第3話 風紀委員長



 僕は一人、ある教室の中にいる。

 ここは指導室というらしい。言うことを聞かない生徒を『指導』するというけだ。

 机もイスも黒板もない、殺風景で大きな部屋。教室というより、小さめの体育館に見える。 

 僕が風紀委員会から、この指導室に呼び出しを受けたのは、鮫谷さんを放置してすぐのことだった。

 白い壁にもたれかかり目を閉じる。すると微かに、異臭を感じとる。

 この匂いは……血だ。血と消毒液の匂い。ああ、この指導室で何が行われるのか、ますます楽しみになってきた。

 僕が妄想の海に沈んでいると、やがて扉が開かれる音が聴こえた。

「あなたが、小鳥良樹くんですね?」

 目を開けると、一人の女子生徒が指導室へ入ってきた。

 まず目を惹いたのは、上品なその表情だ。

 黒目の大きい瞳、細い鼻筋、潤った唇。

箱崎さんを含め、たくさんの美少女を見てきたけど、こんなにも気品のある美しい顔だちを見たのは初めてだった。

 肌は白いというより透き通っていて、長く艶のある黒髪との対比が鮮やか。

 背筋も、指の先もピンと伸び、きっちり着こなされた制服には風紀委員の腕章が巻かれている。

 事前情報が一切無くても、一目見ただけで、この少女が高貴な存在だと誰もが理解できるだろう。

 そんな彼女は、僕を力強く睨みつけた。  

「もう一度訊きます。あなたが、小鳥良樹くんですね?」

僕はうなずく。

「わたくしは姫路澤桜子といいます。この学園の風紀委員長を務めています」

 姫路澤さんは軽くお辞儀をした。

 僕がやったことを知っているだろうに、そんな相手にお辞儀をするなんて、育ちの良さを感じる。お辞儀の所作自体も美しい。  

 いや、お辞儀だけじゃない。

 立ち姿、歩き方、呼吸、話し声、視線、醸し出すオーラ。

 彼女を構成するすべての要素が、恐ろしいほど洗練されている。

 外見に囚われたくない僕だけど、この外見だけで本物認定したいくらいだ。

「……何をニヤけているのですか?」

「うん? 僕ニヤけてた?」

「ええ、とても」

 きれいな眉をしかめながら、姫路澤さんは言う。

 僕に対して女子がするしかめ面、親の顔より見たな。

 まあ、僕はママの顔しか知らないけど。

「僕はね、嬉しいのさ。姫路澤さんに逢えたことが」

「わたくしは嬉しくありません。『会えた』ではなく『逢えた』なのも不愉快です」

 よく気づいたね。

「でも、僕は本当に嬉しいんだ。君は見るからに本物っぽいし」

「本物?」 

あとついでに、胸も大きいしね。

「……舞花さんにあんなことをしたのは、私を誘き寄せるためですね?」 

「マイカ? ……ああ、鮫谷さんね。鮫谷さんをあんな風にしたのは、使命だよ」

「し、使命?」 

「使命とは、与えられた重大な務めのことだね」

「それは知っています!」

 なんだ、知ってるの?

「僕はさ、ブレない何かを持っている女子を見つけなきゃいけないんだ。それがママの言いつけでもあるし、僕自身が望んだことでもあるから」   

「……許せません」

 そう言って、姫路澤さんが一歩前に出る。

「小鳥くん、あなたは身勝手で最低な人です。自分の目的を果たすためなら、何をしてもいいのですか?」

「最低な人か。嬉しいな。僕を人扱いしてくれるなんて」

 よく化物扱いされるから。 

「話をそらさないでください!」

「そう言われると、余計そらしたくなる。人間なんてみんな身勝手だよ。姫路澤グループも利益拡大のために、相当無茶をしていると聞くよ? 大企業グループなら、下請けには何をやってもいいのかい?」

 わあ、詭弁だなぁ。

「それはただの詭弁です!」

 案の定、姫路澤さんが指摘する。

 だけど僕は、正しいだけの正論より、くだらない詭弁の方が好きだ。

「だいたい、我が姫路澤グループは無茶な経営はしていません! 先代のときから、人々の幸せと社会貢献を第一に、透明性のある事業展開をモットーとしております! 確かにここ最近、主に航空事業での不祥事が続いていますが──」

「アッハッハー。よく喋るね。何か後ろめたいことでもあるの? 『多弁』は『駄弁』に通じるよ……って、これは鮫谷さんの技か」

「あなたが軽々しく、舞花さんのそれを使わないでください!」

 と姫路澤さんは声を張り上げる。その動作でさえ品があるので、もはや笑いたくなる。

「あなたのせいで、舞花さんはあんな喋り方に……」

 姫路澤さんは苦しそうに顔を歪めた。

「ズルいな。そんな顔をされたら、僕が悪いみたいじゃないか」

「あなたが悪いのです!」 

 ホントだ、僕が悪いね。

 それにしても、どうやら姫路澤さんと鮫谷さんは、思っていた以上に仲が良いらしい。

 不良と優等生の友好関係。悪くない、まったく悪くない。

「大丈夫だよ姫路澤さん、鮫谷さんは元の状態に戻した。てかそんなことより、君の話が聞きたいな」

 と、僕が言ったその直後、僕の右頬が熱を帯びる。

「……おっと」

 右頬から、血が流れた。止めどなく流れる血は、頬をあっという間に赤く染める。

「そんなこと? そんなことではありません」        

 姫路澤さんは怒っているようだ。

 表情や声から察するに、これは怒っている。さすがの僕にもそれはわかる。

「舞花さんが味わった恐怖や屈辱は、一体どれほどだったでしょう。決して、そんなことではありません!」 

 確かにそうだ正論だ。正しすぎる。

 それよりも、今の攻撃はなんだろう。

 事前に知ったらつまらないから、姫路澤さんの能力は訊いていない。

 僕と姫路澤さんの距離は、四メートルは離れている。

 飛び道具か? しかし、姫路澤さんが何かを投げるような素振りはなかった。

 というか、何の素振りもなかった。

 でも、強いて言うなら……、

「制服の右側──姫路澤さんからすれば左か。制服の左側に何か入れてる? それが能力に関係するの?」

「……目ざといですね。それとも、舞花さんから聞きましたか」 

 姫路澤さんが制服の袖に手を入れた。そして袖の中から、細長い何かを取り出す。

 それは、日本刀だった。

 柄、鞘、鐔が、闇のような漆黒に塗られている刀。

 素人の僕にもわかるくらい、その刀は禍々しいオーラを放っていた。

「姫路澤家に代々伝わる一振り。切れ味と引き換えに、持ち主の生命力を吸いとることから、ついた名は花喰。本来なら、国宝であったはずの妖刀。よく気づきましたね」

「姫路澤さんは、動きが洗礼されすぎてるからね。それだけに、ほんの些細な違和感が目立つんだ」

 まあ、才女に敏感な僕だから気づけたようなものだ。 

「でも姫路澤さん、妖刀なんて持って大丈夫?」

「心配ご無用。わたくしだからこそ、花喰を持てるのです」

 へえ?  

「その刀で、僕の頬を斬ったのかな? というかそんな長いもの、よく服の中に収納できたね」

 遠距離攻撃より、そっちの方が気になるくらいだ。

「わたくしにとって、こんなことは朝飯前です」

 と、姫路澤さんがあっさりと言う。

 いいね。才能ある人間は、謙遜なんかしないでいい。

「なぜなら仕込み刀──つまり隠刀術も、立派な剣術の一つなのですから」 

 そう言って姫路澤さんは、刀の鍔に親指を置いた。

 その瞬間、空気が凍る。

 清楚なお嬢様から、妖刀よりも禍々しいオーラが放たれていた。

「わたくしの能力は《剣術》です。抜刀術を鍛えれば、服の中の刀を抜くことも可能。居合い術を鍛えれば、目にも止まらぬ速さで、敵を斬ることも可能」    

 まさか、頬を斬ったのは……。

「そして一流の剣士ともなれば、斬撃を飛ばすことで、遠距離の敵を屠ることも可能」 

「……まったく、素晴らしすぎるよ」

 斬撃を飛ばす能力ではなく、あくまで剣術が極まった結果、斬撃を飛ばせるようになったってこと?

 いやはや、斬撃て。やはり姫路澤さん、君が本物なのかい?

「小鳥くんはスマートフォンを使うそうですね。わたくしはあなたを、催眠ないし洗脳の使い手だと推測します。舞花さんをあんな風にしたあなたを、わたくしは侮りません」

 その言葉に、嘘はないようだ。

 姫路澤さんの禍々しいオーラが、一段と濃くなる。

 呼吸が苦しくなるほどの圧。ピリピリと皮膚の表面が痛む。

 冷や汗をかくなんて、何年ぶりだ?

 あれ、そういえば、なんだか目が霞む──

「花喰の毒が効いてきましたか?」

と姫路澤さんの声。

「花喰が吸いとるのは、何も所有者の生命力だけではありません」

 素晴らしい、状態異常の付与効果もあるっていうのか。どうりで、妙に体が怠いわけだ……。     

「花喰を表に出した今、わたくしの斬撃は先ほどの比ではありません。この意味はわかりますね?」

「いや、わからない。何もわからない」

 僕が無意味にはぐらかした、その瞬間、視界に、赤い花がいくつも咲いた。     

「あがっっぁぁ!」

 僕の喉から、汚い声が出る。

 赤い花は僕の血だった。全身が、一瞬にして斬られていたのだ。

「だったら意味を教えてあげましょう。今、小鳥くんの体を十二ヶ所斬りました。いいですか、あなたが何かをしようとしても、その前にあなたを斬り刻めるということです」

 一瞬で十二ヶ所。刀を抜いたところすら見えなかった。

 痛みに意識が飛びかける。制服がどんどん血に染まっていく。

 回避も防御もできない速攻。

 これが、最高レベルの能力者。 

「すでに小鳥くんはわたくしの間合いの中にいます。大人しく投降してください。あなたには二度とあんなことができないよう、徹底的に指導してさしあげます」     

「……暴力による指導。それも一つの洗脳だと、僕は思うけど」   

「何を言っているのかわかりませんね。これは当然の処置です。許されるのであれば、わたくしはあなたをバラバラにしたいくらいなのですよ?」

 なんて優しい子だろう。遠慮なくやればいいのに。

 本物は、何をやっても許されるんだから。 

「さあ、投降してください小鳥くん。この学園では、風紀委員の命令に背く者に、武力行使が許可されています。誰もあなたを止める者はいません」

「僕はまったく構わないけどさ、武力行使って、要するに暴力だろう? いいのかな、姫路澤グループのお嬢様が」 

「大袈裟ですね」

「でもご家族が……」

「わたくしが風紀委員長として、この学園の平和維持に貢献していることを、お父様も喜んでいます」

 とりあえずやってみた揺さぶりに、姫路澤さんは動じない。

「へえ、そうかい」

 僕の軽い相づちに、眉をひそめる姫路澤ちゃん。 

「脅しではありません。このまま出血し続ければ、命にかかわります。花喰の毒もあるのです」 

「へえ、そうかい」

 僕はそう言って、制服の胸ポケットに指を入れようとする。

 しかしその瞬間、僕の指は斬られ、胸ポケットがズタズタに引き裂かれた。

「何もさせないと言ったはずです。わたくしを試すようなマネはやめてください!」

「へえ、そうかい」  

 今度はズボンのポケットに手を入れようと、僕は腕を動かす。

 しかし動かしたとたん、僕の腕は斬り裂かれる。

「い、いい加減にしてください! 無駄だと言っているでしょう! 手加減も簡単ではないのです、あっ、あなた本当に死にますよ⁉」

 姫路澤さんの気品あふれる声が乱れた。

 さっさと殺せばいいのにね。でもまあ、僕のような虫ケラすら救おうとするのも、一つの強さか。

「……姫路澤さん。もっと本気を出していいんだよ? 君の力は、こんなもんじゃないんだろう? 優しさは美徳だけれど、才能の出し惜しみって、僕は好きじゃないな」

「な、何を──」    

「この戦い、僕が勝てば、鮫谷さんを再び洗脳しよう」

「なっ! あ、あなたっ!」

「さらにそうだな……あ、そうそう、姫路澤さんには有能な風紀委員の部下がいるんだって? その子たちも可愛いがってあげよう」

「なんてことを!」

 姫路澤さんの目が見開かれる。きっと脳内に、鮫谷さんの無様な負け犬姿が浮かんでいるに違いない。

「こっ、小鳥くん、あなたは他人の人生をなんだと思っているんですかっ!」

「他人の人生は、他人の人生だと思っているよ」       

 僕は僕の人生だって、どうでもいいんだ。

 ……それにしてもこの期に及んで『小鳥くん』呼びか。本当に育ちが良いんだね。 

「さあ、早く僕を斬り刻むんだ姫路澤さん。美しい剣捌きを、存分に発揮してくれ!」

「あ、あなたは──」

「どうしたんだい? 何をためらっているの? 姫路澤さんはさっき、命にかかわると言っていたけれど、僕は最初からそのつもりさ。目標を叶えるためなら、命を懸けるのは当然だろう」

 体がふらつく。血が流れすぎたようだ。目は霞み、体に力が入らない。

うん、そろそろ終わりしよう。

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