第172話 そんな人と交際できる?②

◆そんな人と交際できる?②


「でも、速水部長・・」

 僕は新しく注がれた水を飲み、

「僕の心だって、わからないんだ」と言った。

 そう言った僕に速水さんは、眼鏡の位置を整え、

「鈴木くんは、わからないことだらけの人生ね」

 皮肉なのか、真実を突いているのか分からないような速水さんの言葉に、

「その人を見透かしたような言い方」と少し抗議して「まあ、速水部長らしいけど」と応えながら、

「僕も自分の心がわからないんだ」と小さく言った。

 僕が好きなのは、水沢純子だ。

 そう思ってはいても、この前のように、中学時代の石山純子の姿が忽然と現れる。

 自分の心さえ分からない。


「鈴木くんの言いたいことは何となくわかるつもりよ」と速水さんは言った。

「どうわかるんだ?」

「そうねえ・・」と速水さんは首を傾げ、

「鈴木くんの場合は、ただの優柔不断・・」

 そんな速水さんの皮肉を僕は言い返すことが出来ない。

「そして・・沙希さんの場合は、病気なのよ」と言った。

 つまり、僕と小清水さんのケースは全く違うということだ。

 自分のことを引き合いに出したことは反省しなければならない。


 そして、そんな小清水さんは、誰の心も受け入れることができない、

 誰も小清水さんを好きになることなんてできないし、ましてや、交際なんてできない。


 しかし、速水さんは言った。

「でもね、私はね・・」

 速水さんは眼鏡の奥、更にその瞳の奥を光らせながら、

「私はね、沙希さんを変えることが出来ると思うの」と再び切り出した。「私は、沙希さんの人格障害を変えることが可能だと思うようになったのよ」速水さんはそう言葉を重ねた。

「どうやって?」

 僕は身を乗り出して尋ねた。「小清水さんの病気を治すことが出来るのか?」

「その前に、私は精神科医でも何でもないわ」

「そんなことは、わかってる」

 速水さんは、「更にその前に」と言葉を重ねて、

「鈴木くん・・いやに真剣ね」と言った。

 言われてみればそうだな。小清水さんは、ただのクラスメイト。ただのサークルメンバーだ。これまで僕は彼女に恋したことはないし、これからする予定もないだろう。

 小清水さんが今の状態・・つまり、時々、人格乖離する状態でも、僕の生活に何ら支障はない。

 けれど、気になる。

 だから、僕は、

「小清水さんの病気が治ればいい。そう思っている」と答えた。

 そう言った僕の顔を見て、速水さんは安心したような顔を見せた。

 速水さんは「それでこそ、鈴木くんよ」と言って、

「私、思ったのよ・・もし、私たちの透明化が一時的なものであったとしたら、沙希さんの人格乖離も、思春期だけの一時的なものじゃないか・・そう思ったの」

 そう語る速水さんに、

「透明化は・・思春期を過ぎれば治るのか?」と訊いた。

「あくまでも、仮定の話よ・・誰も経験したことなんてないのだから、わかりっこないわ」

 僕は「それもそうだ」と返した。

「けれど、手をこまねいていても、治らない。私はそう思うのよ」

「だったら・・」

 僕の問いに速水さんは、

「何か、大きなきっかけが必要なのよ」

「大きなきっかけ?」

 そう問う僕に速水さんは、

「この前、須磨海岸で鈴木くんが沙希さんを抱き留めた時、一時的にしろ、沙希さんは元の沙希さんに戻ったわ」と言った。

 あの時、キリヤマに突き飛ばされた僕を見て、速水さんは別人格に変貌した。

 そして、キリヤマに飛びかかろうとした。

「あの時、私は確信めいたものを感じたのよ」

 そう速水さんは言って、得意の眼鏡くい上げをした。

「沙希さんを救えるのは・・鈴木くんしかいない・・って」

「ええっ」

「何で・・なんでそこで、僕の名前が出てくるんだよ」

「あら、『僕』なら、もうとっくにしゃしゃり出ているし、これは、決定事項みたいなものよ」

「そう言われても・・」

 そんなやり取りの中、速水さんは、

「沙希さんの人格はバラバラのようでいて、実は一つなんじゃないか・・そう思うの」

「普通はそうだけどな・・只の性格上の問題だったらそうだ・・しかし、人格障害という病気だったら話は別なんじゃないかな」

 そう僕は疑問を呈した。


 しかし、速水さんは、

「けれど、変貌した沙希さんが、あのキリヤマに向かって放った言葉は、鈴木くんを守ろうとする言葉だったわ」

 確かに、あの時はそうだった。僕を突き飛ばしたキリヤマに「突き飛ばしたのは、お前か!」と怒鳴っていた。あれは、僕に暴力をふるったキリヤマに対する小清水さんの怒りだ。しかもその時、小清水さんは別人格に変貌していた。


「さっき、沙希さんの別人格は、鈴木くんのことは好きではない・・と言ったのだけれど、そうではないのかもしれないわね。やはり、心は一つなのよ」

 だったら、どうだというのだ? 僕にはどうにもできない。


「あとは、鈴木くんに任せるわ」

 そう淡々と速水さんは言った。

「そんな無茶な・・」と僕は言って、

「僕は何もできない」と更に強く言った。「僕は非力だ」

 そう伝えた僕に、速水さんはくすりと笑って、

「鈴木くんには、体を透明化できるという能力があるじゃない」と言った。


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