第148話
この1週間、ダートは何度も走って来た。地方の、大して優れたところの無い馬でもなんとかして追い出し、4鞍で勝たせた。複勝率なら5割にもなるはずだ。
「人生で一番、ダートの経験があるのは今だね」
パドックで自分が乗る馬を眺めながら、そう自分を鼓舞していた。
「かなめ、緊張しとる?」
「してませんよ!?」
重賞初挑戦の霧生かなめには唐橋厩舎の調教助手、弥刀がついている。唐橋厩舎所属、風間オーナー所有の桜牧場生産、芦毛の4歳牡馬。名をハクレイファントムという彼は、生まれた時から芦毛としてすら白かったため、殊更、白を押し出した名前になっている。
「調教、何度か乗っててわかるやろ?夏前とは変わらへんよ」
「いや、一回り大きくなってません?」
夏前まで3勝クラスで足踏みしていたが、小倉のダート1700mで勝ってきた馬、俗に言う上がり馬だ。賞金による出走順最下位での出走、馬としてもここが重賞初挑戦。今年GⅠを制した御蔵まきな騎乗のため注目されていたが、かなめ騎乗と報じられて事情が変わっている。3番人気のオッズ8倍付近が今や9番人気、20倍までになっている。
「買っとけばよかったわ。複勝なら十分買いなんに」
「今からでも買いに走った方がいいかね、単勝を?」
「あ、オーナー」
風間オーナーにとって、今更、ダート重賞の1つくらい勝っても負けても大した問題にならない。泰然としたものだ。
騎乗命令がかかり、本馬場に出ていく人馬を見送って馬主席に戻っていく道すがら、風間は自らの馬に100万円を賭けることにした。
ジョン・スイスに武豊莉里子、奈良原浩二や西藤竹次。そして、武豊尊。関西でも上位に君臨する騎手たちが重賞に出るような粒ぞろいの馬たちにまたがっている。
「うーん・・・」
錚々たるメンツのはずなのに、かなめには負けるビジョンがあまり見えなかった。馬は今まで乗ってきた中で一番良いし、何より今、自分自身が負ける姿を思い浮かべることができないでいる。
「なんでだろうね・・・」
返し馬で他の馬の動きを見ている中でも、自分たちと比較して特に問題になりそうな馬が見当たらない。さすがに武豊莉里子騎乗のダートGⅠ4勝馬、アドルベルンは大したものだが、
「ここはただの叩き。ここに目一杯で来たハクレイといい勝負はするだろうね」
どうしても負けるイメージが湧かない。ゲートに入っても、真横にいる武豊尊からヤジを受けても、何とも思えない。
「だから、無視すんなあああ!」
かなめが生まれる前から馬に乗っていたレジェンド、武豊尊。彼もまた若い娘と上手く行かない、中高年の悲哀を感じ始める年頃だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます