第14話 祭りの前に


 八百屋の田中くんの苗字が変わった。これからは山中くんになる。

 あんまり好きな奴じゃないけど苗字が変わったことで、これまでと違ったつき合いが出来そうだった。

 一度、修二と家に遊びに行くと照れくさそうに「田中と山中だから『田』が『山』に変わっただけだから、あんまり変わんないんだけどな。これからもよろしく頼むぜ」と言っていた。

 山中くんは気にしていないようだったけど親が変わったんだから、きっとすごいことなんだろう。

 もっと驚いたのは、てっきりお父さんが変わったとばかり思っていたけれど、変わったのはお母さんの方だった。人の家はいろいろある。

「今度のお母さんはいろんな物を買ってくれるんだぜ。僕の部屋を見せてあげるよ」と言って山中くんは僕たちを部屋に案内した。

 そこには見たことのない玩具や怪獣や戦車のプラモデル、ボードゲームが部屋中を占領していた。そこはもうすっかり山中くんの部屋だった。

「すごいだろ」

「田中くん、じゃなくって、や、山中くんがうらやましいよ、僕が持っていないものばかりだ」修二が羨ましそうに見ている。

「この怪獣図鑑、ちょっと見せてくれよ」

 修二が真新しい図鑑を手に取って言った。

「いいよ」山中くんは快く応えた。

 文哉くんと一緒になって松下くんをからかっていた時とは別人みたいだった。

 お父さんが違うお母さんと再婚して苗字が新しいお母さんの苗字になる。八百屋はどうなるんだろうか?

 僕は自分の父と母にそんなことになって欲しくなかった。もしそんなことになったら僕はどうすればいいんだろう? 叔母さんとの関係はどうなるのだろうか?

「八百屋はやめることになったんだ。色々あって。お父さんはあんまり話してくれないからよくわからないけど」

「八百屋がなくなったら、みんな困るんじゃないのか?」修二が怪獣図鑑を見ながら言う。

「お父さんが誰かあとをやってくれる人を探してるところなんだ・・あ、それ、見たことのない怪獣だろ」

「見たことない、すげえ」二人の会話を聞きながら山中くんの勉強机を見ると今のお母さんらしい人とお父さんと山中くんのどこかで撮ったらしい写真が飾られてある。

 新しいお母さんはすごい美人だった。こんな美人のお母さんだと前のお母さんを忘れるものなのだろうか?


「田中くんが山中くんになってしまった」僕は冗談ぽく母に話しかけた。

 あくる日、母と商店街に向かっている時にそう言うと「あそこの家も色々大変みたいよ」と母は陽射しを眩しそうにしながら答えた。

「でも山中くん、お母さんが変わっても平気みたいやった」

「ほんまにそう思うか? 急に修二くんのお母さんが今日からあんたのお母さんや言われたら、平気か?」

 だから、僕は平気じゃないんだって。そんなことも言えないまま文房具屋を過ぎ銭湯の前を通った。母には叔母さんみたいに「水の匂い」はしないのだろうか。


「この前、大丈夫やったか?」

 案の定、銭湯からあのおっさんが出てきて声をかけてきた。このおっさんとは何か縁でもあるのか?

「な、何にもあらへん、大丈夫や」今日は母と一緒なので気まずい。

「元気ええなあ」おっさんはそう言うと母に「いつもお世話になってます」と声をかけ頭を下げた。母も丁寧にお辞儀を返した。

 おっさんが見えなくなると母は「陽一、花火、買ったろか?」と言った。

 せっかくなので「線香花火とねずみ花火を買って」とねだると母に「さっきの人と何かあったんか?」と訊ねられた。

「自転車でこけた時、あのおっさん、見とったんや。かっこ悪いところ見られてしもうたた」

「なんや、陽一に何かあったんか思うたわ。怪我せんかったんか?」

 幸いにも母に自転車でこけた場所は訊かれなかった。

「大丈夫や」と答えると母は安心したようだった。

「あんまり心配させんといて」

「うん」

「そや、駄菓子屋に花火売ってるやろ」

 母は薬局で買い置き薬の精算を済ませると商店街の奥に向かった。

 小川さんは居らず、おばあさんがレジ横の椅子にちょこんと腰掛けていた。

 あの時のことが遠い日の出来事に思えた。あのおっさんからもらったビー玉はどうなったんだろう? あの時のアパートから聞こえた女の子の叫ぶ声は本当に小川さんだったのだろうか?

 花火を買うとおばあさんはくじのことを忘れているようだったけど、母が言うとくじを引かせてくれた。

 また3等だった。お母さんは3等のお買い物券を僕にくれた。これを早く叔母さんに渡して全部使いたい。叔母さんはお祭りを見に来てくれるだろうか?

 お祭りでは参加者にサイダーや駄菓子をくれるらしいけど、早いもの勝ちらしい。

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