2-4 繭

 多くの人々は生物と言う物を、あまりに単純な理論と見聞で定義づけていた。生物は徐々に成長して行くもので、大地から自生するものだと。


 だが、それはあまりに浅はかな考えであった。

 時として、最強の生物は宇宙そらからやって来る。



 その男がそれを発見したのはガーデンの南東、森林区域だった。

 

 ガーデン内の大気組成を賄う重要なシステムである森林区域は人口に対し、かなり広大な土地が割り当てられている。かといって、厳重な管理がなされ人工的に成育率が高くなるよう、植生の調整が行われている訳ではない。


 雄大な大地を捨てて、空へ上がった人々の自然への強烈な憧れと羨望が森をあえて、自由で繁雑な環境として残すことを選んだのである。


 故に森は深く、暗い。

 自然は必ずしも生物―とりわけ人間を受け入れるわけではないのだ。


 男の住まいは森の入り口から少し下った谷にあった。都市部の喧騒を嫌って、この地に一人移り住んで十数年。まるで自分が本物の自然の中に身を置いているのではないかと錯覚する瞬間がたまらなく好きだった。


 男にとって自然―森は憧れでもあり、共に生活の一部であった。毎日昼前には山へ入り、生活に必須となる薪の材料や野草を取る。

 そんな不自由な生活が男に充足感を与えてくれていたのだ。


 山に分け入ってしばらく進んだ、深い森の中で見たそれは男にとって見慣れない物だった。十数年、山へ入っているのだ。見覚えのないものを見ることなどここ最近はめっきり無い。


 それは男の興味を一身に引いた。


 切り株にべったりと張り付いた白く透明な謎の物質。ある程度の粘性を持ったその物質は木にへばり付き、ゆっくりと地面へ向かって垂れている。


 少し近づくと男は透明の中に微細な虹彩を持った粒子が混じっている事に気が付いた。思わず、キレイと言う印象を受けるが、その美しさは自然の中において異質だ。関心は直ぐに不安と警戒に変わった。


 恐る恐る手に取るとドロリとした感触と中途半端な弾性が指先から伝わって来る。鼻へ近づけると甘い香りが奥をくすぐり、追って喉を指すような刺激臭が漂う。


 思わず男は手を振るって物質を振り落とした。


 目でそれを追った男は地面に全く同質のものが落ちていることに気が付く。落ち葉の上に付着した物質。ほんの数時間前に発生した物だと悟った。


 物質はそこから、森の奥へ奥へ点々と続いている。

 男は次第に目で追うのを止め、物質を辿る様に歩みを進めていく。

 少し歩いたところで男は足を止めた。


 急に木々が遮っていた光が差し込んだからだ。

 森の中に突然開けた場所があることはさほど珍しいことではない。しかし、ここは何度も通った場所。そんな開けた場所があった記憶は無い。


 ふと、頭を上げた男は漏れそうになった声を必死に抑えた。

 三mほどの巨大な球体が木々をなぎ倒し、地面へめり込んでいる。毒々しいまだらの斑点と幾何学的模様が交差するその球体を先ほどのゲル状物質が包んでいた。


 恐怖が足先から這い上がって来る。

 鼓動が耳の中ではっきり聞こえる。

 繭だ―男は直感した。


 見るのが初めての彼でも、子供の頃学校で叩き込まれた知識はそれが如何に危険か直ぐに理解できる。この奇妙な紋様と形状、そしてゲル状物質。


 これは怪獣の繭なのだ。

 怪獣は宇宙からやって来る。繭に乗って。


 知らせなくては―と思うよりもまず逃げなくてはと、言う生存本能が働く。ゆっくり、繭を刺激しないよう後ずさる。


 視線は一点。繭だけを捉えている。彼もまさかこの中に怪獣が入っているなどとは思わない。生命を感じる胎動も熱も無い。だが、それは来襲するたびに数百、数千、時には数万の命を奪う怪獣の繭なのだ。


 しかし、こうも静穏ではまるで実感が湧かなかった。

 だが、怪獣は今まさにその活動を始めんとしていたのである。

 

 最初は異音だった。腹を下した時のようなぎゅるぎゅると言う音が森に反響しはじめる。異音は騒音へ変わり、激越な光が辺りを包む。


 光は熱と衝撃波を含み、男は目を覆いながら数十m吹き飛ばされた。

 目は見えなかったが、男はすぐ傍に存在する巨大な存在感に打ち震えた。近傍にいる死に呼吸が乱れる。


 必死に目を擦り、視界を回復させようとするがぼやけた世界は一向に明瞭さを取り戻さない。逃げようにも足がもつれ、まっすぐ歩けない。

 ぎゅもぉぉぉぉんッ!という咆哮に男は振り返る。


 繭の比率からは考えられない50m近い巨体。凶悪なシルエットはぼやけていても分かった。

 怪獣に視線を注がせたまま、這いつくばる様にして逃げる。


 瞬間、大きな影が視界を遮る。

 やっと回復して来た目は死を捉えた。


 男に迫る細長い触手が、彼の最後に見た光景になった。

 凄まじい力が彼の身体をめしゃりと潰し、血と肉の塊になった男は怪獣の口へ無造作に頬り込まれた。


『ぎゅもぉぉぉぉんッ!』

 怪獣はこれから起こる、死と破壊を知らせるかのように再び咆哮した。

 

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