第78話 学生の男

◆学生の男


 渡辺さんの言葉に驚きを隠せなかったのは僕だけではないだろう。

 おそらく神城も、そして、君島律子も同じだったのではないだろうか。

 僕たちは、僕と君島さんはいずれ、もっと血を欲するようになる。

 そして、大量の血を飲むには、口だけでは足りず、「あれ」が必要になってくる。

 体がガタガタと震え出した。その震えは、これから僕の体に起きるであろう変化への不安からだった。


 その時、ファミレスのドアチャイムがカランカランと軽い音を立てた。

 何気なく来店した人の姿に目をやると、そこにはよく知っている人がいた。

 それは、女の人・・景子さんだ。

 そして、景子さんは一人で来たわけではないようだ。連れの男性がいる。

 学生なのか? 

 興味を持って男の顔を見た時、

 心臓の鼓動が一つ、ドクンッと大きく跳ね上がった。

 あの男だ。

 あの幽霊屋敷で見た大学生のカップル、その男の方だ。暗がりでよく見えなかったが、間違いない。少し頬のこけた痩せた男。見間違えたりはしない。

 景子さんの知り合いなのか? そもそも二人はどういう関係なのだ。

 同じ大学なのか? クラブの先輩後輩の仲なのか。まさか、二人は・・

 いや、違う。あの男には、相思相愛に見えた女がいたではないか。


 二人は、ウェイトレスの案内について、こちらに向かってきた。

 二人が近づいてくる。僕は思わず俯いた。悪いことをしているわけでもないのに。

 景子さんは僕に気づかず通り過ぎ、店の奥へ進み、角を折れ、丁度僕らの席の対岸に位置する席に腰を掛けた。

 すると、ようやく僕の姿を認めたのか、ニコリと微笑み、手を少し上げ、そして、静かに振った。

 その動作の一つ一つが美しかった。

 そして、景子さんの容姿や動作が、美しければ美しいほど、誰にも触れさせたくはなかった。特にその相手が男だと許せない思いが沸き上がる。しかも、男は、体内に「あれ」を宿してる吸血鬼だ。

 僕の心は、大きく膨らむ嫉妬と同時に、「景子さんをあの男から救い出さないといけない」その思いで溢れんばかりになった。

 男の方は、僕や君島さんに屋敷で会っているのに、気づかず通り過ぎていった。


「どうしたの、屑木くん」

 僕の様子の異変に気づいたのか、神城が声をかけた。

 すると、君島律子が、

「あそこにいる女の人が気になるんでしょ」と冷ややかに指摘した。

 僕が答えないでいると、

「さっき、あの女がここを通った時、同じ血の匂いがした」

 君島さんはそう言った。

 同じ血の匂い? 景子さんのことか? それとも吸血鬼の男の方か。

「君島さん、それはどういう意味だ?」

 僕が君島さんに言うと、渡辺さんが、

「あの女の人も吸血人なのかな?」と誰ともなく言った。あやふやな言い方だ。

 渡辺さんの言葉に神城が、「ええっ、渡辺さん、どうしてそう思うんですか?」と尋ねた。

「何となくだよ」

 渡辺さんは軽く答えた。

 そんな渡辺さんの適当な推測の言葉に怒りが込み上げてきた。

「何となくだと・・」僕の声に力が入る。

 皆が僕の顔を見た。

「そんなわけがないだろ!」

 景子さんが吸血鬼なわけがない。あんなに綺麗な人が。


 気がつくと、僕は渡辺さんに怒鳴っていた。

 目を丸くして驚く渡辺さんと神城。

 君島さんは無表情な顔で、僕に合わせたように「彼女は吸血鬼じゃないわよ」と言った。


「ちょっと、屑木くん、大人げないわよ」

 神城は渡辺さんに対する僕の言葉遣いを戒めた。

 そう言われても、息が荒くなり、感情が昂ぶっていくのを抑えられない。

 僕は腿をズボンの上からつねって、正常心に戻すように努めた。

 僕は、景子さんを守らないと・・

 そう思った時、腿をつねる僕の手の甲に、君島さんの手が置かれた。

「屑木くん」そう言って君島さんは僕の顔を見ている。

 君島さんの手の平は暖かかった。

 吸血人でも、手は暖かいんだな。そう思った時、なぜか、僕の心は落ち着いていた。


「そろそろ、帰ろうか」

 渡辺さんが腰を上げた。「君たちの帰りが、遅くなってもいけないし」

 だが、僕はこの場を去ることを望んでいなかった。

 景子さんが気になる。あの男との関係も気になるし、この先、景子さんに訪れる危険も気になって仕方ない。

 だが、この場の誰も、景子さんのことを気にかける人はいない。

 僕だけだ。

「ちょっと、みんな、待ってくれ」

 この場を去ろうとする皆に僕は言った。気持ちが焦っている。

「君島さん」

 僕は君島さんに声をかけた。

「君島さんは、あの男の顔を見ているだろ。あの屋敷で出会っているだろ!」

 僕は対岸の景子さんがいる席を指して言った。僕と君島さんは、あの男に襲われている。

 そう言われて、君島さんは、学生の男を目を凝らして見た。

「私、目が悪いのよ」

「そうなのか」それなら仕方ない。今度は神城に、

「あの男の顔を見てくれ。目を細めて」

 神城は僕に言われた通りにした。同時に渡辺さんもそうした。

「顔に穴が開いているな」渡辺さんが言って、神城も「ええ、顔の中に渦があるように見えるわ」と言った。「あの男の人、吸血鬼よね。松村くんや、奈々と同じように、体の中に『あれ』が入っているタイプよね」

「そうだ」

 やっとわかってくれた。だが、渡辺さんは、

「だからといって、どうすることもできないよ」

 そう言って、

「あの同席している女の人、血を吸われるかもしれないな」適当な憶測を言った。

「そんなことを適当に言わないでくれますか!」

 再び、僕が大きく言うと、神城が、

「屑木くん、さっきから何なのよ。怒ってばっかりよ」と制し、「そんなにあの女の人が気になるの?」と言った。


 僕たちが言い合っていても、景子さんに僕たちの心情はわからない。

 景子さんは、あの男と話し込んでいる。時折、笑顔を混ぜながら。

 苛立つ。

 景子さんに僕の方を見て欲しい。

 景子さんの血が飲みたい。

 そうすれば、景子さんの心は・・

 そこまで考えが及ぶと、僕は頭を振った。

 僕は何てことを考えているんだ。あんなに僕のことを思っている人に対して、そんな失礼極まりないことを。


 仕方なしに、ファミレスを出ると、僕は渡辺さんと神城に別れを告げた。

 早く君島律子と二人きりになりたかったからだ。

 神城が訝しげに僕と君島さんを見ているのが分かったが、気にしていられなかった。

 それほど、血を吸いたいという欲求が高まっていた。

「君島さん、君の血が飲みたいんだ」

 僕がそう言うと、彼女も呼応するように「屑木くん、私も」と喘ぐように言った。

 僕は君島さんの手を引いて、路地裏に逃げ込むように入り込んだ。


 僕は貪るように君島さんの首筋に齧りついた。「あっ」と君島さんは声をあげた。そして切ないような声を洩らした。だがそれは不快なものではなく、むしろ悦んでいるような身悶えの声だった。

 だが、体内に取り込める量は少ない。口の吸引力のせいなのか。

もっと飲みたい。

こんな舐める程度ではなく、もっと大量の血を取り込みたい。

足りない。

 それには、体の中に「あれ」がないといけないのだろうか?

 僕が済ませると、今度は君島さんがせっつくように僕の首に口を這わせた。

 誰かが僕らを見れば異様な光景だろう。少なくとも健康的な男女のカップルのすることではない。けれど、僕たちは他人の目など気にしなかった。

 君島さんは欲望を達すると、荒い息を吐き、こう言った。

「さっきの渡辺という男、私は嫌いよ」

 僕は僕で、景子さんのことが気がかりだった。

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