三〇 F棟404号室玄関 参

「向こうは多人数だから? それとも玄馬と尊があんたより呪術に長けているから?

 でも、そんなの理由にはならない。

 悠輝は一度逃げ出した戌亥寺に戻り、毎朝法眼に挑んではボコボコにされていたわ」


「でも、本当の父子おやこでしょ……」


 満留は、また卑屈な眼を遙香に向けて、囁くような小さな声で言った。


 皮肉な笑みを遙香は浮かべる。


「ええ、お互い本気で殺したいと思っているけどね」


 遙香が眼を覗き込むと、満留は慌てて顔を床に向けた。


「たしかに坊主が息子を殺したら問題よね、悠輝は殺したくても力不足だけど」


「爺さんを殺したら、紫織と政宗が悲しむだろ?」


 グッタリとしながらも鬼多見は減らず口を叩く。


  だいぶ辛そう……


 立っているのに疲れたのだろう、やはりまだ回復しきっていない。


 遙香はそんな弟を見て、眉を上げた。


「そういう事にしておきましょ。

 悠輝に関して付け加えるなら、このあたしを出し抜いてアークを潰しに行った、智羅教より大規模な組織にね。

 そして……」


 遙香は言葉を止めると、刹那に顔を向けた。


「刹那はあんたに立ち向かったわ、異能では劣り、武術も身に着けていないのに」


 あれは永遠を守りたいと思っただけだ、それ以外は考えていなかった。


「わかった? 世の中にはね、自分より強い者に挑む人間がいくらでもいるのよ。もちろん、負けるのが普通だわ。

 でも、心までは負けてない、心が負けなければ再び立ち向かって、次は勝てるかも知れない」


「立ち向かって殺されたら、お終いだ……」


 うつむいたまま消え入るような声で満留は言った。


「だから勝てない相手には、逆らわず、逃げ回る自分は賢い?

 そうかもね。でも、それはみにくいわ。

『弱きを助け強きをくじく』なら格好いいけど、『強きを助け弱気をくじく』は胸くそ悪い。

 だからあんたは、鬼多見法眼とあたしの奴隷になったのよ」


 満留は顔を上げ、反抗的な眼で遙香を睨んでしまった。


 ところが見下ろす遙香の顔が眼に入った途端、視線が泳いだ。


「フン、そう言うところよ。 あんたは決して賢くない、直ぐに感情に流される。

 だから、なめてかかった朱理にカウンターを喰らって、ムキになって手を出した。その結果がどうなるか解っていたのに」


 満留は何も言い返さない、遙香の言う通りだからだ。


 永遠が関わっていた時点で手を引けばこんな事にならなかったし、その後、刹那に復讐するチャンスはいくらでもあった。


「悠輝と刹那、そして朱理は、強くないかも知れない、賢くはないかも知れない、でも決して負けたりはしない」


 刹那の腕の中で梵天丸が「ワンッ」と吠えた。


「そうね、あんたも心は負けないわね」


 遙香に言われて満足そうな顔をする。


「あなたに……解るものか……」


 かすかな声の呟きを遙香は聞き逃さなかった。


「解るわけないでしょ、あたしより強い存在なんて、会ったことないもの」


 不敵な笑みを浮かべ、これ見よがしに験力を解き放つ。


 大気が震え、建物が振動する。


「あんたはあるの? あるなら、ぜひ紹介して、あたしも会ってみたいから」


  これがマネージャーの本当の力……


 今まで感じていたのとは桁違いの圧倒的な力に、腕の中で梵天丸が仰向けになって「クーン」と聞いたことのない情けない声を出した。


 刹那も腰を抜かしそうなのをガクガク震えながら耐えた。


  最悪だ、この人!


「ったく、チート主婦が」


 刹那と同じことを思ったのだろう、鬼多見は平然とぼやいた。以前はニート主婦と言っていたが、一応就職したのでチート主婦の方が合っている。どこぞの世界に転生しなくても無敵の存在だ。


 そして満留はさらに身を縮めて床に這いつくばった。


「法眼がここに寄こしたってことは、あたしにあんたを好きに使えってことよ。今からあたしに従って」


「か、かしこまりました」


 満留は従順に答えた。


「あんたはここにいる人たちを守りなさい」


「はい……」


「わかっていると思うけど、また感情に流されて刹那に手を出したら……」


「しません、誓います……」


 震える声で聞き取りにくいが、この期に及んで嘘は吐かないだろう。


 遙香は頷き、


「それと、あたしのダンナに別な意味で手を出したら、そのときはもっとヒドい目に遭わせるから」


 と、声のトーンを低くする。


「もちろん、そんなことは……」


  マネージャー、旦那さんのこと愛してるからなぁ。


 これだけ横暴な遙香だが、伴侶の英明に対してだけは多少素直になる。


  あくまで多少だけど……


「刹那」


「はいッ、何でもありません!」


 その時、勢いよく玄関のドアが開いた。


「何があったのッ?」


 永遠が血相を変えて飛び込んで来た。


「お母さんッ、大丈夫かッ?」


 続いて英明も中に入ってきたが、満留のことを聞いていなかったのだろう、床に這いつくばる姿を見てギョッとする。


「二人とも気にしないで、召使いを一人雇うことにしただけだから」


「召使い?」


 英明が露骨に不審そうな顔をする。


「安心して、無料だから」


 つまり何をさせようが報酬は与えないと言うことだ。


「そう言う問題じゃないだろ?」


「害はないわ」


「でも……」


 永遠は不安げに満留を見下ろした。


「お母さんが二度と悪さをさせない。

 ね?」


「はい、私は遙香様の忠実な下部しもべです。もちろん、ご主人様とお嬢様にも……」


 満留は姿勢を正して両手をついた。


 英明は戸惑い、永遠は信じられないものを見たように眼を見開いた。


 それはそうだろう、特に永遠にしてみればさっきまで人を喰ったような態度をしていた相手が、今は土下座をしてお嬢様と呼んでいるのだ。


「お前に手を出したら、こうなるってことだよ」


 鬼多見が皮肉を込めて言った。


「さてと、お父さんとお母さんも戻ってきたことだし、尾崎さんの世話は芦屋がすればいい。おれは野暮用を片付けてくる」


 フラフラと玄関へ向かう。


「どこ行くの? 怪我人は大人しく寝てなさい」


「戻ったらゆっくり横になる」


 遙香の言葉を受け流して靴を履こうとすると、身体が宙に浮く。


「何のマネだッ?」


「あんたはあたしのカワイイ弟だから選択肢をあげるわ。すなおに布団に戻るか、それともこのまま強制的に運ばれるか、好きな方を選びなさい」


「どっちもお断りだ」


 鬼多見から験力が溢れだすが、瞬く間にしぼんだ。


「なッ?」


 遙香が鬼多見の験力を遮断したのだ。


「そんなんで、どうやって壷内玄馬に勝つつもり? また、負けに行きたいの?」


「おれがいつ負けたッ?」


 鬼多見が姉を睨み付ける。


「あんたね……逆に勝ったところを見た記憶が無いわ。

 いくら心が負けなくても、物理的に負け続けてるじゃない」


  そう言えば、助けには来てくれるけど、勝っているところって……


 刹那も鬼多見との出会いから記憶をたどってみたが、敵を追い払った場面は思い浮かぶのに、完全に勝利したところをどうしても思い出せない。


  もしかして、おじさんって弱い?


 当てにできるが頼りにならないのが鬼多見だ。


「そういうわけだから大人しく寝てなさい」


 逆に、当てにはできないが頼りになるのが遙香だ。


「放せッ、バカ姉貴!」


 刹那が浮遊してきた鬼多見を避けると、今度は襖が独りでに開き、中に彼は放り込まれた。

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