第7話 儂は料理が出来るんだ、と言える気がするんだ

 空が暗くなり始めた頃、バリーの家を訪れると、にこにこと嬉しそうな顔で出迎えてくれた。心なしかうきうきしている様にも見える。


 「どうぞどうぞ」と促されて中に入る。いつもと変わらず、物の少ない室内は綺麗に掃除されていた。


「こんばんは。今日は楽しみにしていました」


「こんばんは」


「こんばんはカピ」


「こんばんは。こちらこそ、いや、わしは少し緊張しているかも知れんなぁ」


 バリーはそう言って、ほんの少し顔を赤らめた。


「あのこれ、お土産です。胡桃くるみ生姜しょうがクッキーです。お酒にも合うと思います」


 浅葱あさぎがそう言って、生姜クッキーを入れた紙袋を両手で差し出すと、バリーは「おお」と眼を見開いて、それを受け取ってくれた。


「これは嬉しいなぁ。ありがとうなぁ」


 そう言って、袋を大事そうに棚に置いた。


「で、何を食わせてくれるんですか?」


「すぐに出来るからな。ちょっと座って待っていてくれな」


 バリーはそう言い残し、台所へと入って行く。浅葱たちはお言葉に甘えて椅子に掛けた。


 ぽつりぽつりと話をしながら待っていると、台所からかぐわしい香りが漂って来た。


「あ〜良い匂いだ」


「本当だね。楽しみだなぁ」


「とても美味しそうな香りなのですカピ」


 そうしてほっこりと頬を緩ませる。


 ややあって、バリーがトレイを手に台所から出て来た。


「お待たせしたなぁ」


 そうして出されたのは、浅蜊あさりときゃべつの白ワイン蒸し。


「もう一品あるんじゃ」


 バリーはそう言って、台所に取って返す。次に運んで来たものは、ホルモンの酢の物だった。


「バリーさん、これって」


 浅葱が少し驚いて聞くと、バリーは少し照れた様にはにかむ。


「うむ、この白ワイン蒸しは、儂の料理の始まりじゃ。少し料理にも慣れた今だから解る。アサギくんが本当に儂の事を思って考えてくれた料理だったんだと言う事をな。肝臓の具合も勿論なんだが、まともに料理をした事が無かった儂でも、作り易いものを考えてくれたんだなぁ。あの時はざく切りもあんなに恐々だった儂が、今は簡単、とはまだ言えないが、躊躇い無く出来る様になった。だから、是非この白ワイン蒸しをひとりで作って、食べて欲しかったんじゃ」


「それは、嬉しいです」


 今度は浅葱が照れる番だった。


「このホルモンの酢の物は?」


 カロムの台詞に、バリーは「うん」と頷く。


「これまでは、アサギくんが直接儂に教えてくれておっただろ。そのお陰でこうしてひとりで料理が出来る様になった。なら、教えて貰っていないものだったらどうかと思ってな。この村でホルモン料理が食べられる様になってから、肉の商店で貰える作り方を見て作ってみたんだ。ちゃんと出来ていると良いんだが。そう言う事が出来て初めて、儂は料理が出来るんだ、と言える気がするんだ」


 その言葉に、浅葱は笑みを漏らした。


「それ、何だか解る気がします。僕が料理に興味を持ったのは高校、あ、16歳ぐらいの時でしたけど、母親に教えて貰って、練習して、レシピを見ながらひとりで料理を完成させた時は嬉しかったなぁ。達成感もあって」


「そうなんだな。だからかなぁ、白ワイン蒸しが出来た時も嬉しかったが、酢の物を完成させた時はもっと嬉しかったなぁ。これからは今まで教えて貰った事をもとにして、いろいろと作ってみようと思うんじゃ」


「それは良いですね!」


「良かったら、また食べに来てくれるかなぁ」


「勿論です。ね!」


 浅葱が笑顔で言うと、ロロアとカロムも「はいカピ」「はい」と嬉しそうに頷いた。


「ありがとうなぁ。では食べようか。ああ、緊張するなぁ」


「はい、いただきましょう。楽しみです」


「ああ、旨そうだ」


「はいカピ」


 感謝を捧げ、いただきますと手を合わせて。


 フォークを使い、まずは白ワイン蒸しをいただく。しんなりと、しかし歯応えを残したきゃべつは、浅蜊とにんにくの風味をたくわえて、とても味わい深い。


 浅蜊の身はふっくらと仕上がっていた。噛み締める度に旨味が染み出して来る。


 スプーンに持ち替えてスープを口に含む。ああ、優しくて美味しい。つい顔が綻んでしまう。


「とても美味しいです、バリーさん」


「ああ、本当に旨い。凄いですよバリー爺さん」


「はいですカピ」


 浅葱たちが口々に言うと、バリーはほっと安堵あんどした様に口角を上げた。


「ああ、良かった。ちゃんと出来ているか」


「はい。酢の物も美味しそうです。こちらもいただきますね」


 フォークでホルモンと玉葱をすくい、口へと運ぶ。


 さっくりとしたミノ、ぷりぷりのチョウ、そしてしゃきしゃきの玉葱。それらをまとめる甘酢は、確かに浅葱のレシピである。が、ほんの少しだけ甘さが増している様な気もする。


 だがくどくは無く、これぐらいでも程良い酸味がしっかりと感じられ、旨味も充分だ。これが「バリーの味」と言うものか。


「こっちもとても美味しいです!」


「そ、そうか。ほら、前にアサギくんたちが村の皆にホルモン料理を振る舞ってくれただろ。あの時儂もいただいてな。料理はとんとしなかったが、ホルモンと言うものに興味があってなぁ。どれもとても旨かったんだが、今回は白ワイン蒸しと合わせるので、酢の物にしたんだ。タンと迷ったんだがな」


「うんうん、臭み抜きもちゃんと出来てる。確かに白ワイン蒸しに合わせるなら、さっぱりした酢の物が良いよな」


「僕の作り方より、ほんの少しですが甘味がある様に感じます」


「そ、そうか? 作り方通りに作ったつもりなんだが」


 バリーが焦ってしまう。浅葱は「いえいえ」と慌てて手を振った。


「もしかしたら、バリーさんは少し甘めな味付けが好きなのかも知れませんね。でもこれぐらい甘みがあっても充分に美味しいです。僕のは少し控えめだったのかも」


「ああ、確かに妻の作るものは、少し甘めだったかも知れん。その味にすっかりと慣れておったから、無意識に少し砂糖を多めに入れてしまったのかなぁ」


「そういうのが、所謂いわゆる「自分の味」ってものですよ、バリーさん」


「おお、そうか。そう言って貰えると、何だか嬉しいなぁ」


 バリーはそう言って眼を細めた。




 さて、皿がすっかりと空になった頃、バリーはまたそわそわと手をもてあそぶ。


「あ、あのな、じ、実はな」


 そう躊躇ためらいがちに口を開く。


「儂、新しい働き口が決まったんだ。これも伝えたくてな」


「お、また働くんですか?」


「ああ。実はな、これまでちょくちょく行っていた食堂でな、ひとり妊娠で辞めるって話を聞いてな。儂は料理はまだまだだが、何と言うかな、こう、突き動かされると言ったら良いのかなぁ、言ってしまったんじゃ。じゃあ儂を雇ってくれと」


「で?」


 カロムが先を促す。バリーは「う、うむ」と、またもごもごと口を動かす。


「店主は驚いておった。店主は儂が料理出来ない事を知っていたからな。だが、その時はアサギくんに教えて貰っていて、野菜の皮ぐらいはける様になっていた。まだまだ未熟だが、じきに料理も出来る様になるから、と頼み込んでな。店長は考えておったが、有難い事に儂を受け入れてくれたんだ。だから儂は、今夜のこの席を設けたんだ。ひとりで作る事が出来たら、自信を持って働けるんじゃ無いか、ってなぁ」


「成る程。うん、自信持って良いですよバリー爺さん。どちらも凄い旨かった。もう料理出来る! って大手を振って大丈夫ですよ」


「はいカピ。バリーお爺ちゃまは凄いのです。お仕事、頑張っていただきたいですカピ」


「はい。自信を持ってください。充分に働いていただけますよ」


「そ、そうか。そう言って貰えたら、自信が付くなぁ」


 バリーは嬉しそうに頬を緩めた。


「ああ、酒でもあれば、バリー爺さんの就職祝いに乾杯でもするところなんだがなぁ」


 カロムが言うと、バリーが「それなら」と立ち上がる。


「まだ開けていない白ワインがあるんだ。良かったら少し付き合ってくれるか」


 そう言って、台所へ。戻って来た時には、トレイに乗せられた白ワインのボトルとグラスが。白ワインはしっかりと冷えていた。


「実はな、少しずつ酒の量は減って来ていたんだが、仕事が決まったら本当にぐっと減ってなぁ。何だろうか、満たされた様な気がしてな」


 バリーがそう言いながら、白ワインのコルクを慣れた手付きで抜く。グラスに注ぐと、ふわりと仄かに甘い香りが広がった。


「生き甲斐と言ったら大袈裟かも知れんが、やはり趣味も無く、何もしていないといかんなぁ、としみじみ思ったものだ。亡くした妻の代わりになる訳じゃ無いが、それでも何も無いと人間は駄目になるものなんだなぁ」


「そうかも知れないですね。良かったです」


 浅葱がにっこりと笑って言うと、バリーはまた照れた様に眼を細めた。


「じゃあ乾杯しようか」


 カロムが言って、グラスを掲げた。浅葱たちも続く。


「バリー爺さんの就職を祝って、乾杯!」


「乾杯!」


 軽く重ねたグラスが乾いた音を立てる。ゆっくりと白ワインを口に含むと、程良い甘みと爽やかさを持った、とても飲みやすい味わいだった。


「あ、そうだ、アサギくんたちが持って来てくれた生姜クッキーをいただこうか。飯を食った後だが、やはり何も食べずに飲むのは良く無いだろうからなぁ」


 バリーはそう行って、生姜クッキーの袋を棚から出し、台所から皿を取って来てそこに広げる。


「おお、これは旨そうだ」


 嬉しそうに言い、早速一口。もぐもぐと咀嚼そしゃくして。白ワインをぐいと流し込む。


「成る程、これは確かに酒に合うなぁ。生姜の程良い刺激と胡桃の香ばしさが良く合っている。旨いなぁ」


 そう言いながら、あっと言う間に1枚を食べ切ってしまった。


「良かったら、このクッキーの作り方も教えて貰って良いだろうか」


「はい、勿論です。簡単なので、バリーさんなら美味しく作れますよ」


 浅葱が応えると、バリーはまた嬉しそうに微笑んだ。

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