二八 C-HR 弐

 それから重い沈黙が車内に降りた。


 天城が何か話してくれるかと思ったが、彼女も口を開かない。明るい話題で誤魔化してもどうにもならないからだ。


 舞桜も事実を受け止めようとした。役が付かないことの辛さは人一倍知っている。役を得るためにはどんなことでもしたくなる気持ちも理解できてしまう。表面上仲良くしていても、結局は皆がライバルなのだ。


  でも、それだけじゃない……


 本当の友達だっている、助けてくれる先輩もいる、何より大抵のアニメは複数の声優がいなければ成り立たない。


 視線を上げるともうすぐ板橋だ。


  天城さんとは次、いつ会えるんだろう……


 また会いたいが、彼女の活動拠点は郡山だ。


「天城さん、恋人はいますか?」


 言ってから、唐突に自分は何を言っているんだと思って慌てた。


「あ、ゴメンなさい! いきなり変なこと聞いてッ」


 天城は少し驚いたようだが、すぐに微笑ほほえんで、


「ヘンなコトじゃないよ、ボクに興味を持ってくれたってことだし、嬉しいよ」


 と言った。


「恋人は、いるよ。今は男が二人に、女が三人」


「えッ?」


 今度は舞桜が驚く番だ。


「ジョ、ジョーダンですよね?」


「本当だよ」


 悪戯いたずらっ子のような表情でクスクスと笑う。


 嘘ではないようだ。


「それって……」


 自分は今、どんな間抜けな顔をしているだろう。


「もちろん全員と合意の上さ。ボクは基本的に『来る者を拒まず去る者は追わず』だからね」


「はぁ……」


「理解できない?」


 舞桜の顔を覗き込んで天城は不思議な笑みを浮かべた。


「まぁ、普通は理解できないのかなぁ」


「あ、あ、あの、ひょっとして、鬼多見さんも……」


「アイツは違うよ、腐れ縁の仕事仲間さ。


 使えるヤツだけど、恋人にはしたくないなぁ」


「そう、ですか……」


 何か言わなければと思い、また変なことを言ってしまった。


「ボクはね、人の心は自由だと信じている。だから恋愛も自由さ。

 誰か一人に縛り付けられる必要はない。もちろん、ボクも誰かを縛り付けようとは思わない。

 そんなの不可能さ。いくら頼んでも、たとえ暴力を振るったとしても、心を縛ることはできない。身体は縛ることはできてもね。

 できるとすれば暗示や恐怖かな? いわゆる洗脳だね。でも、そんなことをしたら、そこにいるのは本当に自分が愛した人だろうか?

 ボクには理解できないよ、本人の自由意志で好きになってもらえなけりゃ意味がない」


 そう言って再び視線を舞桜に向けた。


 天城が言っていることを彼女は理解できた。一昨年、天城に助けられた事件が、まさにそういった状況だった。


 舞桜はイベントで郡山に行った際に、過去の写真をネタに元カレ、すがともに脅され、監禁されたのだ。


 復縁を迫られたが、彼に対する想いは完全に枯れ果てていた。高校の頃、失恋したときに彼女を慰めてくれたのが菅で、それから仲良くなり交際に発展した。しかし、上京をきつかけに別れ、舞桜にとっては過去の思い出になっていた。


 あの時、舞桜が感じたのは嫌悪と声優としての居場所を守りたいという焦りだけだった。


 彼がいくら舞桜に対する愛を口にしても、少しも心に響かず、むしろ気持ち悪いと感じていた。


「それは、解ります」


「まぁ、鬼多見の一族は例外だけどね」


 ぼやくように言う。


「そうですね」


 思わず苦笑してしまう。


 空中で鵺と戦った悠輝、突然政宗と共に現われた紫織、そして永遠に憑依する遙香。彼女たちなら人の心も思い通りに操れるのかも知れない。


「愛ってさ、見返りを求めないものだって言うよね。親が子を育てるのもそうだし、ペットや動物、植物の世話をするのもそうだ。それこそ声優やアイドルを応援するのだって愛だよ」


「そうですね」


 それほど多くはないが舞桜にもファンはいる、彼らにどれほど支えられているか。たまに自分だけのファンになって欲しいと思うこともあるが、他の声優のファンでもいいから自分も応援して欲しいという気持ちの方が強い。


「あまねく愛をって言うくらい、分け隔てなく広めた方がいいのが『愛』だよね。


 なのに、どうして恋愛だけは一人に絞らなければならないんだい?」


「それは……相手を傷つけるから?」


 天城は我が意を得たりと頷いた。


「そうだ。でも、お互いが同意の上ならどうだろう? 嫉妬せず、独占しないで性別も年齢も人種も、何にも縛られず自由に好きなだけ恋愛できたら幸せだと思わないかい?」


「えー、年齢はあるていど制限しないと犯罪の可能性が……」


 今度は天城が苦笑した。


「そうだった。それが理由で、ボクは未成年には手を出さないよ。


 でも、自分に責任を持てる大人だったら、ステキだと思わないかい?」


 舞桜は黙り込んでしまった。


 天城の言っていることは理解できるが、果たして自分は恋人を独占せずにいられるだろうか。


 恋人が他の誰かを愛したら、やはり嫉妬してしまう。


「ワタシには……ムリみたいです……」


「それでいいと思うよ。誰もがボクみたいじゃないのは解ってる。というか、ボクは明らかにマイノリティーだ。

 でも、マジョリティーが間違っているとは言わないよ。色んな考え方があるのは自然なことだから。

 さっきも言ったけど、心を縛ることはできないからね。

 ただ、舞桜ちゃんには、ボクみたいな人間もいるってことを覚えておいて欲しいんだ」


 そう言って天城は舞桜を見つめた。


「天城さん……」


 舞桜から視線を外し、天城は顔を前に向けた。


「板橋だ、もうすぐ着くね」


 そうだ、あと少しで天城と別れなければならない。


「ワタシに教えてくれませんか?」


「ん?」


「天城さんの愛を……」


 そう言って舞桜は天城の横顔を見つめた。


「理解できないかも知れないけど、理解したいとは思います」


 天城は正面を見つめたまま、舞桜の手を握った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る