第173話 心は伝わる

◆心は伝わる


 昨夜、遅く家に帰った時、ナミはリビングでぐだぐだしていた。そして、今朝もそうだ。

「暇そうだな」

 ナミの向かいに座りながら僕が言うと、

「見ての通りの暇よ」とナミは投げやりに応えた。

 ナミはソファーに横になり、ツインテールをいじったりしている。

 その手で、スナック菓子に手を伸ばし、ジュースを飲んでいる。

「ほんと、暇だよ」

 菓子を頬張りながら、ナミは体を起こした。

 改めて向き合ったナミと改めて会話をするのも面倒だが、

「何か、予定はないのか」

「見ての通り、なんもないわよ」

 会話が弾まない。

「デートは? 彼氏がいるだろ」

「別れたわよ」と、ナミは小さな声で答えた。

 そうなのか・・別にどうでもいいけど。

「・・して、その原因は?」僕は淡々と尋ねた。

 ナミは、

「『お前は生意気なんだって・・お前にはついていけない』って言われた」と投げ捨てるように答えた。

 その通りだな。的をついた意見だ。しかし、そうとは言わず、

「そんなの、つき合う前から、最初からわかってることなのにな」と優しくナミを擁護した。

「だよねっ、兄貴もそう思うよね」

 僕の賛同を得たナミは、機嫌よく菓子の袋からポテトチップを一片取り出し、僕に差し出した。

 僕は有難く受け取り、口に入れ、ジュースで流し込んだ。


「ナミなら、またすぐに彼氏ができるだろ」と更にナミを優しく慰めた。

「兄貴もそう思う?」

 そう言ってナミはニコリと笑った。すごい自信だな。誰に似たんだ?

 僕にナミくらいの自信があれば、もう少し、人生は変わっていたことだろう。

 ナミは「ということで、夏休みは暇になっちゃったんだよねえ」とまた菓子にがっつき始めた。

「彼氏以外にも、友達とかいるだろ。プールとか、行って来たらどうだ。まだまだ陽に焼いてもおかしくないぞ」

 僕がそう言うと、

「宿題とか、あるんだよねえ・・これが、本当に面倒臭いんだよ」とナミは応えた。

「それなら、その宿題をやればいいじゃないか。こんな所でおやつばっかり食べてないで」

「宿題をするの、面倒臭いんだよ」

 ナミのぐだぐだ話に僕は「宿題とはそういうものだ」と返した。

「それにさあ・・夏休みの宿題って・・おかしくない?」

「何がおかしい?」

「だってさあ・・人をさあ・・休ませといて、勉強を課すなんておかしいよ」

「仕方ないだろ。そういうものなんだ。僕たちはまだ学生で、勉強をしなくちゃならないんだ」

 説明するのも面倒くさいな。

「だからさあ・・おかしいよ。勉強なら、学校でやればいいじゃん」

「暑いだろ。夏の間は・・」

「あのさあ、兄貴、提案なんだけど・・家でする宿題の時間が約一時間とするでしょ・・その一時間を学校に行ってすればいいんだよ」

 よくわからない提案だな。

「ナミ、そんなことをすると、生徒もそうだが、教師もそれなりの準備をしなくちゃいけなくなる・・その提案は、却下だな」

「やっぱり、ダメかあ・・」

 ナミは諦めたように言って「けどね、夏休みはおかしいよ、こんな暇なのに耐えなくちゃならないなんて、おかしいよ」とぼやいた。

 それは、お前が彼氏と別れたからだろ!


 そんなナミの小言をどこまで聞いていたのかは知らないが、キッチンの奥から母が出てきて、

「ナミ、そんなに暇なら、家のことを手伝いなさいよ。洗い物や、お掃除だって、色々とあるわよ」

 ナミは母には弱いらしく「はあい」と伸びた返事をして、片付けを始めた。

 僕が二階に上がろうとすると、ナミが、

「だいたい、私にはせっかく兄貴というものがいるんだから、勉強も兄貴に教えてもらった方がいいんだよねぇ。その方が効率的だし」

「兄はそのための存在じゃないぞ!」と即答した。

 すると、ナミは、

「だいたい」とまた繰り返し、

「兄というものは、勉強以外にも、遊びとか・・妹に色々と教えるもんだよ。人生の先輩なんだしさ」

「いや、ナミの場合は、兄の存在不要で、勝手に進んでるだろ・・恋とか」

「いやあ、それが、意外とそうでもないんだよね」

 ナミはそう言って頭を掻いた。「まだまだ、兄貴に教えてもらわないといけないことが一杯あるような気がするんだよね」

「例えば?」

「例えば・・勉強だよ・・思いつくのはそれくらいだよ」

「なんだよ。ナミの専属家庭教師にでもなれっていうのか? 僕は、てっきり恋の指南役にでもなってくれ、とか言うのかと思ったよ」

 そこでナミは「ぷっ」と吹き出し、「ないない。それは絶対にない!」と手をパタパタと振った。

「さっき、恋とかって言ったじゃないか」

「それ、言ったのは兄貴の方だよ」

 そうだったか・・ナミにはいつも突っ込まれる。

「兄貴は・・恋には不器用そうだからねえ・・とても私の指南役にはならないよ」

「悪かったな・・不器用で」と僕は言って「やっぱり、器用な方がいいよな」と小さく言った。

「それだけじゃないよ」

「それだけじゃない?」

 そう訊いた僕にナミは、

「だって、兄貴、優柔不断じゃん」と言った。「優柔不断は、女の子に嫌がられるよぉ・・」

 優柔不断・・つい、この前、速水さんに言われた言葉だ。まさか妹に言われるとは。

 いきなり、落ち込む・・二人の女性に指摘されるのは、問題だ。

 僕が言葉を返さないでいると、

「でもさ・・兄貴は兄貴でいいところもあるんだよ」

「いい所も・・か」

 兄と妹、どっちが上か、わからないな。いずれにしても頼もしい妹だ。

 僕が抗議の言葉を言おうとすると、「兄貴は、何事にも真剣に取り組むところかな?・・そこがいい所だよ」とナミは話を進めた。

「そんなこと、あったか?」

「それってさあ・・感じるものなんだよ・・きっと」

 わからない・・感じるって、どうやって?

 ナミは重ねて「心ってさあ・・言わなくても、感じたりしてさ、相手のことがわかったりするじゃん」と言った。

 ナミ・・おまえ、どれだけ、人生経験を積んでるんだよ!


 その時、僕は確信していた。

 心は絶対に伝わる。

 たとえ、人格が変貌している時の小清水さんにも、きっと、僕の心は伝わる。


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