第313話 占いコーナー②

 間仕切りのカーテンがバッと引かれると、池永先生の血相を変えた顔が現れた。

「鈴木くん!」

 あまりの形相に和田くんが僕の後ろに身を引いた。

「先生、どうしたんですか?」いやな予感しかしない、

「ちょっと鈴木くん、聞いてよぉ」

 先生の懇願に僕は「はいはい」と聞く体勢をとった。

「私、あと5年は彼氏ができない・・そう言われたのよ」

 池永先生は、がーんっ、とばかりに言った。

 あの占術部の女の子たち・・そこはせめて、「クリスマスまでにはできる・・かな?」と言っておいて欲しかった。

 そこで話が終わると、僕の後ろに待機していた和田くんが、クスクスではなく、

「ぶはっ、5年だってっ」と大爆笑した。

「おいっ」僕は、「先生に失礼だろ!」と和田くんを制した。

 すると、先生は首を横に振り、

「鈴木くん、和田くん。もういいのよ。私、とりあえず、今年は諦めることにするわ」と言った。

 和田くんは、先生の攻撃の対象とならずに済んだようだが、でも、今年だけ諦めるのか。


 力を落とした先生が出て行くと、

 厨房に戻ってきた水沢さんが、占いの一部始終を見ていたらしく、僕と目を合わせてクスクスと笑った。

 それにしても、池永先生の服と、エプロン姿の水沢さんのなんと対照的なことだ。

 水沢さんは笑顔で、「池永先生って、いつもああなの?」と僕に訊いた。

「他では知らないけれど、部室に来た時は、大体あんな感じだよ」と僕は答えた。

 すると水沢さんは「へえ、なんだか面白そう」と笑った。

 その屈託のない笑顔を見ながら、水沢さんには男子たちの欲望にまみれた心が入り込んではいないのだろうか? と思った。

 更に僕は思った。

 水沢さんの中に、先生の思考が流れ込んできたりしたら大変だ。人間不信どころか、教師に対する不信感が生まれそうだ。

「水沢さん、ウェイトレスの仕事、大丈夫?」僕は恐る恐る言った。

 水沢さんは少し間を置いた後、僕の顔を覗き込むようにして、

「鈴木くん、もしかして、私のこと心配してくれてる?」と言った。

 僕が小さく「だって、男子の視線が・・」とぼかして言うと、

 水沢さんは、「それなら大丈夫よ」と言って、

「だって、そんなの気にしていたら、学校の授業なんて受けられないわよ。体育の授業だってあるし、水着にだってなるのよ」と優しく微笑んだ。

「それもそうだな。『慣れ』もあるよな」僕は適切な返事をできずにそう言った。

 水沢さんは、「そうね、慣れね」と爽やかな笑みを残し、トレイにカップを載せて出ていった。


 水沢さんが消えると、和田くんが、僕の耳元で囁くように、

「す、鈴木くん。水沢さんとあんな風に話が出来るなんて羨ましいよ」と言った。

 僕は苦笑いをして受け流したが、

 その言い方だと、和田くんが水沢さんに関心があるようにもとれるじゃないか。

 和田くんは小清水さん一本にしといて欲しい。ややこしいから。


 厨房を出ていった池永先生は、四人掛けテーブルに一人着席して、コーヒーを頼んだ。

 そして、一人で時間を過ごすのも惜しいのか、近くの男子に声をかけた。

「話を聞いてくれたら、先生、奢っちゃうわよ!」

 池永先生、立ち直りが早い!

 先生の一声で、数名の男子が集まった。だが、真ん前の席には誰も座ろうとしない。つまりはそういうことだ。一対一は避けたいのかもしれない。

 先生の声は大きくよく通る。

「恋ってねえ、案外と疲れるのよねぇ」艶っぽく言った。

 誰ともつき合ってもいないのに、片思いでも疲れるということを言おうとしているらしい。

「そうなんすか」

 みんな池永先生の機嫌を損ねまいと必死だ。男子たちは先生が誰かと交際している前提で話を聞いている。

 僕は思った。

 先生に彼氏が出来る日は、まだまだ遠い日のことになるだろう、と。


 そう思われているとはつゆ知らず、

「恋ってねえ。すぐ近くにあるのに、逃したりするのよねえ」

 先生はミニスカートの足を大きく組み、とくとくと恋愛論を転換している。 近くにいた女子たちも先生の言葉に耳を傾けている。先生の素顔を見た気がして面白くて仕方ないのかもしれない。

「みんなも、「この人は!」と思ったら思い切って告白した方がいいわよぉ」

 先生がそう言うと、向かいの席の女子が「先生はすぐに告白したんですか?」と楽しそうに訊いた。

「もちろんよぉ」先生がそう応えると、すぐに男子が、

「先生だったら、成功率100%っすよね!」と強く言った。

 以前、先生から聞いた話では、体育の先生と一度炉端焼きに行った程度で、好かれていると勘違いし、浮かれていたが、相手にはつき合っている女性がいて、ショックを受けていた。

 その話を思い出していると、先生は急に、崩れる落ちるような声で、

「それがねえ・・実際にはそうでもないのよぉ」と半泣き状態となった。

 今、分かった・・先生はお酒なしでも酔える人だ。

 周囲の生徒たちは「先生、どうしたのかな?」と顔を見合わせている。

 先生はくだを巻くようにぶつぶつ言った後、

「でもねえ、私、後悔だけはしたくないのよねえ」と大きく言った。

 先生の言葉に、男女とも「うんうん、そうですよね」と頷いている。

 後悔・・一応、年上の人が言うと、その言葉は真実味を帯びる。


 誰だってそうだ。後悔なんてしたくない。

 だが実際に、何かの選択をする段になって、

 これが後悔しない道だと、

 正しい決断を下すことが出来るだろうか?

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