第8話 ショッピングモールにはドキドキがいっぱい

 その週末に予定されていたイベントは、地元のショッピングモール。 不安は二つ。 握手会が大丈夫かな、ということと、知り合いに会わないかな、ということ。

 そんなことを考えていたからか、衣装のシューズに履き替えるのを忘れちゃって、用意された控室まで一人で戻ってきた。


 シューズを履き替えて改めて会場の広場へ向かおうとするも、一向に広場が出てこない。 おかしいと思って近くにあるマップを見てみたら、ここはA館で広場があるのはC館みたい。 控室がB館だったから、逆に来ちゃったんだ。

 仕事のスマホを見てみたら、あと15分ほどでイベントが始まる時間になる。 これで遅れたら、またナツに方向音痴って言われちゃう。


 気持ちばかり焦っていると、誰かにぶつかってしまって急いで頭を下げる。


「ごめんなさいっ」


 ぶつかった人の返事がなくて顔を上げたら、『夏先取りコーデ』のマネキンさんだった。 周りをキョロキョロするも、こっちの間抜けな姿に気がついている人はいなかった。 ふぅ。


 あれ? と、手元に違和感を感じたら、スマホが手元になかった。


 す、スマホがないっ! どこ!?


 キョロキョロと辺りを見回す。

 ぶつかったタイミングで落としたのか、数歩先に落ちていた白いスマホ。 慌てて取りに行こうとすると、足がうまく出てこなくてつんのめった格好になる。


 おっとっとっと。


 なんとか転ばなくて済んでホッと一息、はできなかった。 ケンケンするように出した左足は、スマホをジャストミート。 サッカー選手だったら完璧なトーキック。


 ネズミ花火のようにしゅるしゅると床を滑り抜けてゆくスマホちゃん。


 蹴飛ばしてしまった方に向かって探してみるも、なかなか見つからない。 ベンチの下とか観葉植物の下なんかも探してみたけど、全然ない。

 スマホがないと連絡することもできないし、どうしよう……と思っていたところに若い男の人から声をかけられた。


「お探しものですか? 」

「ええ、実はスマホを落とし……!?」


 き、き、菊野くんだーっ! なんでここに!? あ、地元だった。 って、バレてないよね? いけない! それどこじゃなかった。 はやくスマホ探さなきゃ。

 あわー、完全にテンパってる。 自分でもテンパってるのがわかる。 落ち着けあたし!


「えっと、その・・・スマホを落としてしまって」

「どんな外見ですか。 一緒に探しますよ」


 バレてはなさそうね。 それにしたって優しくない!? 普段のあたしにそんなに優しくしてくれないくせに!


「ええと、本体が白で、透明のケースに入ってるんです」


 そう答えつつも、思い出してみる。 菊野くんって不愛想で言葉遣いが乱暴で――、でも優しかった。 そうだ、普段のあたしにも優しかった。


「スマホちゃ〜〜ん、どこですかー? 」


 二人で探してもなかなか出てこない。 どうしようかと思っていたところに菊野くんが名案を出した。


「俺のスマホで鳴らせばいいんだ」


 そうだよ! という言葉をどうにか飲み込んだ。 いま、あたしアイドルモードだった。 あたしは岬千春。


「そうですよ! なんで気がつかなかったんですか!? 」

「俺が悪いの!? 」


 ふーんだ。 あたしだと気付かないでデレデレしてるからいけないんだー。 気づかれても困るんだけどさ。

 ちょっとスネてみたけど、そんなこと御構い無しの菊野くんはスマホを差し出してきた。


「番号入れて、通話ボタン押してください」

「えーと・・・・はい」


 こんなこともあろうかと、必死で暗記した仕事用スマホの番号を入力した。 菊野くんにスマホを返して、あたしも自分のスマホを探さなきゃ。


「どこ〜〜〜!? スマホちゃ〜〜ん!? 」

「やかましい!! 着信音が聞こえねーだろうがっ! 」


 文句を言っていたかと思えば、急に菊野くんが手を握ってきた。 ど、どしたの!?


「こっちだ! 」

「えっ!? 」


 小走りで進む菊野くんに手を引かれて向かった先には金網に囲まれた機材置き場だった。 全然音なんか聞こえないけど……。 菊野くん、手繋ぎたかったの?


「あった! 」

「えっ・・・えっ・・・!? 」


 あ、スマホの音聞こえてたんだ。 手繋ぎたかったのかと思っちゃってゴメン! 心の中で謝ってたら、菊野くんからも謝られた。


「あっ、手ごめんなさい。 思わず引っ張ってきてしまって 」

「あ、いえ、大丈夫です」


 ちょっとびっくりしたけど、菊野くん結構手大きいんだね。バスクラだもんね。

 菊野くんは手を離して床にへばりつくと、金網の下から右手を奥へと伸ばした。 こんな他人のために、ここまで頑張れる人ってなかなかいないと思うよ。 すごいな、菊野くんって。


「ほらっ」


 手に、スマホが返ってくる。


「ありがとうございますっ! よくバイブの音なんか聞こえましたね」

「ああ、低い音聞くの慣れてるから」

「おかげで助かりました。 あたし、この後ミニライブやるんです。 ぜひ見ていってくださいね、優しいお兄さん」


 画面には『不在着信 5件』と表示されていた。 1件は菊野くんの番号だから、他に4回もかかってきてる。 これはマズい。 菊野くんに手を振りつつ、4回もかけてきてくれた原田さんに掛け直す。


「いまどこよ! ハル!?」

「ごめんなさーい、いろいろとトラブルに巻き込まれちゃって」

「なに? 大丈夫なの!?」

「ちょっとスマホ落としちゃってて。 見つかったんで向かってます」

「アンタって子は。 あとどんくらい? 」

「もうC館入ったのですぐです」

「急いでね! 転ばないでよ!」

「はあぁーい」


 そんな簡単に転ぶわけないじゃない。 さっきだってつんのめったけど転ばなかったんだから。




 広場についたら、すぐに流れの最終確認。 夏休みにやってたイベントのライブと流れは変わらないから大丈夫。 すぐ行ける!


「大変お待たせしました! 今日は、CMでもおなじみの4Seasonzのみなさんでーす! 」


 司会のお姉さんの合図に合わせて、四人で特設ステージに上がった。 お待たせして、ホントにごめんなさい。


「こんにちわ! 4Seasonzでーす! 」

「今日はたくさんお集まりいただいてありがとうございます! 」

「まず初めに、『恋のシーズン』 、聞いてください! 」


 右手を掲げるこのポーズで始まるこの曲は、もう何も考えなくても体が勝手に動いてくれる。 最初のこの曲で勢いがつけば、盛り上がり間違いなし!




「春はあけぼの、昇る太陽とともにあなたにドキドキ届けます。 テーマカラーはピンク! 岬千春です♪ 」


 最初は恥ずかしかったこの自己紹介キャッチフレーズも、言い慣れてきていた。 なのに、今日はすこぶる恥ずかしかった。

 だって、すぐそこに菊野くんがいるんだもの。 実際は結構距離あるけど、絶対に聞いてたんだよ、さっきの自己紹介。 今だって自己紹介してるアキちゃんじゃなくて、あたし見てるし。

 ここでちょっとイタズラ心が芽生えてきた。 多分、目合ってるし、ウインクしたらどんな反応するだろう?


 早速菊野くんのいる方に向かってウインクをしてみた。 ……けど、無反応。 周りのひとは反応してたから、気づいてないってことはないはず。


「さあ、自己紹介が終わったところで次の曲いってもらいましょう! 次は、『恋爛漫〜春は恋の季節〜』です。 どうぞー! 」


 この曲はね、途中で投げキッスがあるの。 また菊野くんに試してみよーっと。




 ん〜チュッ!




 ――手強い。 またしても無反応。 なんなの。 あたしって魅力ない?


 それからは、敗北感を感じながらのパフォーマンスになってしまった。 このあと2曲やったけど、アキちゃんに「集中できてる? 」と言われる始末。


 そうだよね、プロとしてこの舞台に立ってるんだから、自分ができる最高のパフォーマンスをしなきゃいけないよね。


 すべての曲を終えた時、菊野くんが立っていたところにはもう誰もいなかった。 菊野くんを頭から追い出して、このあとの握手イベントのことを考える。 アイドルとしているときは、プロとして仕事をしなきゃ。


 あたしは気持ちを切り替えて、裏手にある握手イベントの会場へと向かった。

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