第70話 やはり、ナミの方がうわて
◆やはり、ナミの方がうわて
家に帰ると、雨で汚したシャツやズボン、泥だらけの靴を見た母に怒られ、
ナミに「お母さんに怒られてやがんの」と笑われた。
僕はジャージ姿のまま、ナミのおやつに手を出した。
ナミは自分の菓子が少し減るくらいでむっとする表情を見せる。
母は洗濯ものが増える、クリーニング代が高いのに、とか一通りのことを僕に言い終えると、テーブルの上に新しく買ったというドリップ式コーヒーのセットを置いた。
部室のよりは遥かに立派だ。父のボーナスで買ったらしい。
母は僕とナミの分のコーヒーを入れてくれた。そして、自分の分も。
ナミが一口飲んで「お母さん、美味しいよ」と言って「毎日、おやつの時間には入れてよ」と続けて言うと「自分でしなさい」と母に言われた。「は~い」と生返事をするナミ。
僕も飲んでみる。美味い!
いつものインスタントコーヒーとは大違いだ。
部室で小清水さんの入れてくれるコーヒーの味ともまた違う。
要するに、コーヒーは作る人が違っても、機械や方法が違っても、場所が違っても、味は違う。そういうことだ。
スナックの粉で口の周りを塗りたくったようなナミが、
「ねえ、兄貴、今度、彼氏とデートするんだけどさあ」と話を切り出した。
「デートの場所、どこがいいと思う?」
デートで行く所って・・
「それって、自分で考えるとか、二人で相談するもんだろ」
「だってさあ、あいつ、そんなのあんまり考えない方だし、私もよくわかんないし」
何だよ、それ。
だいたい、彼って、この前、家に来た奴なのかよ。
母がコーヒーを美味しそうに啜りながら、「映画館でいいんじゃないの・・ディズニー映画とか」と言った。
「そんなの、子供みたいじゃん」と文句を言うナミに、母は「だってナミはまだ子供でしょ」と返した。
そこで、僕が、
「須磨の水族館がいいんじゃないか。おススメだぞ」と適当に答える。
けど、そう言った瞬間に、甘酸っぱいような記憶が蘇る。
それは水沢さんの思い出に他ならない。
館内でのフードコーナーでの会話。公園・・帰りの喫茶店。
ナミは「水族館って・・兄貴が・・」と何かを思い出すようにしながら「そうそう。消極的な兄貴が、あの綺麗な人と行った所じゃん」と言った。
消極的はよけいだろ。それに今、綺麗な人と単数形で言ったな。加藤ゆかりはナミの頭の中でどんな扱いなんだよ。
「そうだよ。水族館はけっこうよかったぞ。近くに散歩できる公園もあるし」
そんな僕の言葉に、
「なんか面倒くさい・・魚を見るのも」とナミは言った。
面倒くさいだと。
僕は腹立ちまぎれに「だったら、自分で考えろ」と言って、母に二杯目のコーヒーを入れてもらった。
ナミにとっては、魚を見るのも、誰かと散歩するのも面倒なのだろう。おそらく、男子とつき合うのも面倒なのじゃないか?
「なあ、ナミはこの前のあの男と、いったい何がしたいんだ?」
僕の問いにナミは天井を仰ぎ「うーん・・私、何がしたいんだろ」と言った。
わからないのかよ!
「じゃあ、兄貴はさあ、この前に言ってた好きな人と何がしたいの?」
今度はナミが僕に挑んできた。
前回の会話で僕に好きな人がいるっていうのをナミに見破られてからは言い逃れもできない。変な弱みを見破られた気分だ。
僕は「特に何もしない」と答えた。
「そんなことあるわけないじゃん」とまた突っかかってくる。
僕はそれに対して、
「そうだな。一緒に景色を見たり・・音楽を聴いたり・・本の感想を話したりな」と言った。
どうだ。ナミ、降参だろ。これが大人の答だ。
そして、ナミはこう言った。
「あの人と・・そんなことするの?」
それ、水沢さんのことを言っているのか?
「あのなあ。お前の兄貴は片思い状態なんだ。あんな人と、そんなことできるわけないだろ!」
「やっぱり、兄貴の好きな人、あの綺麗な方の人だったんだあっ!」
嬉々として言うナミ。
しまった! ナミにやられた。
いつも会話ではナミの方がうわてだ。小さい時からいつもそうだ。
「髪がショートじゃない方の人だよね」と念を押すナミ。
何度も言うが、ナミの脳内では加藤ゆかりはどんな扱いなんだよ。
そういや、加藤とナミ、話し方が少し似てるな。それがいいのか悪いことなのかはわからない。
僕は女の子は苦手だが、加藤ゆかりと話すときはもう緊張しなくなっていた。
そんなことを思っていると、
ナミが「ねえっ、お母さ~ん」と台所に戻った母に「兄貴の好きな人、わかったよ」と得意そうに言った。
「へえ、どんな女の子なの?」と母まで乗り気でナミに訊ねる。
母の問いにナミは「綺麗なのはもちろんでさあ・・頭が良さげでさあ・・あれは、歌も上手いだろうね」等々並べ立てた。
母は「そんな人と、道雄がつり合うの?」と言った。
ひどいことを言うな。釣り合わないのは最初っからわかっているよ! それにつき合うなんて一言も言ってないし。
僕は、
「あのなあ、ナミ、何度も言うが、お前の兄貴は非常に消極的な性格なんだよ」
僕の勢いのある話し方にナミは黙って聞いている。
「この消極的な性格は一生治らないんだよ。だから・・・好きな人にも告白することなんて絶対にないんだ」
少し、息を荒くしている僕に、
「でもさあ・・兄貴、向こうから『好き』って言われたらどうするんだよ」
そうナミは静かに言った。
「そ、それは・・」僕は言い澱んだ。
・・それは、わからない。そして、そんなことを考えたこともない。
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