第27話 骨

◆骨


 月曜日の朝を迎えた。

 ファミレスで感じた変な感覚はもうなかった。母の夕飯も普通に味がして美味しかったし、妙な欲望も起きなかった。昨日のことは、ただの思春期特有のものだと考えることにした。


「なあ、屑木・・」

 休み時間に僕の名を呼んだのは松村だった。

 やはり目を細めて見ると、松村の顔はおかしい・・その中心部が空洞に見える。

 気味が悪いので凝視しないようにした。松村には申し訳ないが、見ていると吸い込まれそうになる。

 そして、改めて松村の首を見たが・・穴はない。穴がないということは、血は吸われていないのか。それとも時間が経てば塞がるのか?


「屑木、お前はあの屋敷には行ったんだよな?」と松村は訊いてきた。

「ああ・・行ったよ。大勢だけどな。6人で行った」

「何も起きなかったのか?」

「起きすぎたよ・・ひどい目に合った。親にも言ったが、信用してくれない」

 松村の質問に僕はあらかたの経緯を伝えた。屋敷に行ったメンバー。白山のあかねのことから・・救急車の事故まで。

 松村がどの件に興味があるのかは不明だが、正直に全部話した。

 そして、黒崎みどりに噛まれたことまで言うと、松村は、

「屑木の体・・どこか変化はないか?」と訊いた。

体の変化・・昨日の昼間は、確かにおかしかった・・しかし、今は何ともない。

「いや、特には」と僕は答えた。

「そうか・・」

 と小さく言った松村に僕は、

「松村が行った時には・・何があったんだ?」と訊いた。「教えろよ」

 そう強く言った僕に松村は、

「実は、佐々木さんと行ったんだ。俺が誘ったんだけど」と答えた。

「それは佐々木から聞いて知っているよ」

「佐々木さんは途中で帰ったけど、俺は敷地内に入った」

「どこまで入ったんだ?」

「一番大きな広間までだ」

「あの大広間までだな・・それなら一緒だな・・そこで何があったんだ?」

「暗くてよくわからなかった・・」

「蝋燭があっただろ?」

「見えなかった、懐中電灯でも持って来ればよかった、そう思った・・だから、もう帰ろうと思ったんだ」

「それで引き返した・・それだけか?」

 だが、松村の話は先があった。

「違う・・帰ろうとしたら、首に違和感があった・・手で触ると、ぬるっとした。血が出てる! そう思って、俺は出口に向かって駆け出したんだよ。出血の量が多い・・すぐに血を止めないと・・そう思ってな」

 そうか・・暗くて何が起きているのかわからないんだな。

 そして松村はこう言った。

「廊下で、誰かに抱きとめられたんだ」

「抱きとめられた? それ・・女だよな?」

 男同士・・それは気持ち悪いし、想像したくない。聞きたくない。

「たぶん・・女だったと思う・・髪が長いのがわかったし・・それに胸があった」

 それは間違いなく伊澄瑠璃子だ。


「その後、どうなったんだ?」と言う僕の問いかけに、松村は、

「そこからが、わからないんだ。家までの記憶が途絶えている。どうやって帰ったかもわからないし、ずっとあれから頭がぼんやりしている」

 それで成績が落ちたのか。

「何か、他に変わったことは?」さっき松村が僕に訊いたように同じ言葉を言った。

「なんか・・おかしいんだ・・体がふわふわ浮いたような感覚が続いているし、眩暈も多くなった」

「ちゃんと医者には診てもらったのか?」

 松村は「それが『異常なし』なんだよ。どこにも悪い所がないらしい」と言った。

「精密検査とかしたのか?」

 松村は「MRIとかいうのもしてもらった・・それも異常なしなんだ」と言って「医者にも、そして母親にも自律神経失調症じゃないか・・と言われたよ」と説明した。


 だったら、いいじゃないか。成績が下がっても、運動神経は良くなっているみたいだし。

 僕がそう言って慰めると、松村は首を振って、

「ところが・・やっぱりおかしい」と言った。

 そして、僕の前に右手をぐいと差し出した。

「屑木・・俺の右手を見てくれ」と言って、右手の先を左手で握って、そのまま反らした。

「な・・おかしいだろ・・こんなに手が曲がるはずがない」

 松村の言う通り、右手は信じられないほどに反対側に反り返り、腕の上にペタッと引っ付いた。

「酢でも飲んだのか?」と僕が言うと、

「手だけなら、そう思うかもしれない」

 松村はそう言って、首を横に回した。

 すると、目の錯覚か? と思うほど、松村の首は反対側に回った。

 僕は「おい、やめろよ」と言って松村を制した。ここは教室だ。「誰かに見られたらどうする!」

「その首こそ、医者に見せた方がいいんじゃないか? 親は何て言っているんだ?」

 僕がそう言うと、

松村は、僕に体を寄せてきて、

「俺は怖いんだよ・・」と言った。

「怖い? 自分の体のことだろ」ちゃんと親には言わないと。

「屑木には分からないかもしれないけど、体がどんどん変になっていくことを報告できなくなってくるんだ。もし、ただの病気とかじゃなくて、とんでもなく怖いものだったりしたら・・とか考えると、夜も眠れない」

 そう言葉を続ける松村に、

「そうか・・訊いて悪かったな」と謝った。


 そんな語らいを松村としていると、

 突然、背筋をぞぞっと悪寒が走った。

 同時に空気が湿気ったように感じられ、五感が鋭敏になった気がした。

 だが、それは僕の背後を伊澄瑠璃子が通り過ぎただけのことだった。

 

 通り過ぎた伊澄瑠璃子を目で追いかけると、

 伊澄瑠璃子の美貌を羨望の目で見る女生徒、又、それとは逆の嫉妬、敵意の目で 追いかける女子たち・・そんな多くの目が僕の視界に飛び込んできた。

 なぜ、他人の目線がこんなにも気になるんだろう。

 そして、他人の目線よりも、

 もっと気になるもの・・

 それは伊澄瑠璃子のその姿だった。

 その美貌は、神々しいほどに美しく見えた。

 いまだ恋というものをしたことがない僕は、

 これが恋に近い感情なのか・・とも思ったが、すぐに違う、と否定した。

 この突如として沸き上がった気持ちは・・おそらく、

 崇拝だった・・神聖視というものかもしれない。


「屑木くん・・ちょっと、目がいやらしくない?」

 目の前に委員長の神城涼子が立っていた。

 気づくと松村はいなくなり、伊澄瑠璃子は自分の席に着いている。

 まるで白日夢のようなものを打ち消すように僕は頭を振った。

「神城・・何か用か?」と神城に尋ねると、

「屑木くん、伊澄さんの後ろ姿を追いかけていたでしょ。遠慮なしに見ていたわよ」

「そうだったかな・・」

「もしかして、伊澄さんを見ていることに気づいていなかったとか?」

 そうかもしれない。

「気づいていなかったとしたら、相当やばいわよ」

「たぶん。神城の勘違いだよ」僕は伊澄瑠璃子の姿を追っていたことを否定した。「この前のことを思い返していただけだ」

 僕がそう言うと神城は真顔になり「ああ、そういうことね」と納得したようだった。

 なんとか神城を誤魔化したが、

 僕の伊澄瑠璃子を見る目が変わりつつあることは確かだ。

 伊澄瑠璃子のことをもっと知りたい・・

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