第179話 「君は、私のどこが好きなんだい?」①

◆「君は、私のどこが好きなんだい?」


 青山邸・・その大邸宅は、速水さんがかつて住んでいた旧速水邸から、徒歩5分ほどの場所に位置している。

 青山先輩と速水部長が幼馴染で仲の良かった頃、互いの家を行き来していたということだ。

 旧速水邸も大きかったが、青山邸はその倍もあるのでは、と思われるくらいに大きい。

 そう見える理由の一つに、速水邸は廃墟化していたが、青山邸は、人が住んでいて、手入れもきちんとされて、それなりの活気があるせいだろう。

 その他に、青山邸は、その敷地内にプールやミニゴルフ場みたいなものがある。それは速水邸にはなかったものだ。

 こんな大邸宅はドラマや漫画の世界でしか見たことがない。

 だって、門から屋敷まで歩かなければならないなんて、普通の家では考えられないことだ。僕の家なんて門から玄関まで1秒もかからない。

 そんな大邸宅に、僕は徒歩ではなく、青山家のお抱えの運転手、石坂さんに車で送られて入った。

 石坂さんは、ゲートのロックを解除し、高級車を青山邸に乗り入れた。

「鈴木さん、到着です」

 白髪の紳士、石坂さんはそう言った。そう言われると僕が偉い人にでもなった気分だ。決して悪い気持ちはしない。

 遠くに見える大きな玄関から出てきたのは、青山先輩だ。見たことのないような白いドレスを着ている。まるで避暑地の令嬢だ。

 日本にも西洋のようなお姫さまがいるとしたら、青山先輩のような人なのだろう。少なくとも僕はそんな恰好で町を歩く人を知らない。

 だがそのお姫さまは男性口調のお姫さまだ。

「やあ、鈴木くん、待っていたよ」

 青山先輩は僕を出迎えるなり、そう言った。そして、「石坂も、ご苦労」と石坂さんをねぎらった。

 そんな現代のお姫さまは、まるで会社の上司のような口調なのだ。それもかなり年上の上司の話し方だ。

 石坂さんは「私は、ここで失礼します」と言って、自分の持ち場へと去った。


「鈴木くん。中で、義母(はは)がお待ちかねだよ」

 ドレス姿の素敵な青山先輩のそんな言葉に、僕はドキッとする。

いくら今回の件が、僕たちが仕組んだお芝居でも、こんなことをしていいのだろうか? 今回、僕たちがしようとしていることは人を騙すことには違いない。


 青山先輩は三宮の喫茶店でこう言った。

「堅苦しい、息の詰まる青山家に、鈴木くん・・君という檸檬を投じたいんだよ・・こんな私の我儘を聞いてくれるかい?」


 邸内に入った瞬間から、僕は青山先輩が交際している下級生という設定だ。

 せめて、「友達」と言うことにした方がよかったのではないだろうか?

「君、それでは意味がないのだよ」

 青山先輩にはそう言われそうだな。友達では意味がない。

「檸檬」は恋人だ。それも期間限定の。

「あとは、君にまかせるよ」青山先輩はそう言った。「特に、シナリオは作っていないよ」


 もうこうなったら、何でもやってやる。

 日頃、お世話になっている青山先輩の為だ!


 玄関に入るなり、いい匂いがした。青山先輩の匂いでもない。青山家の匂いだろう。

 玄関では見たことのないような置き物が出迎え、長い廊下の壁には、大きな西洋絵画が掲げられている。

 ふわふわする絨毯の上、青山先輩の後ろをついていきながら、彼女の義母が待っている部屋に案内された。

「この部屋だよ」青山先輩に言われるまま、僕はその部屋に入室した。


 初めて会う人に、どんな挨拶をしたらいいか考えあぐねていると、

「あなたが、鈴木くんっていうのね」とその人は問いかけた。

 僕は「はい・・鈴木道雄と言います」と答えた。

 その人は目の前のソファーに深く腰をかけている。

 青山麗華・・それが目の前のスカートスーツの女性の名前・・青山先輩の継母だと聞いている。そして、あの早川講師を使って青山先輩を監視させている。情報はそれだけだ。

 今から僕と青山先輩はこの人を騙す。


 青山夫人は上座に位置し、左右に向き合うソファーに僕と青山先輩がそれぞれ座った。

 夫人の緩やかにウェーブのかかった髪が夏の陽に輝いている。

 夫人の醸し出す雰囲気・・それは、気位が高い、お上品、自尊心が強い。そんな言葉が全て当てはまる。そんな気品に満ちている。

 少なくとも僕はこう思う。僕の家がこんな風でなくてよかった、と。

 そして、僕の母が青山夫人のような女性でなくてよかった・・と。

 要するに僕は今、居心地が悪くて仕方ない。落ち着かない。一刻も早く帰りたい。母の顔が見たい。妹のナミと駄弁りたい。家でごろごろしたい。

 少なからず、このお芝居を受けてしまったことを後悔し始めた。

 それくらい、青山夫人の視線は重圧的だ。

 青山夫人は、そんな僕の様子を観察したり、僕の容姿を上から下まで眺めている。

 しまった! 古い靴下を履いてきてしまった。なんて失態だ!


 そして、しばらくの沈黙の後、

「灯里さんから、あらかたのことは聞いているのだけれど、まず高校は、灯里さんと同じ高校、ということでいいのよね?」そう言って夫人は大きく脚を組んだ。

 丁寧な話し方・・速水さんのような口調にも聞こえる。

 しかし、速水さんとは決定的に違うのは、この人は、人を・・僕のような一般庶民の子供を「蔑視」している。

 この人は、初めて会った人でも、一度も話をしたことがなくても、人を軽視することができるのだ。そういう育ち方をしているのか、それとも、そういう手法なのか、それはわからない。

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