第5話 最初は不安かも知れませんが

 さて、早速さっそく冷暗庫を開ける。


「何の肉にしようかなぁ。やっぱりここは牛かなぁ。ステーキに良さそうなロース肉があるよ」


「お、良いな」


「アルバニアさん、牛肉を使わせていただいて良いですか?」


「勿論でございます。では俎板まないたなどをご用意いたしますね」


「あ、俎板はいらないんですよ。このまま焼いちゃいます」


「え、この大きいままでですか?」


 アルバニアが戸惑うが、浅葱あさぎは「そうなんですよ」と言いながら牛ロース肉を取り出す。カロムはフライパンを用意して、コンロに乗せて火を付けてくれた。


 程良い霜降しもふりの、柔らかそうで美味しそうな牛ロース肉である。


「ありがとうカロム。まずは、このお肉の両面にこうして塩と胡椒こしょうを振ります」


 言葉の通りにして。


 本来なら塩胡椒の前に肉を室温に戻すのだが、時間が無いので焼き時間や火加減で調整する事にしよう。


「しっかりと温めたフライパンにオリーブオイルを引きまして」


 そうしたらっすらと煙が上がって来るので。


「こうなったら少しフライパンを火から離して、落ち着かせます」


 そうして煙が落ち着いたら、火を強めの中火にして。


「ここで牛肉を焼いて行きますよ」


 フライパンに牛ロース肉を置くと、じゅうと良い音がする。ほんの数秒後。


「あら、とても美味しそうな香りがして参りましたね」


「はい。まずはこのまま2分程。目安はまだ赤い側面が半分以上白くなってくるまでです」


「はい」


 アルバニアは熱心に頷きながらメモを取っている。


「良し、こんな感じですね。ひっくり返します」


 トングを使って返すと、焼いた面にはこんがりと良い焼き色が付いていた。


「まぁ! とても美味しそうですね!」


 アルバニアが歓声を上げる。


「はい、とても美味しそうに焼きあがってますね。良いお肉ですし楽しみです。このまままた2分ほど待ちますよ」


 そうしていると、側面の色がすっかりと白くなった。


「ここで上げます」


 牛ロース肉を皿に上げ、肉が隠れる程度のサイズの鍋のふたを被せる。


「こうして、後は余熱で火を通します。牛肉の表面辺りが充分熱いので、その熱で中まで火を通すんです。この間にソースを作りますよ」


 肉を焼いたフライパンを再び火に掛け、赤ワインを入れる。フライパンに付いた肉の旨味をこそげながら、しっかりと煮詰めてアルコールと酸味を飛ばしたら、バターを落とす。


「今日は手早く簡単な赤ワインソースでいただきましょう」


 バターがすっかり溶けると、牛ロース肉も良い塩梅あんばいだ。鍋の蓋を上げてとろりとソースを掛けたら。


「はい、牛ステーキの焼き上がりです」


「まぁ、本当に短い時間で焼くんですね」


「はい。これでちゃんと中まで火が通っていますよ。ナイフとフォークを使ってテーブルで切りましょう」


「ではお出ししますね」


 そしてアルバニアが出してくれたナイフとフォークを添えて。


「アルバニアさん、アサギ、先に行っててください。俺手早く洗い物済ませてしまいますから」


「じゃあその間にお肉切ってお酒用意しておくね」


「おう、頼むな」


「洗い物でしたら私が」


「いやいや。俺はこの為にいるんですから」


「大丈夫ですよ、アルバニアさん。先に行きましょう」


「本当に何から何まで申し訳ありません」


 浅葱が言うと、アルバニアは申し訳無さげに深々と頭を下げた。


「本当にお気になさらないで」


 そんな事をやっている間に、洗い物は泡だらけになっていて、後はすすぐだけになっていた。


「お待たせしました」


 テーブルに置くと、チェリッシュはその立ちのぼる香りをいで、「そうそう」と懐かしげに呟いた。


「そうなのよねぇ〜、こんな香りなのよねぇ〜。思い出したわぁ。かなぁり昔に1度焼いたっ切りなのよぉ〜」


「では切りましょうか。大お師匠さま、切ってみますか?」


「あら、良いのかしらぁ?」


「はい。柔らかく仕上がっている筈ですよ」


「じゃあ切らせてもらうわねぇ〜」


 チェリッシュがナイフとフォークを手にし、大胆に真ん中に刃を入れる。そして「あら、まぁ!」と驚きの声を上げた。


「これは確かに柔らかいわねぇ〜。すっとナイフが入って行ったわぁ〜。あらぁ? 中が少し生のままみたいなんだけどぉ」


 今回はミディアムで焼いたので、中にはまだかすかに赤い色が残っている。


 この世界で馴染みやすいと言うとウェルダンだろうが、柔らかさで言えばここはやはりミディアムだろう。


「はい。でも火はちゃんと通っているんですよ」


 浅葱はチェリッシュからナイフとフォークを受け取ると、行儀は良く無いが、一口程度で食べられるサイズにカットして行った。


 その頃には洗い物を終えたカロムが戻って来ていた。そしてアルバニアがグラスに米酒を人数分注ぎ終える。


「皆もお酒も揃ったわねぇ〜。じゃあいただきましょう〜。お酒もおつまみもお肉も楽しみだわぁ〜。かんぱぁ〜い!」


「乾杯!」


 グラスを軽く合わせ、ちびりと口を付けた。これはチェリッシュへのお土産なので、かなり奮発ふんぱつして、1番上等な短粒米たんりゅうまいの米酒を用意した。酒工房が融通ゆうずうしてくれるものでは無く、ちゃんと購入したものである。


 やはり旨い。短粒米特有の甘みが口にふわりと広がる。そして深みのある旨味。


 浅葱たちは酒工房から同じものを貰っているが、無限では無い。浅葱は強くは無いが、強いロロアとカロムにあっという間に飲み尽くされてしまう事が殆どだった。勿論それに不満は無いが、自分ももう少し強かったらなと思う事はあった。


 今回はご相伴に預かれるとは思わなかったので、1本しか用意しなかったのだが、これはもっと用意すべきだった。これでは直ぐに無くなってしまうだろう。


 チェリッシュたちが米酒の味を気に入れば、だが。そしてお気に召して欲しいと浅葱は思っている。


「あらぁ! これは美味しいわねぇ〜!」


「ええ。ふくよかな甘みがあって。へぇ、お米ってこんな味のお酒になるんだねぇ」


「本当ですね。これはとても旨味のあるお酒ですね」


 チェリッシュたちは口々に賞賛しょうさんの声を上げる。本当に良かった。


「お気に召してくださった様で良かったですカピ」


「ええ、ええ。もう本当にお気に召しちゃったわよぉ〜。でも困ったわぁ、これが無くなっちゃったら、しばらくは飲めないって事でしょおぉ〜?」


「なら作り方をお教えしますよ。少し手間ではありますが、大お師匠さまなら時間経過の錬金術は当然の様にお使いになれるでしょうから、そう時間を掛けずに作れますよ」


「じゃあ後で俺が作り方を書きますよ。覚えてますから」


 するとチェリッシュは顔を輝かす。


「それは嬉しいわぁ〜。エールもワインも美味しいけど、これはまた飲みたくなるお味だものぉ〜」


 そうしてチェリッシュは、グラスに半分程入っていた米酒を、美味しそうに一気に煽った。


 空になったグラスに、アルバニアがすかさず米酒を注ぐ。


「さぁ、おつまみよぉ〜。どれも楽しみだわぁ〜。まずはお肉ねっ。温かいうちにいただきましょう〜」


 チェリッシュはフォークを手にすると一口大になったステーキに刺し、ソースが垂れてしまわない様に小皿を使って口へ。


 そうしてむと、その眼を見開いた。


「柔らかいわぁ! 本当ね! アサギちゃん凄いわねぇ〜!」


「本当に柔らかくて美味しいね! へぇ、焼き時間でこんなにも変わるもんかい」


「ええ、本当に柔らかいんですね。とても美味しいです。驚きました。私が教えていただいた通りに焼いても、この様に柔らかくなるのでしょうか」


「勿論です。最初は不安かも知れませんが、是非やってみてください」


「はい。今度挑戦してみます」


 アルバニアはそう言って何度も頷いた。少しばかり興奮している様だ。


「さぁて、他もおつまみもいただくわよぉ〜」


 チェリッシュは言って、酢の物を小皿に取る。そして胡瓜と烏賊を一緒に刺して口へ。そのわくわくとした表情はうっとりとした顔に移り変わる。


「あらぁ〜、これは確かに米のお酒に合うわぁ〜。甘い米酒にさっぱりとしたおつまみ。いいわねぇ〜。胡瓜きゅうりがしんなりしているのにしゃきしゃきしていて、柔らかい烏賊いかとの歯応えの違いが面白いわぁ〜」


「先生、こっちの人参ドレッシングのもとても美味しいですよ。さっぱりとした玉葱たまねぎ塩漬け豚ハムの塩っけが、人参の甘味に良く合っていて」


「モッツァレラチーズも美味しいです。バジルとも黒胡椒ともとても合うのですね。それをオリーブオイルがまとめていて、でもビネガーが入っているからしつこく無いんです」


 和え物をそれぞれ食べたチェリッシュたちは、口々に感想をらす。どれも口に合った様である。浅葱は嬉しくなってほっと小さく息を吐いた。


「あの、アサギさま、もしよろしければこちらのおつまみの作り方もお教えいただけないでしょうか。先生たちがとても美味しそうに召し上がっておられるので、またお作り出来たらと思うんです」


「ええ、勿論良いですよ。でも僕はまだこの世界の文字が書けなくて」


おっしゃっていただけましたら、私が書きますので。よろしくお願いいたします」


「こちらこそありがとうございます」


「あらまぁ〜、アルバニアちゃんは本当に勉強熱心ねぇ〜。でもこのおつまみがまたいただけるのは嬉しいわぁ〜」


「精進いたします」


 チェリッシュの言葉にアルバニアは小さく頭を下げる。


 そうして楽しい酒宴は、遅くまで続いた。

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