第214話 込み上げてくる思い
◆込み上げてくる思い
「で、兄貴。初デートはどうだったん?」
帰宅するなり、リビングのソファーにいつものように座り、アイスキャンデーを舐めているナミに訊かれた。
母親が片付けをしながら、大きな声で「上手くいったみたいよ」と言った。
「なんだ、結果報告は、もうお母さんに言っていたんだ」ナミはそう言って「つまんない」と続けた。
いや、母にも上手くいったと言ったつもりはないが。
僕が返さないでいると、
「映画に行ったんでしょ? ナミのおススメのやつ」
「ああ、行ったよ」
母が入れたアイスコーヒーを飲む。冷たさと苦さが口の中に広がる。
「加藤さんと、キスした?」突然、ナミが言った。
ぶっ!
むき出しの言葉に思わず吹き出した。ナミの顔にコーヒーがかかる。
「ちょっと、兄貴、汚いなあ」ナミは抗議しながら、二の腕で顔を撫でるように拭いた。
母が「ちょっと、手で拭いたらダメでしょ!」と戒めた。
ナミは母に「はいはい」と言って、
「その様子じゃ、もうキスしたんだね」と真顔で言った。
「してないよ!」
即座に僕は返し、「もし、していたとしても、どうしてそんなことを家族に報告しなくちゃいけないんだよ」と強く言った。
ナミは「そっかあ、まだかあ」と言って、再びアイスを舐め出した。
「で、楽しかったの?」
「ああ」無愛想に答える。
「映画は面白かった?」
また「ああ」と応えて、「ホラーはデート向きじゃないだろ」と言うと、「そっかなあ、デートの定番だって、クラスの子が言ってたんだけどなあ」と背を伸ばしながら言った。
クラスの子かよ!
そして、ナミは目を輝かせながら、
「・・手、繋いだ?」と訊いた。
「ああ」
「やったじゃん、兄貴」とナミは言って「それで、どっちから繋いだの?」と訊いた。
僕が「向こうから」と答えると、「ダメじゃん、女の子に、恥をかかせちゃあ」と言われた。
「それで、映画のあと、どっかに行ったの?」
「喫茶店」
「その後は?」
「見てのとおりのご帰宅だ」
そう言うとナミは時計を見て、「まだ早い時間だよね」と言った。
「兄貴のことだから、気のない言葉を並べ立てたんじゃないの?」
「どういう意味だよ。気のない言葉って」
「だって、兄貴、気が利かないし、無愛想だし、それに時々、体が薄くなるし」
よくもまあ、自分の兄をそこまで、それに、最後の体が薄くなるって、何だよ!
ナミは続けて、
「けっこう、傷つくもんだよ。女の子って、男の子の何気ない言葉で」と言った。
「お前に、そんな経験があるのか?」ナミに対抗して僕は返した。
すると、ナミは、「あるある、そんなの毎日だよ」と大きく言った。
「ん? ナミ・・確か、お前は、今つき合っている奴はいないんだったよな?」
僕がそう言うと、
「つき合っているとか、そんなの関係ないんだよ」と言った。
ナミの言っていることがよくわからない。
そして、ナミは真顔に戻り、
「やっぱり、兄貴、加藤さんを傷つけたんだね」と言った。
当たらずとも遠からずのナミの言葉に返しあぐねていると、
ナミは、「ちゃんと加藤さんに謝らないと」と優しく言った。
「おい、傷つけたとは一言も言っていないぞ!」
と、僕は言いながら、
今、この時間、加藤は何を考えているのだろう? そう思った。
他にもいろんなことが頭を過る。
加藤も僕と同じように、家族の誰かに「帰りが早いね」とか言われているのだろうか?
続けてナミは、
「加藤さんと次の約束は取り付けた?」と、まるで尋問のように、何かの指導者のように言った。
「いや、特に何も・・」僕が小さく言うと、
「それもダメじゃん!」ナミは叱りつけるように言った。
続けて「やっぱり、兄貴、全然ダメじゃん」と言った。
その様子をキッチンで聞いていた母が「こら、ナミ、お兄ちゃんをそんな風に言うものじゃないわよ。お兄ちゃんだって、いろいろあるんだから」と擁護した。
「だってさあ、兄貴、優柔不断の上に、積極性の欠片もないんだもん」
「積極性の欠片って、そこまで言うのか!」
僕は大きく返し「お母さんの言う通り、いろいろあるんだよ!」と言って、
「何でもかんでも、ナミの定規に当てはまるもんじゃないぞ」と続けて強く返した。
「兄貴、わかった、わかったよ。兄貴の言いたいことはわかったから、そんな顔しなくても」
「そんな顔って、どんな顔だよ」
僕はきつく訊いた。なぜか、感情が昂ぶっているのを感じていた。
「どんな顔って・・ちょっと怖い顔」とナミは答えた。「いつもの穏やかな雰囲気じゃない」とも言った。
僕は「そんなに怖い顔をしてるかな」と言って壁の姿見を見に立ち上がった。
鏡は普段見ない。佐藤のような男前の朝のチェックのように鏡を見ない。最近、透明化の確認以外では鏡を見ることはない。
そんな普段見ない顔を改めて見ると、
なるほど、少し顔が険しい。
この顔・・さっきまで加藤ゆかりも見ていたんだよな。
その時は、こんな顔はしていなかったよな。
でも、加藤には悩んでいる僕の顔が映っていたから、やっぱり、こんな顔だったのだろうか?
再びソファーに座ろうとすると、ナミが僕を見て「兄貴、顔を、もう一回見た方がいいと思うよ」と言った。
僕はその言葉を無視して、「部屋に上がるよ」と言い残し、勉強部屋に入り、鍵をかけ、ベッドにゴロリと寝転がった。
天井の木目を見ていると、顔が熱いのに気づいた。
顔に触れると、頬が濡れていた。涙だ。
僕は知らない間に泣いていた。ナミは僕の涙に気づいていたのだ。
別に何が悲しいわけではない。
その時、僕は加藤ゆかりのことを考えていた。加藤のことを思っていた。
加藤の着ていた服を思い返していた。
加藤は、今日の日のために、精一杯のお洒落をしていた。そんな思いの服を頭に描いた。
そう思うとよけいに切なくなる。
そして、更に想像を巡らせた。
加藤が、自分の家を出る時、デートに向かう時、親に何を言って出てきたのかを想像した。僕が家を出た時とは違う環境を想像した。
僕は軽く家を出た。その反対に、加藤は、意を決して今日の日に及んだのではないだろうか?
現実は僕の想像とは違うかもしれない。加藤も軽い気持ちでデートに来たのかもしれない。
だが、加藤は、僕の手に触れたりした。
それは、加藤にとって、今日のデートが決して軽い気持ちではなかったことの証のようなものだ。
僕は、その時の加藤の手の柔らかさを思い返していた。
喫茶店での加藤との会話を次々と思い返した。
「鈴木だけじゃない。私も自分のことがわかんないよ」
「安心して、私も鈴木のこと、好きじゃないから」
その言葉が、胸に刺さるようだった。
そんなことを加藤に言わせた人間・・それは自分なのに、憎らしかった。
加藤、ごめん。
全部、僕が悪い。
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