第75話 ジャーナリスト
◆ジャーナリスト
「ねえ、君」
学校帰り、校門前で男に声をかけられた。
男は30代くらいの不精髭を生やした痩せ型の男だった。
思わず警戒すると、男は「怪しい者じゃないよ」と言って名刺を差し出した。
僕の人生の中で名刺を見るのは初めてのことだ。父の名刺すら見たことがない。 そんなことを思いつつ名刺の名前、社名、住所欄目を走らせた。
名前は「渡辺正雄」○○神戸と書いてある。どうも地方紙の記者のようだ。
「君の前に、何人か声をかけたんだけど、みんな、ふられてね」
僕もそうしたい。
「僕に何か用ですか?」
渡辺さんの意図が全く見えない。僕の前に何人か声をかけたということは、僕の高校の生徒なら誰でもいいということなのか。
僕の質問に男はこう言った。
「たいした用事じゃないんだ、と言いたいところだが、そんな軽い話でもないんだよ」と前置きし、
「君は、あの『伊澄瑠璃子』と同じクラスの子だろ?」と訊いた。
伊澄瑠璃子という名前で、僕の興味が沸いた。
同時に後ろから、
「屑木くん、お知り合い?」と神城が声をかけてきた。僕たちは三人で帰るところだった。
あとの一人は、最近、僕にべったりの君島律子だ。彼女は神城の歩く位置を妨害するように前に出る。神城も慣れてきたのか、鬱陶しそうな顔も見せない。
残念ながら、佐々木奈々は欠席だ。「疲れてますから」と言っていたが、本心なのか、わからない。
渡辺さんは、二人を見て「君たちも同じクラスの子だね」と言って笑顔を見せ、
「これからどこかに行くところだったのかい?」と訊いた。
男の言う通り、僕ら三人はいつものファミレスに寄る予定だった。
その内容は、伊澄瑠璃子とまともに会話をする方法についてだ。
そのきっかけは当の伊澄瑠璃子から与えられた。
僕たちは伊澄瑠璃子と学校の外で会う約束をした。
もらった名刺を神城に見せると、「記者が、屑木くんに何の用事なの?」と訊いた。
そう言った神城に、渡辺さんは、
「いや、僕は伊澄瑠璃子のクラスメイトなら誰でもいいんだ」と再び人懐っこい笑顔を見せた。
神城は「伊澄瑠璃子」の名前に興味を示し、君島さんは「また、伊澄さんなの」と辟易するような顔を見せた。君島さんはよほど伊澄瑠璃子のことが嫌いなようだ。
そして、渡辺という男は僕たち三人にこう訊いた。
「伊澄瑠璃子のいるクラスでは、おかしなことが起きているんだろう?」
その質問に僕たち三人の誰も否定しなかった。
渡辺さんは、「少し時間をくれないかな?」と誘い、僕らは予定通りのファミレスに渡辺さんと行くことになった。人懐っこい笑みを浮かべながら「僕に奢らせてくれよ」と言った。
僕たちは、いつものファミレスに初めて大人と同席することになったことに、若干居心地の悪さを感じていた。君島さんも僕の横に座っているにも関わらず、ベタベタしないし、渡辺さんの横に座ることになった神城は珍しく緊張の顔を見せている、
僕たちの名前を紹介し終えると、
「それで、屑木くんたちは、どんなことを経験したんだい?」と話を切り出した。
向かいの席の神城は目で「言っていいの?」と語っている。さっき会ったばかりに人に、吸血鬼の体験談を話すのは気がひける、そんな目だ。
それに、僕と君島律子は、吸血鬼もどきだ。正体がばれてはいけない。
目の前の男を信用できない。
まず第一声、神城が口を開いた。
「あの、渡辺さんは、どこで、私たちの学校のことを聞かれたんですか?」
その質問に対して、
「ああ、吸血人の話だよね」と言った。
「吸血人・・」そんな名称なのか。
この男は吸血鬼の現象を知っている。
そして、渡辺さんは「それは、君たちの学校だけじゃないよ」と続けた。
僕たちの高校だけじゃない?
男は続けて、
「だが、君たちの学校が最もひどい。だから、こうしてその様子を探りに来たんだよ」と言った。
「それって、私たちのクラスに伊澄さんがいるからですか?」神城が訊くと、
「そういうことだ」と渡辺さんは答えた。「他の学校には、伊澄瑠璃子のような女性が存在しない」
それはそうだろう。あんな不気味かつ眉目秀麗な女生徒がそこら中にいるものではない。
僕が「他の学校で、何か起きているんですか?」と訊くと渡辺さんは、
「学校とは限らないよ。ほら、このファミレスでも、つい先日、おかしな出来事があったらしいじゃないか」と言った。
あのことか? 中年男がウェイトレスを襲った時のことだろうか?
僕が見たこと、経験したことを話すと、
「ああ、あの時、君たちもいたんだね」となぜか納得したように言って「君たちに声をかけて正解だった」と意味深に言った。
「正解?」と神城が言うと、
「ああ、正解だよ。君たちは、まだ洗脳されていない風に見える」と言った。「でも、それ以外のこの町の人達は、次第に町の異変から目を背けようとしている」
「異変から目をそむける?」
神城と、僕の声が同時に出た。君島律子は退屈そうにジュースを飲んでいる。
この町を覆う催眠なのか。
「それは、君たちのような若者だけではなく、大人もだ」
それは感じていた。教室でのことや、屋敷内やこのファミレスでのこと、噂はすぐに立つはずだ。しかし、予想よりも話題に上がらない。先生や家族もだ。
あの救急車の事故も調べれば、隊員が血を吸われていることくらいわかるはずだ。
すると君島律子が面倒臭そうに、
「それって、みんな無関心ってことじゃないの?」と言った。
そして、「両親に話しても、信じてくれないし。それより、私が屑木くんと仲良くなったことに興味がいっているわ」と続けた。
その言葉に神城が顔をしかめ、「君島さんは、特別よ」と批判した。相変わらず二人は仲が悪い。仲は悪いが、なぜかいつも一緒にいる。
だが、渡辺さんは君島さんの言ったことに同調して、
「そうだろ。みんな、自分たちの興味のあること、理解できることには、目を向けるが、理解の到底及ばないことには、目を背けてしまう」
吸血鬼のことなど、普通の人間にとっては映画の世界だ。
渡辺さんは続けて、
「それに加えて、吸血人は目に見て、非常に分かりにくい。誰が血を吸われた人間なのか、見えてこない」と語った。
それはその通りだと思う。
僕と渡辺さんの真横の君島律子とが、互いに血を吸い合った仲だと、誰にわかることができるというのだ。渡辺さんも知らない。
体内に「あれ」が入っていない吸血鬼は常人と変わらないのだ。
だが、松村や体育の大崎のように「あれ」が入っていると、顔に穴が空いているように見える。しかし、それは目を細めてみないと分からない。
そして、渡辺さんは、補足するように
「町の人間が、吸血化現象に無関心なのは、やはり、何かの力が働いているとしか思えない」と言った。
そして、ふいに、
「君島さんは、君の彼女かな?」
渡辺さんは君島さんを目で指しながら尋ねた。
そう言われて嬉しいのか、君島律子は「ええ」と頷く。
その反応に神城は「ちょっと、君島さん」と抗議し、僕はただ戸惑いの表情を浮かべるだけだ。そう思われても仕方のない雰囲気が僕たちにはある。
「彼女は、吸血人だろ? そして、屑木くんも」
そう渡辺さんは自信たっぷりに言った。
その言葉に驚いたのは、僕と神城だけで、君島さんは何とも思っていない様子だ。
僕たちが黙っていると、
「血を吸われた人間は、吸った人間の虜になる」と渡辺さんは言った。「屑木くんと君島さんはそんな関係に見えるよ。ただのカップルとは思えない。彼女の方が、君にくっ付き過ぎだ」
僕たちはどんな風に見えるのだろう?
すると神城が僕を代弁するように、
「屑木くんと君島さんは仲がいいだけなんです。そんなの憶測に過ぎないでしょう」と抗議した。
神城の抗議に渡辺さんは「いや、失敬」と頭を掻きながら、「でも、当たっているんだろ。そんなにムキになるところを見ると」と言った。
そして、渡辺さんは、言った。
「別に、君たちが吸血人でもかまわないんだよ」
「え?」
僕たちが吸血鬼でも、そうでなくても、どっちでもいい、そんな風に渡辺さんは言った。
更に僕と神城が戸惑いの表情を見せていると、渡辺さんはこう続けた。
「だって、僕は、これまで多くの吸血人化した人間を見てきている」
僕はそれを聞いて思った。
僕たちの前に、伊澄瑠璃子にまつわる一連の吸血鬼騒動を知っている大人が初めて現れたのだと。
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