第211話

 きさらぎ賞はGⅢ。3歳クラシック世代になったばかりの牡馬にとっては初めての重賞に当たる。京都芝1800mのレースで、過去の勝ち馬にはトーセンラーやサトノダイヤモンドなど、菊花賞や古馬GⅠで3000m級の長い距離に対応した馬もいる。

「この年代なら、勝てば一躍クラシック候補だ・・・」

「うん、だから服部くんも負けちゃいられないよ?」

「何がだよ?」

 フィエルテのオーナーは御蔵まきな。今日はちゃんとおめかししている。鞍上の服部隼人には新鮮で、馬子にも衣裳、の諺を文字通りの意味で感じていた。

「馬はクラシックに出れて、騎手がクラシック出れないんじゃあ締まらないよ?」

「ああ・・・」

 服部は諸々を飲み込んで、まきなの目を見た。

「その時は、良い騎手を頼むよ」

「それは多分、服部くんだから。よろしく頼むよ?」

 予想していた答えに、服部は馬鹿馬鹿しくなったのか両手を上げて降参のポーズを取った。そこに騎乗命令がかかった。


 このレース、フィエルテは前走の通りに3番手に付けた。隣にはジョン・スイスがいる。このレースには1番人気、シーチャリオットで挑んでいる。

「フィエルテか・・・御蔵の馬か。良い馬だ」

 桜牧場は毎年20頭以上の生産馬の中からあまり牧場に馬を残さないが、年に5頭程度残すとその馬たちは大抵、各自2,3勝は稼いで牧場に戻る。先日引退したシャーピングのようにGⅠを勝つ馬も毎年出る。

「彼がそうならない保証はどこにも無いからね」

 ジョンはフィエルテをかなり警戒していた。新馬戦も見ている。馬の身ながら、競馬を知っているような馬だ。鞍上も馬を無駄に邪魔をしていない。

「病気療養から復帰したばかりの騎手にあんないい馬を任せるとは・・・」

 来日時からの関係で御蔵家びいきのジョンは悔しがったが、こうなったからには倒すしかない。

≪さあ、レースは残り600mほど!≫

 既に京都芝コースの特徴、淀の坂は越えた。大きく隊列は変わっていないが、各馬、動き出している。後ろから1頭の鹿毛馬が突っ込んできた。

「ああ、もう!ペース遅いわよ!」

 武豊莉里子が追い上げて来た。既にクラシック向けには強力な相棒がいるが、かと言って他の馬の騎乗依頼を断ることは無い。

「ジョン・スイスに莉里子さん・・・!」

 服部の少ない経験の中には全くない事態。大きなプレッシャーをひしひしと感じている。


「あんた、鬼でしょ?」

 今日はもう騎乗が無い霧生かなめ。まきなに誘われて馬主席から同期のレースを観戦している。後ろから大騎手2人に睨まれて、非常に気の毒だ。

「だって。いつかは通る道だよ!」

 心外だ!とばかりに手をパタパタ振っている。確かに苦しいかもしれないが、キャリアアップのためには必要なのだと信じている。

「はあ、まあね。確かに、実績を積もうと思ったらいつかは、ね」

「そうそう」

「でもね、もう少し手心というか・・・心の準備させなさいよ!?」

 思いっきり怒られたオーナー兼同期は涙目になってレースを見守ることになった。

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