2-2 戦闘体系術

 空は気持ち悪いほどに晴れ渡っていた。


 雲は頭上に一つも顔を見せず、人口投影式の青が一面を覆い尽くしている。清々しすぎて逆に不気味なほどだ。


 北棟から少し登った場所にある第1屋外習練所はいわば巨大なコートである。地面には人工の芝が埋められ、外周を囲うようにケヤキが等間隔で植えられている。


 晩夏の心地よい風はグランドを撫で、ケヤキの葉を薙ぎ散らす。


 薔薇十字 イオは大きく伸びをすると、打ち込んでくる勿忘草 モネの持ったロッドを軽くいなした。


「イオちゃん、ちゃんとやらないとダメだよ」

 言いながら、笑うモネの棒にもさほど力は籠っていない。


「だってさぁ、怠いでしょこの授業……」

 グレーの学院指定トレーニングウェアをパタパタと手で仰ぎながらイオは腕をだらんと垂らしたまま応える。その言葉に力はまるで入っていない。


「ちゃんとしないと、教官に怒られるよ……」

 モネもじっとりと濡れて来た額と首周りを拭う。風は吹いているとは言え、まだ体を動かせばすぐさま発汗してしまう季節。


「モネだってほんとはめんどくさいと思ってる癖にぃ…」

 イオはニヤリとして友人を見る。


「わ、私は……体動かすの苦手だし……」

 モネはきまり悪そうにロッドで芝を突っつく。


 状況判断能力と戦闘能力はいずれも貴族の娘の嗜みの一つだ。

 貴族として一人前になる修行を行うアポロン女学院では、生徒達が淑女として力強い戦闘を出来るよう教育を行う必要がある。


 それが、戦闘体系術である。


 基礎的な体力作りから、あらゆる武道、護身術まで。

 卒業するころには、立派に戦うことの出来る強く逞しい淑女に生まれ変わる。

 無論、ハードな運動を好む生徒が少ないようにこの授業に乗り気な生徒はごく少数だ。別の授業に移ろうにも、必修のこの科目を捨てることはできない。


 イオは昨日の戦闘をぼんやりと思い返しながら、今日のカリキュラムである棒術のロッドを持ちなおす。


 体を動かすことが嫌いなわけではない、だがこうして授業と言う形で形式化されるとどうも身が入らない。強制されているのがたまらないのであろう。


 加えて、先の戦闘である。

 仮にも初戦闘で現1位であったセイラを破り、大番狂わせをやってのけたのだ。それが真の実力ではないことを彼女は分かっていない。

 いや、分かっていたのかもしれないがいきなりトップへ躍り出たという絶対的な事実が彼女の心の中に尊大な慢心を生んでいた。


「ったく、こんなことし無くたってあたしは1位なんだから。練習するだけ時間のむだむだ」

 鼻の下を掻きながらイオは棒に寄り掛かり、笑う。グランド中央ではまだ彼女たちよりは多少真面目な生徒がお互いのロッドを握って打ち込みあっている。


「はぁ……まあ、確かにセイラさんには勝ったんだもんね……」


「そう、余裕、余裕。モネにも見せたかったなぁ……あたしの華麗な闘いを……」


「見てたよ。全部」


「えっ⁉」


「し、知らないの? 決闘は中央棟で観れるんだよ」


「ま、マジかよ……え、じゃああたしが結構やれてたのも?」

 モネは頷く


「うん。ボコボコにされるのも見てたよ。凄かったねあれ」

 悪意無く笑うモネ。


「ぼ、ボコボコって……あはは、あははは……」

 てっきり、自分の戦闘を見ていないと思っていたイオは苦笑い。


「でも、あれだけやられても勝ったんだもんね」


「そ、そうだよ! だから1位のイオ様にはこーんなちんけな練習なんて時間の無駄。無駄、無駄」

 イオはロッドを掴むとくるくると回転させ、芝へ突き刺す。


「哀れなものだな」

 突然の野太い声にイオは肩をびくりと震わせた。声には聞き覚えがある。

 待機中のアイアンメイデンで聞いた声。この授業の指導教官の声。

 イオは恐る恐る振り返る。


 そこには紫のジャージに身を包んだ、がたいのいい男が立っていた。

 フルリムのサングラスが鈍く光り、表情や視線は殆ど読み取れない。

 大門だいもん モユル、戦闘体系術の主任教官だ。


 大門は片手に持った竹で出来た太刀―竹刀を杖に様に使いながら、イオの背後に立っていた。


「きょ、教官……びっくりさせないで下さいよ」

 イオは大きく安堵の息を漏らし、笑う。


「哀れなものだ。なぜ、大事な授業をさぼる」

 男は表情一つ変えず、そう呟く。


「へっ? やだなぁ、教官。あたしはトップジェミナスですよ?」


「それがどうした」


「それがどうしたって……へへっ、こんな授業は意味がないってんですよ」


「意味がない?」


「ええ、あたしは強いんですよ? こんなちまちました練習よりも、さっさと怪獣の一匹や二匹、やって来てほしいぐらいですよ!」

 イオは余裕綽々で笑う。


 大門は無言でそれを聞き終わると竹刀を持ち、イオに迫る。


「怪獣と早く戦いたいか?」


「ええ。そりゃもう」


「怪獣には余裕か?」


「もちです」

 イオは笑いながら、サムズアップを見せつける。


「そうか………じゃあ俺など屁でもないだろう?」


 ―えっ―と驚く隙も無かった。

 一気に踏み込んで来た大門は竹刀振るう。丁度切先はイオの顔面へ向かって。

 まずい―イオに出来るのは恐怖で目を固く閉じること。

 しかし、予想していた顔への衝撃はまるでこず、アキレス腱に一瞬、違和感。襲う浮遊感。


 ドンっという衝撃と共にイオは地面へ仰向けに転倒させられていた。


 目を開けると、竹刀は顔面寸前の位置で停止したままだった。フェイントだったのか、イオがそう思うや否や大門は竹刀をぐるりと回転させ、イオの頭へ突き付ける。

 驚きと頭を痛打した痛みで何が起きたのか理解できないままのイオに大門が続ける。


「そんな力で怪獣が倒せるのか?」

 視界はぼやけたまま、内耳で男の声が反響する。


「血は争えんという事だな」

 大門の言葉に引っかかるイオは苦し紛れに声を絞る。


「な、なに……」


「そんな力しかないから、お前の姉もラムダも守れなかったのだ」

 意識が一瞬で覚醒した。

 跳ね上がる様にして飛び起きたイオは問答無用で大門へ掴みかかる。


「お前ッ! 今なんつったぁあッ!」

 余程激高したのか、紅潮した顔には汗が流れる。

 胸倉を掴まれた大門は一切表情を変えず、変わらぬ口調で続ける。


「お前の姉はラムダを守れない、愚か者だと言ったのだ」


「ッてっめぇぇぇッ!」

 振り上げた拳は、しかしすぐさま大門に受け止められる。


「お前の姉も自信だけは人一倍あった。だが、自信だけでは怪獣とは戦えん」

 荒い鼻息がイオの身体を震わせている。


「悔しいか? 姉をこけにされて辛いか?」

 眉間に皺をよせ、イオは大門を睨む。


「ではなぜ、俺を打ちのめさない? なぜか、教えてやろうか? お前には力が無いからだ。力なき怒りは無力ッ!」

 イオの右手を掴む大門の手に力が入る。


「無力な弱者に未来はないッ!怒る権利もないッ! 己の無力さを恥じるがいい、薔薇十字 イオォッ! 哀れな淑女の妹よッ!」

 腹部へ刹那に叩き込まれたフックでイオはその場へ倒れ込む。

 内臓深くまでめり込んだその拳は朝食を逆流させ、酸っぱい胃酸を芝生へぶちまけさせた。


 モネが咄嗟に駆け寄り、

「だッ、大丈夫⁉」

とイオの背中を摩る。


友人の慰めの言葉も聞かぬまま、イオは「くそッ! くそッ!」と小声で汚れた芝生を何度も叩き続ける。


 モネが顔を上げると大門は踵を返し、立ち去さっていた。笑いながら去る大門をイオは充血した目で見つめる。


 終業を知らせる鐘が丁度鳴り始めていた。

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