第10話 貧血を治す為のご飯だった!
「今帰ったよ」
そう言って帰って来たのは、マリナでもマルスでも無く、中年の男性だった。
「お前さん、お帰り」
トマト煮込みとスープを作り終え、居間兼食堂で
「おじさん、お帰り」
「おお、カロム。いらっしゃい。済まないな、忙しいだろうに」
「いやいや。今日は帰り早いんだな」
「朝が早かったからな。ああ、こちらが錬金術師さまと助手さんだな」
「ルビアの夫のオーランドです。この度は妻と娘の為にお骨折りくださり、本当にありがとうございます」
何とも
「とんでもありません。浅葱と言います。こちらこそお節介だとは思うので、ご迷惑になってやしないかと」
「そうなのですカピ。こちらこそ何度もお邪魔をして、申し訳無いのですカピ」
「いえ。お陰さまでマリナも食べられるものが増えている様で、本当にルビア共々感謝しているんですよ」
「そう言っていただけたら嬉しいです」
そう言って浅葱とロロアが頭を下げたその時。
「ただいま!」
「ただいま」
マリナとマルスが帰って来た。頭を下げ合う父親と浅葱たちを眼にして、マリナは「どうしたの?」と
「きちんとお礼をしておかねばならないだろう。お前たちがお世話になっているんだから」
「それはそうなんだけど、帰って早々父親のそんな姿見せられたら
「ううん。お役に立てていたら嬉しいよ」
「凄っごくお役立ちだよ! お肉なんて本当に久しぶりに食べた。しかも美味しかったし! あんなお肉もあるんだね」
鶏のささみの事である。
「今日のも多分食べられると思うよ。脂身が駄目なんだもんね」
「そうそう。脂の無いお肉があるなんて知らなかったから」
「じゃあ支度をしようかね。後は温めるだけだから、私だけでも大丈夫だね」
「お手伝いします」
ルビアに続いて浅葱も立ち上がる。
「あら、じゃあお願いしようかね」
そうして並んで台所へ向かった。
テーブルに着くオーランドたちの前に並べられたのは、2種のトマト煮込みと野菜たっぷりのスープ。マリナへのトマト煮込みはヒレを使ったひと皿だけを。
「どうして私だけひとつ?」
「もう一皿は脂身が多いお肉を使ってるんだよ。まだマリナには難しいと思う」
「ああ〜そうかぁ。でも何か悔しいなぁ」
マリナが口を尖らすと、カロムが「だったらさ」と口を開く。
「徐々に脂身に慣れて行ったらどうだ。正直脂身に関しちゃ、無理に食わんでも良いとは思うけどよ」
「そうかも知れないけどぉ。あ、じゃあ私のこれは脂身の無いお肉なんだね?」
「そう。豚なんだけどね、豚にも鶏みたいに脂身の少ない部分があるんだよ。だから試してみて欲しいと思って。オーランドさんとルビアさんとマルスくんは、食べ比べてみてください。いつもの豚肉に一手間加えたものと、脂身の少ないものと」
「いつもの豚肉? あの脂身が多めのあれか?」
オーランドがそう行って皿を覗き込む。真っ赤なトマトソースの中から覗く肉の塊。片方がバラ肉、もう片方はヒレ肉だ。
「そうです。食べてみてください」
「じゃあ早速」
オーランドとルビア、マルスがスプーンを手に、バラ肉を
「んん!」
「ん!」
「お!」
三者三様の声が上がる。その眼は綺麗に見開かれ、輝きを帯びていた。
「いつもよりあっさりしてる。脂の量が程々で良いな!」
「本当だね! 脂の部分がとろっとしてるし、美味しいね!」
「うん。いつもは脂の部分が固めな感じがしてたんだけど、これは柔らかいね。ソースも脂ぎってなくて美味しい」
「……あのさ、やっぱりいつもの煮込み、美味しく無かったかい?」
オーランドとマルスの反応に不安になったのか、ルビアがおずおずと口を開いた。ふたりは自然に視線を交わすと、「ううん」と苦笑する。
「美味しく無い訳じゃ無いんだ。ただ少しな、あの、な」
「う、うん。ちょっと脂っこかったって言うかさ」
「そうかい。やっぱり茹で溢しって大事なんだねぇ」
ルビアがそう残念そうに言って空を仰いだ。
「「ゆでこぼし?」」
オーランドとマルスの声が重なる。
「煮る前に茹でて、灰汁と余分な脂を抜いたんだよ。助手さんに教えて貰った方法なんだけどね」
「茹でるだけでこんなに変わるものなのか?」
オーランドの眼がまた開かれる。
「そうなんだねぇ。実際に食べてみて驚いたよ。本当にありがとうね助手さん。これでオーランドたちに美味しい料理を食べさせてあげられるよ」
「いえ。手間は増えちゃいますけど、頑張ってください」
「菓子作りに比べりゃ楽なもんだろ、おばさん。正直俺らからしたら、菓子作りの方がよっぽど面倒なんだからな」
「まぁねぇ。今みたいに美味しいって言ってくれたら、作り甲斐もあるってもんだけどねぇ」
「言う言う!」
「言うからさ!」
ルビアの溜め息混じりの口調に、オーランドとマルスが口々に言った。
「そうかい? なら頑張ってみようかね」
ルビアがニッと口角を上げると、マリナから「ねぇねぇ」と声が掛かる。
「私も食べてみたい」
「う〜ん、そうは言ってもまだマリナには
ルビアは難色を示すが、マリナも譲らない。「食べてみたい!」
「じゃあ姉ちゃん、ほら」
横のマルスが皿を差し出してやる。
「ちゃんと飲み込めよ。味は美味いんだからな」
「判ってる」
マリナは言うと、マルスの皿からバラ肉を掬い、緊張からかごくりと喉を鳴らした。
大きな口を開けて、口へ。もぐもぐと
「んんん」と涙目になった。
「ご免、やっぱりまだ脂は駄目みたい。味は美味しいのに」
「飲み込めるかい?」
「飲み込む。これで成長出来る気がする」
何のだ。ともあれマリナは息を止めてまごまごしていたが、どうにかバラ肉を飲み下した。
「アサギくんご免ねぇ。絶対に美味しいのに」
「無理はしないでね。その為にこっちの脂身の少ない部分を用意したんだから」
「うん。こっちいただいてみる」
「じゃあ私たちも」
マリナに続いてオーランドたちもヒレ肉を口に運ぶ。するとまた、全員の眼が開かれた。
「柔らかい! え、しかも味わい深いし。え? あんな淡白そうなお肉だったのに、こんな美味しかったのかい!?」
「え、これ豚肉なのか? 凄いあっさりもしているんだが」
「うん、うん! このお肉私でも食べられる! 嬉しい! 美味しい〜!」
「噛めば噛むほど甘みが来るんだな、この肉。旨いな」
大好評である。流石は高級部位、ヒレ肉。
「実は、牛にもこういう脂の少ない部位があるんです。豚で大丈夫なら、牛も食べられると思うんですけど。赤ワイン煮込みとか良さそうですね」
「へぇ、そうなんだ。じゃあ今度作ってみるかね」
「その前にアサギくんに作って欲しいなぁ」
「何だい? 私の腕が信用出来ないのかい?」
「と言うより、単純にアサギくんが作るワイン煮込みが食べたい。お母さんも勉強になるんじゃ無い?」
「そりゃあ確かにそうだけどさぁ」
ルビアは渋るが、マリナはぐいぐいと来る。
「良いかなぁ、アサギくん」
「勿論だよ。またお邪魔しても良いなら」
「決まり! 日はまた決めようね。ありがとう、楽しみ!」
「全くもう。マリナが厚かましくて申し訳無いねぇ、助手さん」
ルビアが呆れた様に息を吐くが、浅葱は笑顔のままで応える。
「いえいえ。大丈夫ですから。それに赤肉では、牛肉が1番貧血に良いんですよ」
浅葱が言うと、「あ」とマリナたちの動きが止まった。
「そうだった。これ、私の
「そう言やそうだね! 私もすっかりと忘れていたよ」
「確かに偏食は貧血に良く無いですが、まずは貧血を治さなくちゃね」
「忘れないでくれよな、ふたりして。アサギ、今度脂身少ないとこ買って来るからよ、うちでも作ってくれよ」
「勿論だよ。僕もヒレ肉お腹一杯食べたい」
「あら、あらあら、私たちだけでごめんなさいね」
食べる事に夢中だったルビアが、今気付きましたと言う様に口を押さえる。
「そう言えばこの前もだけど、何でカロムたちは食べて無いの?」
問われ、浅葱とロロア、カロムは眼を見合わせ、「ああ」と口を開いた。
「とにかくマリナたちに食わせなきゃってそれだけだったな」
「本当だね。ロロア、お腹空いて無い?」
「美味しそうなお食事を見ていたら、少し空いて来ましたカピ」
「じゃあ帰って俺たちも晩ご飯にしようぜ。買い物行って、と」
「良かったらうちにあるもの持って帰っておくれよ。お礼にもならないだろうけど、せめてさ」
「いやいや、大丈夫だからよ」
「まぁまぁ、良いから良いから」
言うなりルビアは立ち上がり、カロムを台所へと引っ張って行った。
「ははっ、ああなったルビアは誰にも止められない。カロムも観念するんだな」
オーランドは
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