第8話 ルビアさんってあまり料理が得意で無い人?

 野菜の下処理の仕方、そして料理の作り方をカロムに書いて貰い、マリナの母ルビアに届けるのも家が隣のカロムにお願いした。


 すると数日後、作ってくれた様で、浅葱あさぎたちの家に電話があった。


『凄いんだよ! 書いて貰った通りに作ったら、マリナったら美味しいって食べてくれたよ!』


「それは良かったです!」


 浅葱は胸を撫で下ろす。


『ほらさ、生クリーム使ったスープとか、粒マスタードで煮込みとか、素材との組み合わせもあるんだろうね。私がこれまであまり考えた事の無かった事だよ」


「トマト煮込みとかが多いイメージがありますね。スープはブイヨンのシンプルなものとか」


『それなんだけどねぇ』


 言うと、受話器から溜め息らしき音が聞こえて来た。


『私、結婚したての頃は料理を殆どした事が無くてね。独身の頃は実家の実母に任せっきりだったんだよ』


 結婚したからと言って女性が家事しなければならない訳では無く、ルビアも仕事があったので、夫とその時同居だったしゅうとと分担しようと言う話になったのだそうだ。


 なので食事の支度は料理好きな舅に任せる事になったそうなのだが、早々にルビアが懐妊かいにんした。


 この世界では、妊娠をした女性は仕事を辞めると言うのが、暗黙の了解になっているのだそうだ。それは単に妊婦を気遣い、そして出産後の育児と言う激務を乗り越える為に、少しでもゆっくりして欲しいとの思いからなのだそうだ。


 ルビアも例にれず職場をした。すると舅の態度が一変した。


「あんたは大事な子どもを産むんだから、身体を大事に大事にせにゃならん!」


 そう言って、ルビアがそれまで担当していた家事、洗濯をさせてくれなくなったのだ。


「飯の支度は勿論、洗濯もわしがやるからの。ルビアさんはゆっくりしていてくれ」


 そう言い、ルビアの夫である息子にも「ルビアさんに無理させちゃいかん」と釘を刺し、本当に何もさせてくれなくなったのだそうだ。


「本来なら儂が仕事を辞めて、ルビアさんの世話をしたいんじゃが……」


 舅は悔しげにそう言ったそうだが、そうなると生活費の全てを夫に負わせてしまう事になる。これから家族も増えようと言うのに、それは現実的では無かった。


 舅がそうやって頑張ってくれたのは、ただただ初孫に元気に産まれて来て欲しい為、そしてルビアの為だった。舅とルビアの関係は良好だったのだ。


 何故舅がここまでルビアを大切にしてくれたのか。それは、ルビアと夫の歳の差が20程もある事だった。


 夫に結婚願望はそれなりにあった。しかし中々そう巧くは行かない。そんな時に出会ったのが、新人として職場に入って来たルビアだった。


 結婚を諦め掛けた頃に、若いお嫁さんが来てくれた。舅はそれはそれは喜んでくれたそうだ。


 そうしてルビアはほぼ上げ膳据え膳の状態で、陣痛じんつうを迎えたそうだ。


「でもそこまで至れり尽くせりだと、出産大変だったんじゃ無いですか? 難産とか」


「そうなんだよ。本当に大変だった。陣痛が始まってから第一子のマリナが産まれるまで3日掛かったし、なかなか産まれなくてね。もう2度と子どもは作らないって思っちまった程だよ」


 ルビアはそう言いながら明るく笑う。


「で、無事マリナが産まれて、夫とお義父さんと協力しながら家事とか子育てとかやってたんだけどねぇ……」


 マリナが乳離れする頃、舅が急死したのだった。心臓疾患だった。


「それは、あの、ご愁傷さまです」


 浅葱が殊勝に言うと、ルビアは「はははっ」と快活に笑う。


「もう何年も前の話だよ。でね、それからお義父さんがしてくれてた炊事が私の仕事になったんだけどねぇ……」


 それまで殆ど料理をした事が無かったルビアには、本当に難題だったそうだ。


 乳離れすると言う事は、まずは離乳食を作らなければならないと言う事。


 大人の食事は惣菜や外食に頼る事が出来ても、赤ん坊の分はそうも行かない。


 心配した実母が来てくれ、ブイヨンの取り方とトマト煮込みの作り方を教えてくれたそうなのだが。


「私その頃、トマトが嫌いでさ」


「ああ……」


 実母曰く、例え自分が嫌いでも、それで夫や子どもに影響を与えてはいけない。特に子どもの生育に関わるものだから、分けて作るぐらいの事をしてやらなければならない、そう言われたらしい。


「でもさ、分けて作るってなかなか面倒でねぇ」


 肉や魚介は勿論、野菜なども含め、何でもかんでもブイヨンで煮ていたそうだ。煮込みもスープもベースはブイヨン一本勝負。当然灰汁や癖を抜くなんて事は知らなかった。


「でも、助手さんのお陰でマリナの偏食も少なくなって、家族に美味しいご飯を食べさせてあげられそうだよ。本当にありがとうね!」


「それは本当に良かったです。あの、ルビアさんは今はトマトは?」


「今は煮込みにすれば食べられる様になったよ。生は今でも苦手なんだけどね」


「それは良かったです。トマト煮込みはやっぱり色々なものに合いますからね」


「そうなんだね。いやね、トマトでマリナが苦手だって言ってた茄子を煮込んでみたんだよ。そしたら食べてくれたよ」


「良かったですねぇ!」


 トマトソースと茄子は、鉄板の組み合わせである。


「本当だよ。本当に助手さんのお陰だ。ありがとうね!」


 受話器から届く明るい声に、浅葱は本当に嬉しくなる。


「いえ、あの、少しでもお役に立てたのなら良かったです」


「本当にありがとうね!」


 そうして浅葱は見えない相手に頭を下げながら、通話は終わった。




 それから数日後、またルビアから電話があった。


「やっぱり肉の脂が駄目だって、助手さんが教えてくれた鶏肉のあの部分しか食べてくれないんだよ。何か良い方法はあるかねぇ」


 浅葱は首を捻る。


「豚肉をトマトソースで煮込んでみたんだけどね。やっぱり脂が駄目だって言われちまったんだよねぇ」


 トマトソースと豚肉もとても良い組み合わせである。それでも駄目だと言う事は。


「ルビアさん、豚肉のどの部分を使いましたか?」


「ああ、赤身と脂身の割り合いが半々ぐらいの綺麗な部分だよ。うちは良く使うんだよ」


「茹でこぼしはしました?」


「ゆでこぼし? それは何だい?」


 やはり。


「ルビアさん、その部分は煮る前に茹でて、余分な灰汁と脂を取らないといけませんよ」


「ええ!? そうなのかい?」


「はい。なので、ルビアさんも食べにくかったんじゃありませんか?」


「まぁ多少は脂っこいかなとは思っていたけど、あんなもんだろう?」


「どちらにしても、脂が苦手だと言っているマリナさんにいきなりあの部分はきついかも知れません。脂身の少ない部分から行きましょう」


「それもそうだね」


 ルビアは納得してくれた様だ。


 そうして通話を終えた訳だが。


「ねぇカロム、もしかしてルビアさんってあまり料理が得意で無い人? もしくは好きじゃ無いとか」


 浅葱は、台所で朝食の後片付けをしてくれているカロムに声を掛ける。洗い終わった皿などを布巾で拭いているところだった。


「あーまぁ、好きでは無かったみたいだな。菓子作りは好きで、俺らが子どもの頃から旨いケーキやらクッキーやら焼いてくれてたが、飯は確かにな。そうだな、確かに遊びに行って食わせてもらった飯も、ブイヨンで煮ただけだったな。今にして思えば懐かしいがな」


 カロムはそう言って、おかしそうに笑った。


「いやいやカロム、笑い事じゃ無いよ。マリナさんの偏食の原因は、ルビアさんのご飯かも知れないんだよ」


「そう言やそうだな」


 浅葱の台詞に、カロムも顔を引き締める。


「不安になって来た。カロム、明日マリナさんの家に行けるかな」


「ああ、後で連絡してみる」


 そうして、翌日もマリナの家に行く事が決まった。

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