2-3 過去

 次の授業を知らせる鐘が鳴ってもイオは立てなかった。


 習練所の入り口にあるシャワー室に満ちた湿気のようにイオの心はどんよりと曇っていた。火照った体の相まって不快だ。


 頭を拭くつもりだった長い、タオルも首から下げるだけで一向にその役目を果たさない。イオはベンチに腰かけたまま、床を見つめている。泣こうと思ったがやめた。

 

姉という過去を抉られたことに対するショックと怒りは確かに決して心安らぐものではない。ただ、一方で大門の言った言葉も突き刺さる。


「力無き怒りは無力」―自分が無力だとは認めたくはない。なぜなら、事実彼女はセイラに勝ったのだから。

 

だが、この言葉が深く突き刺さるのは心の何処かに思い当たる節があるからなのだろう。イオはそれがたまらなかった。

 

 自分は無力な人間なのだろうか?

 自分はそうだとしても姉は――


「大丈夫? イオちゃん」

 シャワー室のドアを開け、モネが入って来る。手には薬箱とイオのインナーを抱えている。

 ベンチに薬箱を載せるとモネはインナーを手渡す。


「ほら、ちゃんと着てないと風邪ひくよ?」

 イオは顔を上げ、インターを受け取ると申し訳程度に笑った。

 笑いかけられたモネの顔は心配に染まり、微笑み返しては来ない。


「ありがと」

 モネは無言で救急箱を漁り、脱脂綿と消毒液を取り出すと、イオの口元に当てる。転げた拍子に彼女は口を切っていたのだ。


「もう、吐き気はしない?」


「ああ、しない…………いッ」

 傷口にしみるアルコールに思わず顔を背けるが、モネは淡々と処置を続けながら答える。


「そっか……よかった」


 気を使っているのが分かった。色々言いたいこと、聞きたいことがあるのだろうが彼女の性格では無理なのだ。この友人は自分の為に次の授業も投げ打ってくれているのだと思うと、イオはあばらが引き締まるのを感じた。


 首から掛かった、タオルを掴み、強く握りしめる。

 フッと息を吐くと、イオはなるべくいつも通りの口調でと気を付けながら、口を開く。


「姉さんのことだろ……?」


「えっ……」

 脱脂綿を袋へ戻していたモネの手が止まる。ゆっくりとイオを見つめたモネの顔は明らかに動揺していた。


「い、いいんだよ、イオちゃんが話したくないなら。無理に話さなくても……」


「ラムダって言葉で大体察しがつくかもな………」

 モネは心を見透かされた気がして、視線をイオから外した。


「いいんだ。別に気にはしてない」


 ここ数年のうちでもっとも人々の心に残っている事件があるとすれば、半年前に起きた人工浮島プラトニックガーデン『ラムダ』の轟沈であろう。


「あたしの姉さんは元々、ラムダの女学園でメイデンを駆って護衛に当たってたんだ。もちろん、トップジェミナスで幾多の怪獣とも戦ってきた。だが、半年前のある日、襲来した謎の怪獣との戦闘でコクピットごと貫かれて………」


 いつの間にか、イオの声が震えていた。


 怪獣は次鋒のメイデンが出撃する間もなく、ラムダを壊滅させた。脱出艇に乗り遅れた数千万の人間が爆裂するガーデンと共に消え去った。


 怪獣との戦闘により、彼女の姉は消息不明。薔薇十字家のアイアンメイデン―ブラッディローズだけが後に回収された。


 ラムダの壊滅は貴族の意義を再確認させる事態として何十回、何百回も聞かされている―勿論、責任の集中を避ける為、ジェミナスの名前は伏せられていたが―。

だからこそ、イオが背負ったものの大きさが痛いほどわかる。


「っ……」


 モネにはかける言葉が見つからなかった。イオがヤンガーサンだとは知っていたし、それはつまり親族が亡くなったことだとも理解していた。しかし―こういう時はどうすればいいのだろう、勉強やマナーは完璧なはずなのに言葉が出てこない。代わりにイオが口を開く。


「だから、あたしはヤンガーサンなんだよ」

 イオの笑顔は悲しげだ。


「ヤンガーサンってのは……結構つらいぜ。幼い時から、家族は姉一筋だった。姉が立派に育って家の顔になる為に両親は心血を注いだ。恐らく、自分の命なんて顧みてなかったんじゃないかな……」

 2人目の娘―イオが生まれた時、彼女の両親はどうおもったのだろうか?


「物心つく頃には奉公に出されて、家にいた記憶が殆どない。2人とも、姉さんのことで手一杯だったんだろうな。愛は全て、姉さんでせき止められてあたしには一滴も回ってこなかったよ……」

 モネが大きく息を吐く音が聞こえた。


「だからって、姉さんのことが嫌いなわけじゃない。姉さんは偉大な人だった。あたしの憧れだったんだ。家族の中で唯一あたしにも対等に接してくれたのは姉さんだけだった。そんな姉さんを貶されて、黙っては置けなかったんだ……」

 モネは伏し目がちで首を振った。


「姉は決して無力なんかじゃない……」

 イオはぼそりと呟く。


「もちろん、あたしだって……」

 再び沈黙が流れた。


「お姉さんが大好きだったんだね」

 沈黙を破るように、モネが無理やり明るく問いかける。


「す、好きってわけじゃないが……あたしの理想を全て持ってた。強くて優しくて……たまに帰ってきたときなんかにはさ、よく水浴びをして遊んだんだ」

 一瞬、イオの顔がふわりと明るくなるのを感じてモネも微笑む。


「そんな姉さんがいなくなって……奉公先から呼び戻されたと思えば即学院へ入学。馬鹿だよな、今まで必要もされたことも、愛されたこともない家の為に戦うなんてさ」


「それは……」

 それは―違う、間違っている、なんて言葉はとてもモネには吐けない。


「でも、いいんだ。あたしは間違っても家の為に戦ってるんじゃあない。あたしは姉の仇を討つために怪獣と戦う」


「仇……?」


「ああ、仇さ。姉さんを殺した怪獣はまだ、完全に倒されてはいない」

 モネも聞いたことはあった。だがそれはあくまで噂話としてだ。


「でも、それって…」


「分かってる。ホントかどうかは分からない。でも……あたしの姉さんを倒した怪獣なんだ。ちょっとやそっと、たとえラムダの爆発で死んでしまうようなやわな奴じゃ、絶対にないッ!」


 それを希望と呼んでいいかは分からない。だが、モネは力強いイオの言葉に大きく頷く。心からの同意と彼女への激励だった。


「うんッ! まだ、その怪獣が生きてることを信じる。それにイオちゃんがその怪獣を倒すことも信じるよ!」

 友人の励ましにイオも唇をぎゅっと締める。


「姉さんの仇を討つためにもあたしはトップで居続けなきゃいけないんだ。あんな野郎の言葉にめげてちゃいけないんだ」


 すくっと立ち上がり、拳を固く握るイオ。

 眉を大きく上げて、モネが微笑む。いつものイオに戻った気がした。


「うん。でも……下は履いた方がいいかな?」

 イオは自分の素っ裸で火照った体を見て、あはは、と苦笑いした。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 シャワー室を後にして校舎へ戻る二人。

 習練所は少し登ったところにある為、南棟に変える為には石造りの階段を下って行かなければならない。

 イオは生乾きの髪の毛をタオルでごしごし擦りながら、モネのあとを行く。


「悪いな、あたしの為に授業すっぽかしちゃって」


「ふふ……いいの。私こうゆうの一回やってみたかったんだ」


「こーゆーの?」

 少し先を歩いていたモネが振り返る。


「サ、ボ、り」


「ふっ…もしかして初めてなのか?」

 モネは静かに首肯する。


「ったく……モネは真面目だなぁ、あんまり真面目になりすぎると逆におかしくなっちゃうぜ?」


 モネは顔を綻ばせて

「そうかなぁ」

と言った。


「ああ、昔の偉い人も言ってた」


「だれ?」

 意地悪くモネにイオはもたつく。


「えっと……だれだっけ?」

 モネはくすすと笑う。


「と、とにかく、さぼる時はいつでも付き合うよ」


「たまにだよ?」

 と、イオはその時。

モネの後方、丁度坂を下り切った構内への入り口に人が立っているのを見つけた。


「あれは……」


「えっ?」

 モネも振り返る。


「南さん、か……」

 イオが呟く。


「ほんとだね。でもなんであんなところに……」

 二人は少し速足で階段を駆け下り、入り口で佇立するアンヌへ歩み寄った。アンヌは物憂げな視線で二人を数回視線で追うと、イオに照準を合わせた。


「南さん……えっと、昨日はどうもありがとうございます。南さんのおかげで無事、勝てました……」

 変な感じだった。形式的にこんな定型文を言うなんて性に合わないとイオは思った。だが、彼女の雰囲気がなぜかそうさせてしまう。


「こ、これからもよろしく――」


「あなたが次の授業に出ていないと知って、ここで待ってたの」

 アンヌは有無を言わさずイオの言葉を遮った。喋った内容はイオとモネの疑問を明らかに察したものだ。


「えっ……と」


「単刀直入に言うわ。悪いけど、今日限りであなたとのジェミナスを解消させてもらいます」


 膝の力が抜けるのを感じた。セイラの言葉とはまた違った精神的な攻撃。

 ボディーブローではなく、止めを刺す一撃が彼女の心臓を激しく鼓動させる。


 「何故、どうして?」その言葉が出ない。


 胸が苦しい。

 ―少なくとも彼女には―当然に思える疑問は意外にも傍で黙視していた友人の口から出た。


「な、なんでなんですか⁉」


 アンヌの目玉がギロッとモネを見る。


 モネは彼女の視線にドキッとした。

 

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