第291話 抑制①

◆抑制


 だが、数秒後、

 あれ?

 おかしい・・

 透明化しない。いつまでたっても何も起こらない。

 水沢さんが手を離し、「鈴木くん、ごめんなさい」と言ったが、僕はそれどころではなかった。頭が混乱していた。

 本来なら、もう透明化している時間だ。僕の勘違いだったのか?

 いや、透明化寸前のいつもの感覚は確かにあった。

 透明化せずに治まったのか? もしそうなら、そんな現象は初めてだ。 

 それならそれでいい気もするが、もう一つ気になるのは、心の暴発だ。

 水沢さんに腕を回された僕は、心の暴発どころか、透明化せずに、すぐに元の体に戻った。

 まるで、水沢純子という存在が、僕の異常体質を元に修正したように思えた。

 それとも、完全に透明化していなかったから、心の暴発が起きなかったのか?

 いずれにしろ、分からないことだらけだ!


 水沢さんは、「本当にごめんなさい」と重ねて謝った。決して他意はない、と言わんばかりだ。

「本当に鈴木くんが消えてしまいそうな気がしたの」

 水沢さんはそう言った。その意味は、僕が「消え入る」ではなく「透明になる」という意味にとれた。


 水沢純子は人の心を読む。

 どうして、今まで気がつかなかったんだ。

 僕は今頃になって、そのことに気づいた。

 僕が透明化することを秘密にしていても、水沢さんはとっくの昔に気づいていたんじゃなかったのか。

 ただ、透明化については人知を超えた能力だ。心を読み取ったところで、理解し難かったのかもしれない。


 なのに、僕は透明化の事だけは、水沢さんには読まれることはない、と勝手に思い込んでいた。

 これは速水沙織との二人だけの秘密だ。僕のことが知られると、自動的に速水沙織の透明化も知られてしまう。それだけはいけない。

 仮に僕のことは知られるとしても、速水さんのことだけは守らなければいけない。


「あの時・・校庭の幽霊さんも、鈴木くんだったのね」水沢純子は確信したように言った。

 その質問に答えられるわけがない。

 僕は口を閉ざした。だが、黙っていると、水沢さんの言葉を肯定することになる。

 同時に風が強くなった。頬を切るような風だ。冬が近いのが分かる。 


 そう・・あれは、夏休み前の校庭での出来事だった。あの日は雨が降っていた。

 雨の中、校庭を歩く水沢さんが部室から見えた。

 水沢さんに僕の想いを伝えようと校庭を走ったけれど、思い留まった僕は自主透明化をしたのだ。そして、その場を立ち去ろうとした。

 だが、水沢さんは僕に気づいた。透明化した僕に気づいた。

 雨の泥濘を歩く音に気づいたのだろう、と思ったが違った。

 ・・それは雨だった。

 水沢さんは雨を見ていたのだ。雨が僕の体に当たって人型を作っていた。

「誰かそこにいるの?」

 水沢さんは小さく言った後、

「鈴木くん?」

 水沢さんは、傘を少し上げて僕の名を口にした。

 水沢さんは僕の姿が見えていたわけではなかった。あの時も、今も。

 水沢純子という女性は、透明化した僕の姿が見えるのではなく、

 僕の心を見ていたのだ。

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