第37話 「夕鶴」の記憶①
◆「夕鶴」の記憶
「まだ、ハヤスギマス! 交信のとちゅうです」
イズミは慌てながら自分のケーブルも引き抜いた。
「ミノルさん・・シッパイです」イズミはケーブルを引き抜くと僕にそう言った。
交信の失敗?
でもイズミに非はなさそうだ。お母さんドールは交信の途中でケーブルを引き抜いたのだからな。
すると、お母さんドールが着衣の乱れを直しながらこう言った。
「いえ、イズミちゃん、シッパイじゃないわよ」
失敗ではない?
どっちだ、どっちの言っていることが正しいんだ?
お母さんドールは落ち着いた様子、というか、なぜか満足げな表情をしている。
考える僕に植村が「なあ、井村、俺は何が何やら、さっぱりわからないよ」とお手上げだと言わんばかりに言った。僕だってそうだ。
丸椅子に座ったお母さんドールは、再び綺麗に脚を揃え、
「ワタシ、思いだしたのよ」ときっぱりと言った。
さっきまでの体の痙攣、背中の反り返りが嘘のようにさっぱりした顔をしている。
そして「イズミちゃん、ありがとうね」と言った。
植村が「お母さん、何を思い出したんだ?」と訊ねた。
植村の問いかけに対して、お母さんドールは、
「私、まだ途中だったのよ」と言った。
「お母さん、途中って? 何の途中なんだよ」
二人・・母と子の会話が始まる。
「あら、コウイチ、憶えていないの?」
「ごめん・・お母さん。なんのことか分からないよ」
そう言った植村にお母さんドールは笑顔のような顔を見せて、
「お母さん、コウイチが小さかった頃、本を読み聞かせていたでしょ」
本の読み聞かせ。
母親が子供を寝かしつけるのに童話を音読してあげたりすること。そのことを言っているのか。
植村は記憶を手繰り寄せていたのか、
「ああ、そう言えば・・」と言って、
「僕は怖がりだったんだ。それで、よくお母さんが、本を読んでくれたね」と遠い日の記憶を思い出したように言った。
植村の言葉をお母さんドールはうんうんと頷き、聞き終えると、
「お母さん、本を読んでいる途中・・その途中だったのよ」
その頃、植村の本当の母親は亡くなった。
「私、どうして、本の続きをコウイチに読んであげなかったのかしら?」
母親は本の続きを読めるわけがなかった。
AIドールの記憶は、植村の幼少時の記憶から引っ張りだされたものだ。
AIドールはただの器にしか過ぎない。器の中に植村の思念が入り込んでいる。
だが不思議なものだ。
当の植村が忘れていた記憶をAIドールによって呼び戻されるなんて・・
「交信は完全にシッパイです」
僕に向き直ったイズミはしょげ返って言った。
使命感に駆られてした行動との落差に落ち込んでいるのだろうか。
「おかしなキオクだけがよみがえったみたいです」
そう言ったイズミに植村は、
「あながち、失敗でもないんじゃないかな」と優しく言った。
植村はそう言ってはいるが、それはせっかくのイズミの好意に対して言っているのかどうか判別できない。
「いや、植村、これって今日の本来の目的じゃないだろ」と僕は言った。
今日ここへ来たのは、お母さんドールに、自分自身のことをAIドールだと認識させるためだ。
「いや、井村、いいよ・・お母さん、記憶をとり戻して、喜んでいるみたいだから」
植村はそう言った。
確かにそう見えるが、
お母さんドールは、なぜ本の読み聞かせが途中で終わっているのか、その原因については知らない。
ただ、途中で終わっていることに気づいた。それだけだ。
それは成果としてはあまりにも少ない。
僕はもう一度トライすることを提案しようと「なあ、イズミにもう一回チャンスをくれないか」と植村に言ってみた。
僕はイズミに「なあ、イズミもいいだろう」と言うつもりでイズミを見た。
ところがイズミは・・
イズミを優しい眼差しで見ているお母さんドールが、
「あら、イズミちゃん。眠ったのね」と言って、リビングの片づけを始め、キッチンに向かった。
イズミは僕にもたれながら寝ていた。靴下をそっと脱がせると足の裏のボタンが、赤色になっている。
その色が青色になるまで起こすことは不可能だ。待つしかない。
イズミの睡眠時間がどれくらいかわからないが、足の裏のボタンが青色になるのを待つしかない
担いで車に載せるのもはばかれる。しかし、ここにお邪魔し続けるのも迷惑ををかけることになる。
これじゃまるで本当の娘みたいだな。とても友達関係とは呼べない。
さっき、お母さんドールに「イズミちゃんの靴下、どうして脱がせてるの」と訊かれたので、「起きるのを待ってるんです」と答え、「でも、いつ起きるか分からないので、困るんですよ」と言ったが、たぶん意味不明だろう。
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