三〇 F棟404号室玄関 弐

 娘が出て行くと、彼女は満留を中に引き込み玄関のドアを閉める。


「信じていいわ、爺ちゃんの差し金だから」


「どういうことだッ?」


 鬼多見は身を乗り出したが、フラついて壁に手をついた。


「バカね、興奮しないの。予想はついてたでしょ、孫に手を出されてあの人が黙っているわけないじゃない」


 もう一人怖ろしい存在がいた。孫には死ぬほど甘いが、決して怒らせてはならない人物が。


「じゃあ、雑誌の記事もじいさんの息がかかっているのか?」


「あんたが人殺しだって思われていたら、朱理と紫織がいじめられるかも知れないでしょ。だから情報操作するように命じたの。

 担当分野じゃないからかなり苦労したわね。でも、それ以上に法眼が怖かった」


  そりゃそうでしょうね……


 孫に手を出された法眼は、鬼神のごとく怒り狂っていたはずだ。芦屋満留がその鬼神に対抗できるかと言えば、


  どうあがいても力不足か。


「だからあらゆる伝手と呪力を使って、そんたくしまくった記事を掲載させた。そしてめでたく『カルト潰しの幽鬼』サンが誕生したってわけよ」


 苦虫を噛み潰したような顔を鬼多見はした。


「で、なんでコイツをメッセンジャーにした?」


「さっきの話しは本当なの、不幸にも彼女には繋がりがあるのよ、壷内親子と。

 爺ちゃんのことだもの、当然彼女が握っていた情報は強制的に共有させている」


「じゃあ、自分で動かないのはどうしてだ? おれに情報を伝えた理由は?」


「あたしが爺ちゃんに手を出すなって言ったからよ」


「えッ、いつ?」


「あんたが気を失っている間に。

 それにあんたじゃなくてあたしに伝えたかったんでしょ、玄馬が戌亥寺を滅茶苦茶にしたから」


「はぁッ? 聞いてないぞ!」


「今、初めて言ったんだから当然よ。

 で、あたしに手出し無用を言い渡されても黙ってられなかったんだわ。だから屋満留に情報を持ってこさせた」


「少しでも役に立ちたいってか? 健気なもんだ」


 遙香は鼻を鳴らした。


「そんな可愛げがあるわけないでしょ? 自分はすでにこれだけの情報を持っているぞって誇示したかっただけよ」


 遙香は満留を見下ろした。


「この女はね、壷内玄馬の弟子だったのよ」


 鬼多見は妙に納得したような顔をした。


「なるほど、アメノウズメも玄馬のうけりか」


「違う!」


 すすり泣いていた満留が顔を上げ鬼多見を睨む。


「あれは……アメノウズメは、私が自分自身で作り上げたッ。たしかに玄馬の呪術は参考にしてはいる……でも、魔物を利用する以外は、私が何年もかけて実現した……

 あいつの力じゃない、あれは私の……」


 再び満留は泣き崩れた。


「彼女はね、弟子と言っても大したことは教わっていないの。教えられたのは修行と称した雑用ばかり。

 壷内親子にとって彼女は、慰みものにすぎなかった」


「やめてッ!」


 一際大きな声で満留は叫んだ。


「誰が叫んでいいって言った? ご近所迷惑でしょ]


 遙香の冷たい声に再び満留はビクッとして押し黙った。


  お、鬼だ……


 今度は悟られないよう、霊力の壁を思考に張り巡らせて思った。だが、


「そうよ、あたしも『鬼多見』だから。

『鬼を多く見てきた者はやがて己自身も鬼と化す』だったかしら?

 悠輝に比べれば見た鬼は少ないけれど、母親は子を守るためなら誰でも鬼になるのよ」


  えッ、思考を読まれた?


「そんな事しなくたって、顔を見ればわかるわ。

 あと、担当しているタレントに手を出されたら、マネージャーも鬼になる」


 視線を満留に戻す。


「あれは、あなたが御堂刹那のマネージャーになる前……」


「だから何? 仕事は前任者から引き継いでるわ。過去の事案でも、担当タレントが現役でいる以上、あたしが対処する。つまり、あんたは未来のあたしにケンカを売っていたのよ」


 満留は顔を引きつらせるが、卑屈な眼差しを遙香に向けるだけで何も言わない。いや、言えないのだ、抵抗しても無駄なことを悟っているから。


 遙香は満留に何があったのか詳細に語り始めた。あしどうまんの子孫である満留だが、すでに彼女以外に異能の力を持つ一族はなく、呪術を教えてくれる者はいなかった。


 そのため満留は制御できぬ霊力のせいで何度も生命いのちを危険にさらすことになる。悪しきモノがその異能に惹き付けられるのだ。


 いつしか彼女は実の両親からもうとまれる存在となり、ついにきように預けられることになった。それが彼女が十二歳の時、小学校を卒業したばかりの春だった。それ以来、両親には会っていない。


 玄馬は最低限霊力をコントロールする方法は教えたが、後は信者の雑用ばかりやらせて学校へすら通わせなかった。


 そして智羅教で生活するようになり一年が経とうとしたある夜、玄馬の部屋に彼女は呼び出された。行き場も無く、頼る者も他に無い彼女に、拒むことなどできようはずがない。満留は玄馬が求めるままに奪われ続けた。


 彼女を欲したのは玄馬だけではない、息子の尊も同じだ。女を知らなかった彼は、父の目を盗み若い欲望を満留にぶちまけた。一度快楽を覚えた彼は、父以上に満留の身体を求めもてあそんだ。玄馬は気付いていたようだが特に息子を止めはしなかった。


 この地獄から抜け出すため、満留は力を欲し独学で呪術を学んだ。そして十八歳を迎えた時、智羅教を逃げ出した。


 それから身に着けた呪術を使い、外法師げほうしとなる。さらに芸能記者として業界に潜り込んで、今までの不幸を打ち消そうと甘い汁を求めた。


「とまぁ、こんないきさつで芸能人から『副業』を請け負い続け、やがてささはらたまの事件を起こした」


 そう言って遙香は視線を刹那に向けた。


 忘れもしない、この事件に巻き込まれたせいで自分は大手事務所と揉めて声優に転身したのだ。


  そして、なるたき……


 人気アイドルに憧れるあまり道を外れてしまった少女。


 今の自分は彼女とどこが違うのだろう。誰かを直接傷つけているわけではないが、不正をしていないと胸を張れない。


「後はあんたたちも知っているとおりよ。刹那に復讐しようとして、邪魔した朱理に手を出した」


「で、ブチ切れた法眼は、おれたちに気付かれないよう芦屋を血眼になって探し、そして見つけた」


 後を継いだ鬼多見が満留を見下ろしたまま言った。彼女は這いつくばり床を見つめ続けている。


「当然、爺ちゃんはあたしと同じことをした、相手の情報を知れば支配するのはたやすいから。ましてや自分より力の強い者を怖れる相手なら、なおさらよ」


  これが支配された人間……


 遙香に怯え、床に這いつくばる満留。それは圧倒的な呪力を誇り、刹那の前に立ちはだかった女の面影は無い。


「そんな眼で見るな……」


 満留の口から呻くような声が漏れた。


「おまえのように大した霊力ちからもない人間が、私を哀れむな!」


 憎悪のこもった眼差しを満留は刹那に向けた。


「同じことを二度も言わせないで、ご近所迷惑よ」


 静かに冷たく遙香が言うと、満留は再び顔を床に向けた。


 それに、と遙香は続けた。


「あんただって充分弱いでしょ、自分の姿を見てみなさいよ。這いつくばって、すすり泣いて、それでよく自分が強いだなんて思い込めるわね。

 哀れと言うよりこつけいだわ。自分より弱い者には徹底して強く、強い者からは身を隠してやり過ごそうとする。

 あんたが能動的に立ち向かったのは智羅教から逃げ出すまでよ。あれから何年経った? 二十年近く時間がすぎているわよね。その間、壷内に復讐しようとすら考えていない」


「……………………」


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