第70話 保健室②

 そして、「体から『あれ』を取り出す方法だけど・・伊澄さんにお願いしてみれば」と軽く言った。

 やはり、そうなのか。

「伊澄さんだったら、『あれ』を取り出すことが出来るんですか?」

 僕の真剣な質問に吉田女医は「さあね」返した。「そんなの私にもわからないわ」

「先生なら、何でも知ってるかな、と思って・・」

 吉田女医は僕の頼みの綱だった。川べりで僕の血を吸おうとした先生だが、他に頼る人もいない。

「答えにならなくて、ごめんなさいね」

 そう言って吉田女医は両腕を組んだ。腕を組むと大きな乳房が更にせり上がってくる。

「それで、屑木くんのさっきの質問の回答」

「さっきの質問?」

「訊いていたでしょう。私が誰の血を吸っているのか? って」

「その前に・・吉田先生も、少しの血で満足できるのですか?」

「できるわ。そういう意味では、私は屑木くん寄りの人間なのかもしれないわね」

 そう言った吉田女医に、

「僕の側って、先生の中には『あれ』が入っているんでしょう?」

 吉田女医は伊澄瑠璃子に入れられる途中、父親の出現により、その行為は中断された。

 ・・だったら、中断されたとはどんな状態なのか?

「その途中で、お父さんが来たから、半分しか入れられなかったわ」

「半分?」

 僕が理解できないような顔をすると、

「あら、知らなかったの?」と吉田女医は言った。「『あれ』は大きくなったりもするけれど、千切れたりもするのよ」

「千切れる?」

気持ち悪い。吉田女医の中にはそんなものが入っているのか?

「あら、屑木くん・・今、私のことを気持ち悪い、と思ったでしょう」と指摘した。

「い、いえ、んなことは・・」

 しどろもどろになる。吉田女医の機嫌を損なうと、何をされるか、わからない。

「顔にかいてあるわよ」

「でも、入っているんですよね?」

 僕が苦笑しながら訊くと、

「どう思う?」

 吉田女医は艶っぽい瞳を見せて訊いた。

「・・そんなのわかりませんよ」と言うと、

「たぶん、もうないわ」

「もうない?」

「ええ、私の体が吸収しちゃったのかもね」

 体が『あれ』を吸収した?

 吉田女医は「早い話・・私の体があれを食べちゃったのね」と説明した。

「屑木くん、信じられないでしょう?」

 確かに信じられないが、吉田女医の体がこれほどまでに扇情的に変化したのは、それが理由なのかもしれない。


「それで、吉田先生は誰の血を吸ったんですか?」

 もしくは、現在、誰の血を吸っているのか?

 すると、吉田女医は、不気味な笑みを浮かべて、

「・・お父さんの血よ」と言った。

 吉田先生の父親・・あの真面目そうな用務員さんの血を。

「他にも吸ってみたけど、父の血が一番ね」

 そう言って吉田女医は唇を舐めた。


「吉田先生は、他に誰の血を吸ったのですか?」

 僕が訊くと、

「うふふっ」と意味ありげな笑みを浮かべて、

「屑木くんは、その相手をこの前、教室で見たじゃないのぉ」

「教室で?」

 まさか、

「体育の大崎先生よ」

 吉田女医が、あの体育の大崎先生の血を!

 ならば、あの校庭の物置で伊澄瑠璃子がしていた行為は、「あれ」を入れるためだけだったのか? しかし、物置の中には、『あれ』の巨大なものがいた。

 そして、大崎のことを、伊澄さんも吉田女医も「出来損ないの失敗作」と呼んでいた。


 僕の顔を見て吉田女医は笑みを浮かべ、

「あの大崎という男、女子生徒だけじゃ飽き足らず、私にも手を出してきたのよ」と言った。「だから、反対に大崎の血を吸ってやったのよ。あいつをねじ伏せて、ガブリ・・よ」

 吉田女医は鋭い歯を伸ばしながら笑った。「でも、不味かったけどねえ・・お父さんの血の方が美味しいわよ」 

「じゃあ、あの大崎先生は、その後、伊澄さんに」

「そういうことよ。あの男、伊澄さんの催眠に引き寄せられて、『あれ』を入れられたのよ。無様な男ね」


 吉田女医は続けてこう言った。

「それにね、大崎のような不味い血より、お父さんの美味しい血を吸って思ったのよ。血の繋がりのある者同士で吸い合うと、結構いいものだって」

 血縁者同士で血を吸い合うって、吉田女医の父親も娘の血を吸っている。そういうことか。異常な光景だ。

「いい事って・・何ですか?」

「屑木くんに経験があるかどうかは知らないけれど、血を吸った相手側の人間は、吸った人の言うことを聞いちゃうのよね」

「催眠ですよね」

「あら、知っていたのね」

 一時的にしろ、屋敷内で君島律子は僕の言うことに従っていた。

 あの大学生の男女の命令より、僕の言葉を優先していた。


「私と父は親子でしょ・・親子が互いに言うことを聞くのって当たり前じゃないの」

 そう吉田女医は言ったが、それって、違う気がする。

いくら親子でも、それはやってはいけない。

 だが、そう言う僕も先日、母の血を危うく吸うところだった。吉田女医を咎める資格もない。あの時、母の血を吸っていたらどうなっていたことか。

 お互いに言うことを聞くようになる。それを母子と呼べるだろうか。


 僕がお茶を飲み終えるのを見て、吉田女医は腕時計に目をやり、

「あら、もうこんな時間」と言った。「屑木くん、悪いけれど、私、そろそろ失礼するわ」

 壁時計を見ると、もう5時だった。


「もっと屑木くんと話していたいけれど、私、これでも箱入り娘なのよ」

 そう吉田女医は笑いながら言った。「定時には帰らないと、父が心配するのよ」

 随分イメージと違う発言だ。

 イメージは違うが、それは吉田先生が以前の生真面目だった頃の名残りなのだろう。

 真面目だった頃の吉田先生は、どちらかと言うと眼鏡をかけた優等生風だった。 とても目の前のお色気を振りまいている豊満なセクシー女性タイプと同一人物とは思えない。 


 僕には、まだまだ聞きたいことがあったが、これだけは訊いておきたいものだけを訊ねることにした。

「吉田先生・・最後にこれだけ教えてください」

「何かしら?」

 吉田女医は立ち上がり、そのまま白衣を脱いだ。脱ぐと、何かの拘束から逃れたように大きな乳房がブルンッと躍り出た。

「さっき・・先生は『あれ』が、体内に『いる』と言ってましたけど、『あれ』って、結局のところ、何なのですか?」

 前回、吉田女医は、あれは伊澄瑠璃子が懸命に守ろうとしている者、と言っていた。

 僕の最後の質問に、吉田女医は、「あれは・・」

「おそらく、あれは、人間よ」と言った。

「人間?」

「正確には、人間になろうとしている者よ」

 そう吉田女医は言った。


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