第345話 視線④

「うふふっ」

 義姉が微笑んだように見えた。穿き古したジーンズにミリタリージャケットのポケットに手を突っ込んだまま笑っている。

 他人が見たら、何を見て笑っているのか? と思うところだろう。だが、彼女にはそんなことはどうでもいいのだ。自分が興味あることしか目に入っていないのだ。

「あなたでしょう、今、私の父を殴ったのは」そう言われた気がした。

 僕は恐怖を感じた。肉体的な恐怖ではない、心の奥底に届くような恐怖だ。


「何かがいたんだ!」キリヤマが大声で言った。

 その相手は速水さんのお母さんだ。

「透明になった誰かに殴られたんだ」キリヤマが興奮気味に言うと、

「それって沙織じゃないの?」

 速水さんの母親らしき女がキリヤマに言った。

 彼女の言った言葉の意味は、

「あなたを殴ったのは、透明化した娘の沙織よ!」ということだ。

 この意味が分かった時、僕は思った。

 この女の心は、娘から完全に離れ、キリヤマという強い男に寄りかかっている。

 キリヤマも母親も、速水さんが透明化能力を持っていることを知っている。おそらく義姉も知っているのではないだろうか。

 だから、加藤の目線の先を見たのだ。そこに義理の妹である速水沙織がいるのではないかと。

 だが、キリヤマはこう言った。

「いや、あれは確かに男の腕だった。それくらいは俺には分かる。沙織にはあんな力はない」と、断定するように言った。それは当たっている。

 問題は、キリヤマの発言が加藤にも聞こえたかもしれないということだ。そして、義姉はどう思ったかということだ。


「そうよ、沙織じゃないわよ」義姉はそう言った。

「ヤヨイ・・だったら、誰だっていうのよ!」

 父とヤヨイという義娘に言われて速水さんの母親は益々混乱したようだ。思考が追いついていないように見えた。

 ヤヨイは義母がどんな反応をしようがどうでもいい様子だ。ヤヨイはもう一度僕を見た。

 そして、もう一度ニヤッと微笑んだ。

 相手に見えてるかどうか分からないことほど怖いものはない。


 このままではいけない。これ以上加藤と対面しているわけにもいかないし、早くこの場を離れないと、透明化が終わってしまう。こんなところで元の状態に戻ったら、加藤はともかく、他の生徒たちに驚かれてしまう。

 幸い、池永先生も無傷だし、小清水さんは和田くんが寄り添っている。もうここには用はない。

「加藤!」

 僕は加藤の手を引き、この場から逃げ出すように、人気のない所に向かった。他人から見れば、加藤が手を差し出しながら勝手に走り出したように映っただろう。

「ちょっと、鈴木! どこへ連れて行くの?」

 模擬店の並ぶ表通りの反対側に回った頃には、透明化が終了していた。その推移も加藤には分からないようだった。

 やはり、加藤には僕の姿が完全に見える。

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