第59話 動揺
天使のような笑みに反して、サリー嬢は厳しかった。間違うと、
「あら。そのようなことで、陛下の后が務まるとお思いですか?」
と冷笑されると同時に、鞭が飛んでくる。鞭だ。比喩表現ではない。本物の鞭が飛んでくるのだ。力加減で、手加減をされているのはわかるが、現代人な私にとって鞭というものそのものが恐怖の対象である。
そして、私がお願いしたのはクリスタリアのしきたりだけだったはずなのだが、他国の歴史や、言語など、学ばなければならないことは多岐にわたっている。あの本の山は、私がこれから身に付けなければならない知識の塊だった。果たして、後一年で身に付くのか──いや、身に付かなければ、殺されるかもしれないと身の危険を感じる程度には、サリー嬢はスパルタだった。
■ □ ■
何とか、今日の講義が終わり、ため息をつく。あいたたた、と鞭で叩かれたところを擦っていると、サーラが心配そうな顔をした。
「ミカ様、すぐに手当てを致しますね」
「ありがとう」
手当てをしている間にサーラはポツリと言った。
「まさか、サリー嬢がミカ様の教育係になるなんて……」
「サリー嬢がどうかしたの?」
ユーリンも苦い顔をしていたし、サリー嬢は厳しいことで有名なのだろうか。
私が尋ねると、サーラははっとした顔をした。あの呟きは私に、聞かせるつもりはなかったらしい。しかし、もう聞かれた以上誤魔化せないと思ったのか、サーラは訳を話してくれた。
「サリー嬢は、陛下の后と目されていた女性なのです」
もし、戦争がなければ、実際になられていたでしょう、とサーラは続けた。
そういえば、通常クリスタリアでは、成人となる16の時に、伴侶を決める習わしとなっていたが、魔王の伴侶は決めるときに、アストリアの戦争がおこり、うやむやになったと魔王が言っていた。
サリー嬢が、自分以上に私の教育係に相応しい者はいない、といったのも頷ける。けれど、私がサリー嬢だったら、どこの馬の骨とも知れぬ異世界から現れた巫女を名乗る怪しげな女にその座を奪われたとなると、ちょっと、いや、大分複雑な気分だろうと思う。しかし、サリー嬢は、厳しいものの、そのような態度はおくびにも出さなかった。
そんなことを考えていると、魔王が私の部屋を訪ねてきた。
「ミカ、ユーリンから聞いた。貴方の教育係に、サリー嬢がなったと。その……大丈夫か?」
「サリー嬢は、厳しい方ではありますが、きちんと私に足りないものを教えてくださいます。オドウェル様が、心配するようなことは何者ありませんよ」
私がそういって微笑むと、魔王はほっとしたように息をついた。
「サリー嬢は、誤解されやすいが、素晴らしい女性だ。それならば、良かった」
むむ。魔王の后と目されていたのだ。素晴らしいのは認めるが、魔王の口から他の女性を誉める言葉がでるのは、なんとなくあまり面白くない。……なんて、思っていることがばれたら、また、サリー嬢から鞭が飛んできそうだ。
「それに私との結婚が嫌になってはいないだろうか?」
「そんなはずありません!」
確かに、覚えることは山のようにあるが、それは、魔王の妻になるのだから、当然だ。それよりも、魔王にそんなことを思われた方が心外だった。私は、そんなに甘い気持ちで、元の世界との決別を決めたわけじゃない。
「私が、オドウェル様のことが好きだから結婚するのに、この程度で根をあげるわけありません」
「そっ、そうか……。それはすまないこと言った」
魔王の耳は、赤かった。そういえば、口に出してはっきりと魔王のことを好きだと言ったのは、これが初めてだ。それに気づいて、私も赤くなる。
二人して照れていると、サーラが咳払いをした。
「恐れながら陛下。ただ今は婚約期間にございます。あまり夜更けに、ミカ様の部屋をお訪ねになるのは、よろしくないかと」
「……そうだな。おやすみ、ミカ。よい夢を」
そういって、魔王は私の額に口づけを落とした後、去っていった。
「──っ」
婚約者なのだし、額の口づけは、ただの挨拶に過ぎないとわかっているのに、体温が一気に上がり、床にへたりこんでしまう。
──結婚となれば、もっとすごいこともするわけで。私、一年後に本当に魔王の妻になれるんだろうか。
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