第159話

 凱旋門賞ジョッキーのジャンヌ・ルシェリットにはジャパンカップに合わせて来日する前から、日本のレースでの騎乗依頼が殺到していた。来日2日前になると個人やクラブなど合わせて13名義の馬主から合計100鞍近い依頼があったというから、その人気のほどが窺い知れる。佐藤慶太郎を介した(佐藤にも棚ぼた依頼があった)依頼だったり、ドバイで契約のあった紗来グループを介した依頼、面識があるということで日高の中田総帥、御蔵まきなへも紹介の打診があったらしい。凱旋門賞ジョッキーのネームバリュー、その威力たるや。

Entraineurせんせい方に預けられた馬がいるので・・・」

 出発前にそう断りの連絡を入れようとしていたジャンヌを、小室圭調教師が止めた。

「でもよぉ、去年は、府中のコースに適応できてないせいで相子だったんじゃねえの?」

「それは・・・」

 ジャンヌは痛いところを突かれたとばかりに苦い顔をする。同着でも優勝は優勝だが、1頭だけの勝ちではないので、返す言葉も無い。

「全部とは言わないよ、吟味すればいい。ジャンヌにはそれをする権利があるんだから」

 フランスに修行に来ている佐藤慶太郎もそう助言する。結局、紹介状をネットの情報とも照らし合わせ、厩舎の感じなど佐藤の助言も受けて小室師が選んだ20鞍ほどに絞って受諾したのだった。


「大変、です」

 日本に来てもせめて調教だけでも、と引き手が切らず、トレセンを借りている手前、断れずに追加で1日数頭の調教に乗る羽目になっていた。自分の管理馬の状態も念入りにチェックしているため、朝は本当に忙しい。

「ちょっとは他のスタッフに任せたらいいのに」

 ユングフラウ・ドーベンも呆れてそう提案したが、

「任されたので」

 そう言って譲らない。

「頑固な・・・」

 聞いている霧生かなめも思わず呻いた。そのジャンヌの貴重な休み時間、こんな世間話に費やしていていいのかとも疑問に思ったが、

「かなめサン」

 ジャンヌは威儀を正してかなめに語りかけた。

「この、世の中には、抜くところは、抜く必要が、あるのです」

 レースも同じです、とジャンヌは語る。去年の今頃、武豊莉里子に匿われていた経験から、いつも張り詰めていても仕方ないと学んでいた。

「世界的な騎手はすごいんだなあ・・・」

 かなめは素直に感心していた。自分よりも年下なのに、潜って来た修羅場が違うのだろう。同期の御蔵まきなに似たものを感じ、劣等感で少し落ち込む。同年代の騎手に一歩も二歩も先を行かれる焦り、不安は計り知れないものだが、ジャンヌにそれを慮ることはできない。

「・・・?」

 急に落ち込んだようなかなめに、首を傾げるしかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る