第143話

 実は霧生かなめには次の日、園田での騎乗が3鞍あった。園田第1レースは朝10時30分から行われるため、できるだけ早めに動く必要がある。

「じゃ、あたし明日は園田だから」

「おう、大変だな」

 第8レースを4着5着でともに負けた同期の福留雄二に別れを告げ、桜牧場従業員の蔵王龍灯に送られて新千歳空港を目指して札幌方面に向かう。行きの時は彼女が大学のコーチで乗る馬を入れた馬運車だったが、今日はバンだった。

「お疲れさまでした、霧生さん」

「まだ週は折り返す前なのよね・・・?」

 火曜日は園田、水曜日は門別。木曜日と金曜日は園田。依頼を集めやすい競馬場を狙って立てた計画はかなり無茶だが、20鞍近くが集まっている。明日からは関西のみの移動なので、かなり楽だろうけど。

「そういや、あの子と同級生なんだっけ?じゃあ、あたしともそうだよね?」

「ですね、来年1月に成人式です」

「同じだ。それなのに大学でコーチってすごくない?」

「そんなことないんですよ。牧場の業務の一環で、仕事が取れたのは競技の恩師の紹介で・・・」

「馬術かあ」

 中2から競馬に触れた一般家庭出身のかなめからすれば、全く知らない世界だった。競馬学校入学まで、そういった競技があることすら知らなかった。

「私もまきなちゃんに誘われるまで、馬に触れたことはあっても乗ったことなくて。いつもかっこいいなって見る専だったんですよ」

「ああ、あの子なら何も考えず誘うわ。何年くらい乗ってるの?」

「かれこれ10年になりますかね?」

「すごいな・・・あたしなんて精々、その半分だよ」

「そんなことないんですよ。ただ幼馴染ってだけで、良い馬に乗せてもらって大会でも良い成績出して、それで・・・」

 彼女は桜牧場所属の最後の競技部門従業員。かなめは知らないことだが、北海道ではそれなりに報道されて有名な選手だ。

「親子で牧場に世話になって、身も立ててもらって、本当に頭が上がらないのに、夢も、愛馬も譲ってもらったんです」

 彼女が競技で乗っている相棒は元々、御蔵輝道が孫娘のために見出して育てたサラブレッドだった。一時、本気でオリンピックを目指した彼女が競馬学校入学を前に、苦渋の選択で手放した夢を引き継いだのが龍灯だった。

「料理とか裁縫とか、家事は何もできない子です。でも、馬に関することなら何でもできる。でき過ぎる。だから、いっぱい選択肢があって、悩んだと思います」

 結局、自分がどうしたら家が回るかを考え、牧場の経営面から金の集まらない馬術競技より、より金の集まる競馬会に身を置くことを選んだ。障害競技なら自分に並び始めた龍灯がいたが、競馬の才能は自分しか持ってないから。夢は夢として、家族と従業員の生活がある。

「あーうん、真剣に悩むお金持ちって感じ」

「ええ、物的な面で不自由はしてなかった。でも、心ではどうでしょうね」

 家のために、牧場のために、馬のために。なら、自分自身は?龍灯はまきなの内心をいつも案じていた。

「苦労してんのね、あの子も」

 かなめも競馬学校で初めて会ったころ、常に周囲を窺い先回りしてくる彼女に面食らいつつ、慣れて行ったことを思い出していた。

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