第40話 速水沙織の母親

◆速水沙織の母親


「しばらくして、落ち着くと、母はキリヤマという男と一緒になったのよ」

「そのキリヤマっていう人は、速水さんのお父さんのライバル会社の男か?」

 そういうことか・・と僕が言うと、

「違うわ・・また別の男・・」と速水さんは言った。

 別の男だって?

 それって、速水さんの母親、かなり自由奔放過ぎるんじゃないのか?

 それとも速水さんの母親、モテモテの美人さんなのか?

 ちょっと興味が沸いた。会ってみたくなったな・・


「鈴木くん、私の母のことは、自由に想像してちょうだい」

 すみません。もう勝手に想像しました。


「母は・・結局、何かにすがることしか、できない人だったのね」

 女性のすごくマイナス部分のような気もする。 

 僕の母なんて、つつましやかだぞ。何の問題も・・・

 問題?・・さっき速水さんが言った問題って、そういうことなのか。

 問題のある人生・・問題のある人、ない人・・


「その相手の男が今の速水さんの義父ってことなんだな」

「ええ、そうよ、私の今の義理の父親・・」


「その前に、父のライバル・・一時的にせよ。母の浮気の対象だった男のことも言ってかないとね」

「流れから言って、お母さんとその男とは別れたんだな?」僕がそう訊くと、

「正解! さすがは鈴木くんね」と速水さんは言った。

 やっぱり、僕をバカにしてるだろ! 速水さんがどんな顔で言ったのか、見てみたい。


「おそらく、母は、父の事業が悪くなったあたりから、何かのたがが外れたように・・あらゆる束縛から自由になるように変わっていった・・悪い言い方をすれば、壊れていったのね」

 壊れていった・・そっちの方が正しい気がする。

 何かをきっかけに変わったのか、元々そんな人柄だったのか、それはわからない。


「いや、お母さんはそれでいいけど、娘の速水さんはたまったものじゃないだろ」

 僕の言葉に「ふふっ」と自嘲的に笑うと、

「私、その相手の人に会っているの・・父がまだ生きていた時によ・・一緒に食事に行ったの。高そうなフランス料理だった。その時は、どうして母が私を同伴させていたのかわからなかったわ・・でもすぐにわかった」

「どうしてなんだ?」

「母は、『この子、よく出来た子なのよ』と言って、その人の前で私を褒め称えたわ・・当たり前よね。その時は褒められて喜んだけれど、それは二人が一緒になった時、連れ子である私の評価を上げておくためだったのね」

 そういうことか。やっぱり速水さんの母親はマイナス部分が多すぎる。


「しばらくして母は、言ったわ・・『あの男も、ダメね』って・・私、まだ中学生よ・・母はそれを親戚の前でストレスでも発散させるかのようにその人の悪口を並べ立てたの」


「あの男もダメって・・どういうことだ?」

「その人の事業も悪いことがわかったの。やり過ぎ・・事業の手を広げ過ぎた、と聞いたわ」

 何だよ。速水さんの母親、そんなの追いかけてもしょうがないじゃないか。

 それより、もっと女性の本質的な幸せを掴んだ方がいいだろ。


「私、その時、思ったわ・・『結婚というものは、もう私の夢ではなくなった』って」

 以前、速水さんは部室で結婚観を述べていたことがあったな。あれは、自分のことだったんだな。

 それより、

 少し、頭がフラフラしてきた。屋外に僕一人ずっと座っているせいなのか。

「速水さん、そろそろ、姿を見せてくれないか? さっきから話を聞きにくいんだ」

 相手が見えないと、自分の視線の先が定まらない。頭痛もしている気がする。

 それに、いつもの速水さんの眼鏡くい上げも見ないと落ち着かない。


「もう少しの辛抱よ。もうすぐ話は終わるわ」

 速水さんは「我慢してね」と言った。

「その頃の母は、親戚からも見放されていたわ・・ある人が『あんなお母さんで、沙織ちゃんも可愛いそうね。と言っていたのを憶えてる」

 なんだよそれ・・ダメ母の評価だろ。


「そんな母でも、私はついていくしかなかった」

 それはそうだろう。その時、速水さんはまだ中学生だ。自立していない。

「でも母は、母の方では、そうではなかった」

 え、

「母は、私を引き離したがっていた・・」

「何でだよ」

 理解できないぞ、一人娘だろ!


「さっき言ったように、母は別の男、キリヤマという男と再婚したのよ・・といっても内縁だけど」

 だから、速水さんの苗字はまだ「速水」のままだということだ。


 速水さんは「その男は、父とも、ライバル会社の男とも全く毛色の違う男だった」と言って「その人には娘がいたの」とつけ加えた。


「私は、その男や、娘・・年上だから、姉だけどね。その二人の姿を見た時、ああ、母は、もう成功とか、そんなことには興味がなくなったんじゃないか・・そう思ったわ」

「そんなに、相手の男はひどいのか?」

「ええ、ひどいわ・・すごく」速水さんは相手を貶すように言った。「柄も悪いし、品位も何も感じられないわ」

 よくイメージが掴めない。

「母は、男の地位・・よりも『心』を求めるようになった・・と言えば聞こえはいいけれど、ただ、力強い男にすがるようになっていたのね」

 好きなタイプが変わった? ということか。

 

「その時、私は中学3年・・義父にも、その姉にも馴染めなかった」

「そりゃあ・・そうだろ。僕だって、同じ状況なら・・」

「新しい父と姉は、私が気に入らなかったみたい・・」

・・・速水さんのどこが? 知性溢れる所? 自分たちとは正反対な。

「その頃には薄々、気づいていたのよ。母にとって私は迷惑な存在だって」

 子供を迷惑がる母親って・・そんなのありかよ。

 血の繋がりのある娘を大事にせず、男の方に流れるのか。


「もうその頃には、家族全員の私に対する露骨な嫌がらせが始まっていたわ」

「何かされたのか?」

「それは、鈴木くんの想像にまかせるわ」

 速水さんはそう言った。だが、僕は知りたい。

 だが、速水さんは具体的なことは語ろうとはしなかった。

 まさか、暴力とかじゃないだろうな。


「私は、何をされても我慢していた・・私が変わらなくても、いつか、世界の方で変わってくれるんじゃないかって・・そう信じていた」


 速水さんの言葉が途切れた。言いたくないのか、黙ってしまった。

 速水さんは、思い出したくもないことを・・・

 沈黙が続く・・鳥の囀る音だけが聞こえる。

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