第60話 体力テストであろうことか②

 順番待ちの列の最後尾に座る。膝を抱えると、体が少し震えているのがわかる。

 持久走のような長い時間の測定も苦手だが、幅跳びのような、ほぼ一瞬で結果が決定されるのも苦手だ。

 早い話、スポーツ全般が苦手なのだ。


 考えている間に、僕の順番が回ってきた。

 消えたい・・透明になりたい。

 速水沙織のように、眠い時の思考と同調できないだろうか?


 それは無理だ。ここで消えても仕方ないし、スタートの合図が放たれた。

走る!

 白線が見える・・あの位置でジャンプ、できるだけ遠くへ!

 ああっ、ダメだ・・脚が絡まった。ジャンプの体勢にならないで、かつ、変なジャンプをした。

 その結果、とんでもなくダメな結果となった。やり直しはできない。


 つまり、あろうことか、ジャンプ地点のかなり手前でジャンプを行い、着地したのは砂場ではなく、ジャンプ地点の地続きの固い地面だった。

 足の裏がに鈍い痛みが走った。足を挫かずに済んだのが幸いかもしれない。


 格好わるっ! 

 加藤が僕の着地点に駆けてきた。飛距離が全く無いながらも計測するためだ。

 そばに寄ってきた加藤の第一声が

「鈴木、大丈夫?」だった。

 何が大丈夫なのか? 体の具合か? 頭か? 精神状態か・・

 僕は答えを見失い「ああ・・」とだけようやく口にした。


 そして、加藤は、

「鈴木の場合、気持ちがどこかにいっちゃってるんだよ」と囁くように言った。「私、陸上やってるから、何となくわかるの」

 慰めているのか、アドバイスをしているのか、よく分からない。

 加藤はそれだけ言うと、素早く元の定位置に戻った。


 加藤ゆかりの言葉・・

「気持ちがどこかに・・」

 僕はこの体力テストに集中していない・・ということか?

 確かに、そんな気もする。僕は、この大嫌いなイベントから逃げているのかもしれない。

 それらの何もかもを否定する側に回り、避けてきた。


 そんな感情を加藤に見破られたのか?

 それも・・恥ずかしい。男としても・・

 ダメだ・・このままでは・・どんどんダメな男になっていく。

 次の持久走では・・

 汚名挽回できるかもしれない。

 ある程度はいい結果を・・

 そう思った時、

 ?

 気がつくと、周囲がざわついている。

 何か、あったのか?


「あれ、鈴木って、さっきまで俺の前にいたよな?」僕の後ろの男子が横の生徒に言った。

「あれえっ!」変な声だけを出す生徒。

「確かに、いたよな?」と念を押す男子。


 しまった! 加藤の言葉を考えているうちに僕は・・

 透明化していた! 体がゼリー状だ。こんな日中に何てことだよ。いつのまに眠気がさしていたのだ? とくに眠くはなかったはずだ。

 スポーツテストなのでカフェインなんて仕込んでなかった。


 いや・・それとも何かの思考と同調していたのか?

 まさか、消えたいという気持ちと思考の迷走がシンクロしたっていうのか?

 もし、そうなら、速水沙織と同じだ・・


 僕は他の男子にぶつからないように素早く男子の順番列から離れた。

「鈴木の奴、今、消えなかったか?」消えた瞬間を見たかもしれない奴がいる。

「便所じゃないのか」

「おい、おまえ、トイレに行くところ、見たのかよ!」

「透明人間じゃないんだから、消えるわけないだろ!」

 透明化など、全く眼中にない男子。自分の目を疑っている奴・・色々だ。

「あいつ、影がウスすぎだな」

 薄いんじゃない、透明だ!


 消えたかったのは、本当の気持ちだったが、何も持久走の順番待ちの時に透明化することはないだろ! 持久走はある程度やる気があったんだ。日頃の成果を確認したかった。 


 落ち着くんだ。こんな時はどうすればいい?

 そうだ。本当にトイレと言うことにすればいい・・順番は遅れるが、あとで列に紛れ込めばすむ。先生に言われたら、お腹を壊したとか、言えばいい。

 問題はそれまでどこで時間をつぶすかだ。


 取り敢えず、僕は旧校舎のトイレに向かって走った。

 誰も僕のことに気づかない。

 あたり前だ。僕は完全透明・・途中、誰かに悪戯をしても気づかれない。

 女の子の体に触ってもわからない・・それが透明人間。

 ちょっと格好いいかも・・


 ・・なんて、そんなやましいことを考えるんじゃなかった。

 僕の前には、わが文芸サークルの部長・・速水沙織がいた。

 体操着姿が新鮮・・って、そんなことを考えている場合じゃない。 

 もし、本当に女の子の体に触っていたりしたら、見られるところだったぞ。危ない。

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