第217話 夏の終わりの始まり①
◆夏の終わりの始まり
夏の夕暮れ時、
花火大会が行われる海岸までは徒歩10分もかからない。ここは海と隣接した駅だ。駅から浜辺に向う道が多くの人で賑わっている。
家族連れも多いが、時間的なこともあって、それ以上に若い人が多い。浴衣を着た少女たちが目立つ。
夏の太陽で焼いた肌が冷めない間に、更に夏の愉しみを求めて、そして、最後の夏の思い出を作るために先を急いでいる。
僕は元来このような人混みの中を歩くのは好きではない。これまでも、このような催しは避けていた。夏祭りのような町の催しはもとより、学校の文化祭なども積極的に参加はしなかった。
ましてや花火大会なんてもってのほかだ。
別に花火なんて見たくはないし、人の群れの中に身を入れたいとも思わない。
そんな僕は、こんな風景に最も似つかわしくない存在。
・・そのはずだった。
だが、そんな花火大会に僕は進んでいくこととなった。
その理由は、市民プールの帰りに、加藤ゆかり経由で水沢さんに誘われたからだ。
こんな誘いを断れば、一生後悔の念に苛まれることだろう。
全ての行事は、水沢さんがいれば話は別だ。
興味のない花火も見るし、煩わしい人混みも心地よくなる。
そう・・今、僕の横を歩いているのは、水沢純子、その人だ。
待ち合わせたのは、花火大会が行われる須磨海岸がある駅前の広場だった。僕は、待ち合わせ時間に遅れることなく到着した。
今回は、水族館の時と違い、直接駅で待ち合わせすることにしていた。
「ゆかりは、少し遅れるって、さっき連絡があったわ」
会うなり、水沢さんはそう言った。そして、「浴衣を着て来ると思った?」と笑った。
水沢さんは図書館のオープンテラスの時と同じ感じのワンピースを着ていた。特にお洒落はしていない。
お洒落をしているわけでもないのに、彼女の姿は僕の目には眩しく映る。
そして、僕にだけ向けられる笑顔。
この微笑を手に入れるために、どれほど多くの男子達が儚い努力を重ねてきたことだろう。これまでの僕は、そんな男子達と同じ位置にいた。けれど、今は違う。
そんな素敵な笑みが、僕の前に存在している。教室ではなく、海辺の町に溶け込んでいる。この風景を心に刻みつけよう。そう思った。
僕は「そ、そうなんだ・・加藤、遅れるんだ」と、小さく返した。
ただこれだけの会話に僕は緊張する。声が震えてしまった。
「加藤とは、どこで落ち合うことにしているの?」ぎこちなく聞いた。
「ほら、以前の水族館の帰り、速水さんを見かけたことがあったでしょ?」
「ああ、あの松林のところ・・」
僕がそう訊くと、水沢さんは、「うん、そう。あそこの松林」と応えて、「ゆかりが、あの大きな松の木の辺りで待っていて、って」と言った。
そう言った後、「大丈夫かな、人が多いけど、うまく見つけられるかな?」と水沢さんは辺りを見ながら言った。人が多いのを気にしているようだった。
すると、
「ねえ、鈴木くん、以前、私が図書館のラウンジでした話、憶えてる?」
たぶん、あの話だ。水沢さんの不思議な力のこと。
「憶えているよ。人が考えていることが心の中に入ってくる、っていう話だったよね?」
そんな話、忘れるわけがないし、そんな内面の話をしてくれたことが嬉しかった。
「鈴木くん、憶えていてくれたのね」
歩きながら水沢さんは嬉しそうな顔を見せた。
でも、どうして、そんな話を今するのか、と思っていると、
「これだけ、人が多いと・・少しね」
水沢さんはその先の言葉をためらっているように見えた。
そんな水沢さんに僕は話を促すように、
「もしかして、いろんな人の心が入ってくる・・とか?」と言った。
僕がそう言うと水沢さんは少し笑って、
「具体的に、誰が何を言っているとかじゃなくて、色んな人の喜び・・そんな心ばっかりだったら、いいのだけれど、中には、憎しみや、嫉妬・・そんなものが突然入ってきたりするから、参っちゃう」と困惑したような表情を浮かべた。
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