第65話 それぞれの能力②
仰向けに倒れ込んだ中年男を見ると、男が気絶しているように見えた。口からダラリと「あれ」がはみ出ている。
更に観察するよう見てみると、「あれ」は再び、男の体内に戻ろうとしているように見えた。
いつのまにか、僕の傍に来た神城が、「屑木くん・・あれが、そうなの?」と言った。「あれが奈々の中にも入っているの?」
「そうだ」と僕は応えた。
その時、僕はあることを考えていた。
取り敢えず、「あれ」に触れても何もなかった。それに「あれ」の小型版は、体内に入らないと血を吸うことはできない。比較的無力なのかもしれない。
だったら、やってみる価値のあることがある。
僕は気を失っているかのような男の元に駆け寄った。
そして、再び、「あれ」を手で掴み、引っ張った。
「あれ」が男の体内に戻る前に、こいつを引き摺りだすんだ!
だが、何てやり難い・・小さな手のようなもので、出ることを拒んでいる。
その様子を見ていた君島さんが、
「また、手が汚れますわ」と言って加勢した。
僕たち吸血鬼二人の力だ・・それは男の口の中からズボッと抜けた。抜け落ちた それは床の上でブルンブルンと動いている。だが、襲いかかってくるような感じではない。
宿主の人間からの栄養供給がなければ、そのパワーを維持できないのだろうか?
「ギ・ギ・ギ」と断末魔のような声を上げ、その動きが小さくなっていく。同時に縮んでいくようだ。
「おい、君たち、何なんだ? これは?」
このファミレスの店長らしき男が言った。遅い出番だ。これまで奥に逃げていたんじゃないのか?
僕は「僕にもわかりません」と答えた。曖昧な情報を見知らぬ人間に伝えるわけにもいかない。
ほとぼりが冷めたのを見計らって、数人の客が「あれ」の様子を伺いに来た。
「こんなの見たことがないぞ!」
「これって・・ナメクジの巨大なやつか?」
「そうじゃないよ。小さな手みたいなものがある」
客たちがそう言い始めた時には、それの動きは停止していた。停止した上に、ヌメリ感が失われ・・所々が、ひび割れているようだった。放置しておくと崩れ去ってしまう・・そんな風にも見えた。やはり、「あれ」の小型版は宿主がないと生きていけないのか。
あの屋敷の中に蠢いていた巨大なものや、楽器ケースの中から出てきた中型サイズのものは自立しているように思えた。
「あれ」は何であるのか? そして何をしたいのか? 人間の中に入り込み、何をしようと考えているんだ?
そもそも、「あれ」を口の中から出すことのできる伊澄瑠璃子は何者なんだ?
そして、僕はこう考えを続けた。
・・「あれ」は人間になろうとしているのではないだろうか?
なぜ、そう思うのか? それは保健医の言葉だ。
「『あれ』は・・伊澄さんが、懸命に守ろうとしているものよ」
吉田女医が言ったのが、「物」なのか、「者」なのかは不明だが、やはり、僕には それが「者」・・つまり人間としか思えなかった。
伊澄瑠璃子は、人間である誰かを守ろうとしている・・
そこまで考えが及んだ時、
「おい、これ、どうするんだよ?」と客の誰かが言った。
「こんなの見たことがない」
「こういう時は、保健所だろ」
「警察か? こんな時は警察じゃないのか?・・一応、事件だ」
そんな声より大きな声が響いた。
「それより、誰か救急車を!」
店長が倒れているウェイトレスと中年男を見ながら言った。
名札に「美里」と書かれている年配のウェイトレスが、僕や君島さんのような吸血鬼になることは間違いない。
問題なのは・・僕が知りたいのは、体内から「あれ」が無くなった後、その人間がどうなるのか?
それが知りたい・・
もしかすると、佐々木や松村を救えるのではないか・・そう思った。
だが、そんな期待を無に帰すように、誰かが、
「この男・・もう死んでいる」と言った。
仰向けの中年男を見ると、口元から黒い液体を出し、その目は見開かれたまま閉じなかった。
・・いったん、体内に「あれ」が入った人間は、もう元の体に戻ることはないのか?
しかし、まだ希望はある。
松村は屋敷でこう言っていた。
「俺と佐々木は・・まだ人間だ。体に血が流れている」
今は、松村の言葉を信じるしかない。
そして、目の前に横たわっている男は、あの屋敷の大学生カップルと同じように、既に体の中に血は無い、と思われる。
男は、「あれ」を入れている「容器」に過ぎなかった。
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