第92話 レミとサヤカ②

 すると、伊澄瑠璃子は言った。

「私は、何もしていないわよ。もし二人が動けないと言うのなら、サヤカか、もしくは、渡辺という男が催眠をかけているのではないかしら?」

 伊澄瑠璃子の催眠ではないのか。

 すると、渡辺さんが、

「ああ、その通りだ。僕の妹のサヤカが、君たちが動けないように催眠をかけているんだ。サヤカの催眠は強いぞ」と自慢げに言った。

 ということは、サヤカをどうにかしないと、僕らはここから出れないということか。


 渡辺さんの言葉と同時に、君島さんが僕の腕に腕を絡ませ、

「私、屑木くんと離れたりはしないわ」と言った。

 神城は、そんな君島さんに対抗心を燃やしたのか、「ええ、私もよ」と言って「私は、どうして、こうなっているか、知りたいの。それが分かれば、奈々を元に戻す方法が見つかるかもしれない」と続けた。

 君島さんは僕から離れがたく、神城は友人の奈々を思う心で一杯だった。


 渡辺さんはそんな僕たちを見ると、ゲラゲラと笑いだした。

「さあ、サヤカ、ここには、おまえの大好きな『人間の血』がたくさんあるよ。それも生きのいい高校生三人分だ。御馳走だぞ」

 これが、ついさっきまで、ジャーナリストと信じて疑わなかった男の正体だ。

 渡辺さんにそう言われたサヤカは「んぐふうっ」と返事のようなものを返したが、もはや、そこに感情や理性があるのかどうかも定かではない。

 渡辺さんの言葉から察するに、これまでにも妹のサヤカに他の人間の血を吸わせてきたと思われる。

 僕らの血を、自分の妹に捧げようとする渡辺さんの言葉に、伊澄さんは動じず、

「私の家で、大それたことをしようとするのね」と淡々と言った。

そんな伊澄さんに渡辺さんは、「ここが、君の家だと?」と言って、

「この家は、とっくに空き家じゃないか」と続けた。

「隣に住んでいた僕らも、とっくに越したし、君の両親もあの事件で、この家から、いなくなっただろ」


 伊澄さんの家と思われたこの家も空き家だった。そして、隣同士という伊澄レミの友達、渡辺サヤカもここから出ていた。

 つまり、この二軒とも廃墟だったのだ。

 伊澄瑠璃子が大きな結界を張り、廃墟であることを隠していた。

 こんな状況では、他の家屋もどうだかわからない。

 そうなると、一つの仮説が立てられる。

 仮に、この一帯の平屋が廃墟だとしたら、そこに住む人間も、普通の人間ではないのではないだろうか? 住民は全員が吸血鬼だとも考えられる。外にいた老婆たちは、全員吸血鬼だ。おそらく、体の中に「あれ」が入っているタイプだろう。

 そんな場所から、僕たちは逃げられるのか。


「いやああっ」神城が叫んだ。

 見ると、へたり込んでいる神城の腕に、化物の触手が巻きついている。

「屑木くん、助けて!」

 神城は叫びながら腕に巻き付いた触手を掴んだ。だが、ヌルヌルしたそれは、とても掴めるものではない。「やだ、気持ち悪い」神城はその感触に嫌悪しながら、振り解こうとしている。

「神城っ」

 僕は神城に絡みつく触手を掴んだ。だが、それは掴みにくいことに加えて、伸びるのだ。

 神城から触手を振り解く方法は・・

「こうするしかない!」

 僕は触手の本体であるサヤカの胴体を蹴飛ばした。

 サヤカは、「んぐっふうっ」とくぐもった声を出し、壁際まで後ずさった。

 同時に伸びた触手は神城の腕から離れた。


「神城、この化け物は、意外と動きが遅いぞ」僕は断定した。

 だが、渡辺さんは笑い、

「屑木くん、君は、サヤカを突き飛ばしたのかもしれないが、同時に、伊澄瑠璃子のお姉さんを痛めつけたことになるんだぞ!」と非難した。

 だが、伊澄瑠璃子は僕を擁護するように、

「あら、そうかしら? 渡辺さんは何か誤解をしているようね」

 そう言って笑っている。

 これまで見たこともないような笑いだった。おかしくておかしくて、堪えきれない。そんな嘲笑だ。

 伊澄瑠璃子は切れ長の瞳を光らせ、

「レミ姉さんはちっとも痛がってなんかいないわよ。だって、さっき屑木くんに言ったように、サヤカの中に入っているのは、レミ姉さんの一部に過ぎないのですもの。本体のレミ姉さんは、痛くも痒くもないのよ」と言った。

 そして、

「うふふっ、サヤカさん」

 笑いを堪えながら、

「あなたが妬み、そして羨んだ美貌溢れるレミ姉さんの一部と、同化した気分はどんな感じなのかしら?」

 サヤカは、その返事のように「んおっ、んぷおおっ」とくぐもった声を洩らした。

 そして、「タ・ス・ケ・テ」と言った。

 サヤカは、誰に対してかはわからないが、「助けて」と言っている。

 苦しい・・この体を何とかして欲しい。そんな風に聞こえる。

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