を絞めることに繋がる。

 しかし、それを自分では分かっていながら実行できない程、1年前の記憶は深い。あの日から、自分は何が出来たのか考えるだけでも頭が痛む。


 そんな彼女の心を唯一、穏やかにしてくれるのが読書であった。どんなものでもいい。文字の羅列をひたすら目で追い、頭に流し込んでいる間は余計なことを考えなくて済む。勿論、その記憶も。


 詰め込んだ知識が古い記憶を埋もれさせ、自分では探し出せない所まで追いやってくれるのではないかという考えもあった。

 だから、捨てようと思った紙の束の中、図書館からの督促状は見逃すわけにはいかなかった。


 ベッド脇から本を掴むと部屋を出る。


 アポロン女学院の図書館は学院を北棟と南棟に挟まれた中央棟の内部にある。古今東西、集められた百万冊を超える蔵書は調べ物をする生徒には十分すぎるほどだ。

魅力は蔵書だけではない。その見事な装飾と内装の豪華さは多くの生徒を引きつけ、天井に描かれた見事な絵画がその雰囲気をより一層絢爛な物にしている。


 そして、なんといっても3階までぶち抜くような吹き抜けが、書架の列が作り出す圧迫感を緩和し、一種の解放感すら与えてくれる。


 アンヌがその声を聞いたのは、丁度その2階部分で新しい本を吟味している所であった。

 吹き抜けを駆け上がる様にして図書館中に響いたその声に、目当ての本の背表紙に触れかけていた手を降ろし、彼女は2階から1階部分を見下ろす。


 そこには小柄な少女と金髪で長身の少女がにらみ合っていた。


 アンヌの胸が騒ぐ。

 なぜだか。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


モネはまだ、イオがジェミナスになっていない理由をこの時初めて理解した。確かに貴族の娘がこの時期に転校してくるというのは少し違和感がある。――勿論、モネにその違和感を尋ねる勇気は無かったが。


 そんな違和感も図書館でたまたま出会ったセイラが放った、

「あなた、ヤンガーサンだそうじゃない」

の一言で全て解決した。


 ヤンガーサン―あまり褒められるような言葉ではない。貴族の次男女を指すこの言葉。使われるときも決して相手を敬うものではなく、むしろ相手を貶す言葉だ。


 読者諸君にはなぜ、それが蔑称であるのか分からない方もいるであろう。


 一般的に貴族というものは世襲制。つまり、その血によって地位と家系が保障されるのである。しかし、貴族家を継ぐことが出来るのはその長男、長女のみ。次に生まれて来る子供にその権利はない。


 貴族の家に生まれながら貴族ではない。そして、自分の血を残すことが出来ない。それはこの世に生まれてきたことを否定されているようなもの。

 故にヤンガーサンは無意味な存在、哀れな存在として相手を指す言葉なのだ。


 そして、ヤンガーサンである彼女が貴族しか入ることの許されない学院へ入学したという事はつまり、姉、もしくは兄が死亡し後を継ぐ者がいなくなったことを示すのである。


 よりにもよってセイラはその情報をどこからか仕入れ、当人へぶつけて来た。意図は明確。イオを貶める為だ。


「これで納得がいきましたわ。あなたのその下品な言葉遣いと態度。悪いことは言いません。今なら決闘を取り消してもいいのですよ」


「なにぃッ……」


「どうせ、にも乗ったことがないのでしょう?」


 セイラの言葉に言い返せていないイオを見て、モネは図星なんだと落胆する。


「んぬっ……だったらどぉしたぁッ! 乗ったことが無くたって、あんたに負ける気はさらさらないッ!」


 一体どこからそんな自身が湧いて出て来るのか、モネは不思議で仕方がない。威勢よく放たれた言葉が吹き抜けの中を乱反射し、気づけば朝のように無数の無関係な生徒だけでなく、図書館の司書も顔を顰めて2人を見ている。


「はぁっ………本当に、本当の馬鹿ねあなた」


「馬鹿で結構だ」


「………遊びで決闘するのなら辞めた方が身のためよ」


「なんだと……あたしが遊びであんたに決闘を?」


「ヤンガーサンのあなたでも知っているでしょう? ランキングでトップになったものの使命をッ!」


 昨日今日貴族と言う俗世とかけ離れた世界に飛び込んで来たイオでも知っている。その使命を知らない者などいない。ここに居る全ての人間がその使命を知っていた。


「……知ってるさ。ランキングトップになれば“怪獣”と戦えるんだろう?」

 遥か太古の昔より、人類はそう呼ばれる異形の生物と戦ってきた――子供たちは歴史の授業の一番最初にこの事実を学ぶ。


 果ての世界宇宙から飛来するその生物は人類に理解不能な敵意を向け、文明を破壊し市井の人々を蹂躙する。行動原理もその目的も全く不明。人類に出来ることは被害を最大限に止め、素早く対処すること。


 恐怖と破壊、死をもたらす異形の存在に畏怖を込め、人々は『怪獣』と呼んだ。

そんな怪獣とアイアンメイデンを使い、戦うのが青き月の会で1位になった者の使命なのである。読者諸君の感覚であればそれは到底回避したい事実かもしれないが、貴族である彼女たちにとって怪獣と戦うという事は、大変な名誉なのである。


町を襲う怪獣を撃退したのが自分の娘となれば、一族の誇りにもなりうるし、貴族と言う立場が形骸化しつつある現在において、庶民が貴族の立場を容認する理由にもつながる。

ゆえに怪獣と戦うことはアイアンメイデンを駆る少女たちに与えられた特権なのである。


「戦える……? あなた、意味が分かって?」

 セイラが笑う。いつもの相手を呑んだ笑いである。

 わざとらしく口元を押さえながらセイラは続けた。


「遊びじゃないのよこれは。仮に1位になったとして、あなたにこのガーデンを守る才覚があって? あなたに一億の人々の命を背負えるだけの覚悟があってッ⁉」


 まただ。セイラの纏った苛烈極まるオーラがイオの首を締め上げる。


「私も鬼じゃない。あなたの気持ちも分かるわ。そりゃ、庶民からすれば怪獣退治は華麗な英雄談のように見えるかもしれない。でもそれは大きな間違いよ。怪獣と戦い、人の命を守るというのはあなたみたいな生半可な気持ちでやってはいけない事なのよッ!」


 精神的アッパー。痛い所を突かれたイオはぐぬぬと顔を歪める。


 セイラの発言に対し、イオは反論の出来る言葉を持ち合わせていなかった。セイラの言葉の裏には自分がその責務を果たしてきたという絶対的な事実がある。しかし、ただ黙って聞いているだけでは腹の虫がおさまらない。

 彼女に出来るのは感情に任せ、自分の気持ちをぶつけることだけだ。


「た、確かに……確かにあたしは怪獣と戦う事に憧れているだけかもしれない。でも…それだけじゃあないッ!」


「他に何があって?」


「あたしにとってそれは憧れじゃあないんだッ! それは、それは実現させなきゃならない事なんだッ!」

 セイラがイオから視線を外し、笑う。


「あたしは1位にならなきゃいけない……怪獣と戦わなきゃならないんだぁッ!」


「本当に聞き分けのない子……」

 呆れてため息を吐くセイラを無視し、イオが続けた。


「もし、もしあたしが負けたら……もう二度と月の会には入らない」

 セイラもその一言を見逃すわけにはいかなかった。


「なんですって……?」


「聞こえなかったか。あたしが負けたらもう二度とアイアンメイデンには乗らないって言ったんだ。それもただの口約束じゃないぜ。ここに居るギャラリーが全員証人だ」


「あなた、本気で言ってるの?」


「ああ。勿論本気だぜ。あんたの言うようにあたしが怪獣と戦う素質があるかどうか、命を背負える人間かどうか、試せばいい。素質が無いなら辞める、ただそれだけだ」


「ふ、ふあはははは! ここまで馬鹿だとは思わなかった。いいわ、明日、楽しみにしてるわ!」

 セイラは高らかに笑いながら図書館を出て行く。

 二度目の華麗な去り姿にイオは改めて癪に障る奴だと思った。


「……い、イオちゃん大丈夫?」

 イオの後ろで一歩引いたまま傍観していたモネが駆け寄る。


「ああ、なんともないさ」


「そ、そうじゃなくて……あんなこと言っちゃって」


「あ、ああ。背水の陣ってやつさ!」

 まさか、勢いで言ってしまったこととは口が裂けても言えない。


「い、いきなりトップと戦わなくてもいいと思うよ。コツコツランキングを上げて行くのだって大事なことだし……」


「いいや。ダメだね。あんな所で引き去ってたらカッコが付かない。それに、人生ってのは一歩でも退いたら負けなんだ」


「はぁ……引いたら負けって、手押し相撲じゃないんだから……」


 モネは呆れるような気の抜けた嘆息を吐き出した。


 司書が喉を鳴らして咳払いすると集まって騒いでいたギャラリーがサッと姿を消す。イオとモネも気まずくなってそそくさと書架の中へ消えて行く。


 その後姿をしばらくの間、南 アンヌは見つめていた。



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