第46話 マドンナ先生の決断①

◆マドンナ先生の決断


 男子生徒に抜群の人気の・・池永かおり先生が泣いていた。

 ・・と言えば聞こえはいいが、先生はわが文芸サークルの部室で駄弁りながら、僅かな数の部員二人に絡んでいるのだった。

 絡まれている部員の二人は、速水部長に小清水さん。

 僕は遅れて部室に入ってきたので、話の内容が掴めていない。


 最初は、池永先生は酒でも呑んでいるのかと思った。それだけ、会話が乱れているということだ。

 池永先生は文芸サークルの顧問だ。けれど、この部室でその姿を見るのは初めてのことだ。

 いつもの黒のパンツスーツ姿だが、何か様子が変だ。授業中とはイメージが全然違う。


 そう言えば、池永先生は、速水さんが去年いろいろとあったと言っていたっけ。 僕が問い詰めると言葉を濁していたのを憶えている。


「だってねえ・・相手がいるなんて、私、知らなかったのよぉ」

 そう言いながら、池永先生はテーブルに突っ伏した。泣いているのか、喚いて、二人に絡んでいるのかわからない。

「私、デートもしたし、てっきり、つき合ってると思ってたのに、向こうはそうじゃなかったのよぉ」

 口調がいつもと全然違う。先生らしくない。

 池永先生はこんなタイプだったのか? 人には色んな面があるというけれど。

 速水さんが部長席から先生に、

「それで、その・・相手の名前は、えっと・・何だったかしら?・・要するに体育の先生ね。その人とは何度ほどデートをしたのかしら?」

 デート? 池永先生が体育の先生と?

「デートは一回よ」そう答えた池永先生。

「一回?」と眼鏡をくい上げする速水沙織。

「えっ・・一回だけですか・・」と読みかけの本から目を上げる小清水沙希。

「いったいみんなで何の話をしてるんだ?」と小清水さんに質問する僕。


 席に着いた僕に小清水さんが丁寧に概略を説明する。どうやら池永先生は失恋をしたらしい。相手には恋人がいた。

 その悲しみを癒すためか、顧問である立場を利用して、部室にだべり女子部員に愚痴をこぼしているのだった。

 相手は、我が高校の体育の先生らしい。僕のクラスの担当になったことはない先生なので、顔も知らない先生だ。

 ま、校内一の美人先生の恋愛対象になるくらいの男なら、さぞかしご立派なのだろう。


 それにしても学園のマドンナ、男子高生憧れの的、池永かおり先生をふるなど、大それた・・というか、もったいないし・・けしからん男だ。あとで後悔するんじゃないか?


 ただ、そんなことで文芸サークルの神聖な部室の中で女子部員相手に泣き絡む池永先生はどうだろうか?


「それで、その一回のデート・・というのは場所はどこなのかしら?」と問う速水さん。

 その問いに、池永先生は、

「駅前の炉辺焼きよぉ」とやけくそ気味に答えた。

 それって・・デートなのか?

 

 小清水さんが暢気に「私、初めてのデートなら・・遊園地か、映画館がいいなあ」と言った。

 それは高校生でも、池永先生くらいの年齢でも同じだろう。

 ただ、炉辺って・・「男女のおつき合い」ではなく、単なる「つき合いが、いい、悪い」の「つき合い」じゃないのか?

 そんな違いもわからない池永先生は純粋にいい人なのだろう、とも思った。


 案の定、速水沙織がいつも僕に言うようにきつめの口調で、

「池永先生、申し訳ないけど、それは・・」と言ってコホンと咳払いをした。

 速水さん・・単刀直入に言うのか・・

 傷心の身にこたえるぞ・・

 速水さんは咳払いをした後、「失礼」と前置きをして、

「それは、デートでも何でもないと思うのだけど・・」とさらりと言った。

 その言葉に、

「だって・・藤村先生は、私のこと、いい先生だって、言ってくれたのよぉ」

 お相手の名前は藤村先生か・・

 どんな会話が二人の間で交わされたのかは知らないが、おそらく男女の会話とは程遠いものなのだろう。

 男の藤村先生にとって池永先生は、いい人でもなく、もちろん、好きな人でもない。ただの「いい先生」だ。おそらく、何かの拍子に言った程度の言葉なのだと推察される。

 そんな言葉をいいように受け取る方もどうかしてると思うが。


 池永先生の返した言葉に、速水沙織は「はあ~っ」と深い息を吐いた。おそらく呆れ返っているのだろう。

 そこへ、小清水さんが、

「でも、池永先生、男の人って、藤村先生だけではないですよ」と慰めるように言った。

 たぶん、失恋の身にそのような常套句は通用しないだろう。

「いいえ、沙希さん、今の池永先生にとって、男の人は世の中に一人、藤村先生だけなのよ」と速水さんがせっかくの小清水さんの言葉を台無しにする。


 そこで僕が、

「そんな時には、早く忘れるために、別の人を好きになるか、何か、趣味にでも打ち込んだ方がいいですよ」と言った。

 そんな僕の言葉に小清水さんが「鈴木くん、そんな経験があるの?」と躊躇いがちに訊いてきたので、素早く「いや、僕の体験じゃない。テレビドラマの受け売りだ」と答えた。


 速水さんが僕の言葉に重ねるように、

「鈴木くんの言った失恋の対処方法は、あながち間違いとも言えないわね」と言った。「むしろ、池永先生にはそれが一番いい薬かも」

 たまには速水さんは僕を褒めてくれるようだ。

 それにしても、文芸サークルのメンバー全員で子供をあやしているようだな。


 そんな話に落ち着いたかと思うと、

 池永先生は急に立ち上がった。ゴトンッと椅子の倒れる音がした。

「よしっ!・・わかったわ」そう池永先生は言った。同時に、先生の大きく、かつ、豊かな胸がたわんと揺れた。

 何がわかったのか、わからないが、口調がいつもの池永先生に戻っている。


「あら、先生が元通りに・・」と速水さんが眼鏡を更に上にあげた。

「よかったあ」と仏の小清水さんに笑顔が浮かぶ。

 ・・これでいつもの部活の雰囲気に戻れると思う僕。


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