第33話 海辺の水族館②
海岸が近い駅に降り立つと、そこはもう初夏の陽気だった。
電車を降りた多くの人たちが向かうのは、駅近くの水族館、もしくは山側のロープウェイ乗り場だ。
加藤は水族館に何度か来たことがあるのか、あとの3人を先導した。
加藤の横に水沢さん、少しあとを、僕と佐藤・・そんな風にして水族館に向かった。
加藤ゆかりが4人分の入館料をまとめて払い、あとで清算する。
建前上デートではないので、誰かが奢る、というわけにもいかない。
もしこれが加藤と佐藤のデートだったら、佐藤がもつことになるのかもしれないが。
そう、佐藤にとって、加藤ゆかりは友達以上の存在ではない。
むしろ、友達以下かもしれない。
本館に入り、暗い照明の廊下を抜けると、大きな水槽の前に出ることになった。
水槽では種々の魚たちが入館客の目を楽しませていた。
一体、これからどうするんだ?
加藤はどう佐藤にアプローチをかけるんだ?
「ほら、佐藤くん、見て、見て! 大きなサメがいるわよ」
加藤が佐藤の腕を引き、水槽の方に引き寄せた。快く思っているのか、いないのか、不明の表情で佐藤は加藤の動きのままに身を任せているように見える。
加藤と佐藤が水槽の方へ行くと、僕と水沢さんは取り残されたような形になる。
まさか、水沢さんが加藤のように僕の腕を引いたりはしないだろう。
しばらく、僕と水沢さんの間に沈黙が生じる。
「私たちも行きましょう」
そう言って水沢さんは、僕を巨大水槽の方へ導いた。
室内を回転しながら色とりどりに照らす照明が、僕たちの体にも当たっている。
水沢さんの、ワンピース、髪、そして、頬に当たり、
光が揺れたり、別の明かりが当たったり。
照明を受けた水沢さんの体が一瞬煌めいたり、そんな光の戯れが繰り返されている。
ああ、これでは魚を見に来たと言うよりも、水沢純子という女性を鑑賞しに来たようなものだな。
「あの魚、何ていう名前なのかしら?」
不意打ちのような水沢さんの言葉にうろたえながら、水沢さんの指差した魚を確認しようと水槽の中を凝視した。が、わからない。
「ほら、あの一匹だけ、群れを離れて泳いでいる・・青い魚・・可愛い・・」
可愛い・・水沢さんの口から聞いた初めての言葉だ。
いつも授業で、国語の教科書を朗読したり、英語のテキストや数学の算式なんかを述べる機械的な言葉ではなく、生きている言葉だった。
僕は魚の説明書きのパネルを慌てて探した。
「ルリスズメ、っていう魚らしいよ」
何とか探し出した魚の名前と、水沢さんが指した魚を一致させて言った。
「そんな名前なのね・・一人だけで泳いでいるのが可愛いわ」
一匹と言わずに「一人」というのが好感がもてた。
気がつくと、加藤と佐藤の二人組は、巨大水槽を見飽きたのか、進行の矢印通りに先に進んでいた。
「私たちも進みましょう」
どうやら、僕たちの組は水沢さん先導のようだ。それはそれで心地いい。けれど、男子として、それでいいのか?
通路を進んで行っても、先に行った二人は見つからなかった。二人とも本当に魚を見ているのかどうか怪しいものだ。
おそらく、加藤は佐藤との接近を楽しんでいるのだろうし、佐藤は魚にも加藤ゆかりにも興味はないのだろう。
そういう僕にしたって、この水族館にさして興味はない。ただ、水沢純子とこうして話す機会、それを楽しんでいるに過ぎない。
純粋に水族館というものを楽しんでいるのは水沢純子ただ一人のような気がする。
「ほら、鈴木くん、あの蟹の足・・すごく長いわよ・・それに全然動かないわ」そう言って水沢純子は「何だか可笑しい」と言った。蟹がおかしいのか、自分の言った言葉が可笑しかったのか、いずれにせよ、そんな感想を言いながら水沢さんは水槽を眺めて回った。
僕は少し早めに歩く水沢さんにひたすらついていき、彼女の感想に相槌を打ったり、同調する言葉を言ってみたり、できるだけ彼女の機嫌だけは損なわないように努めた。
かなり巡っても、順路を違えているのか、他の二人には出会わなかった。
加藤と佐藤が僕に気をつかって、水沢さんと二人きりにしてくれているのかと思えるほどだ。
いや、それは違う。加藤が僕たちと離れて、佐藤と二人きりになろうとしているのだろう。それはそれでいい。それが加藤にとっていい結果を生むのなら。
そう思っていると、先の通路の暗がりの中から加藤ゆかりが現れた。
加藤は「純子、私たち・・佐藤くんとお茶をしてるから、鈴木くんとゆっくり見て回って頂戴・・」と水沢さんに言って、僕の方を見てニコリと微笑んだ。
「イルカショーは一緒に見ようね」加藤はそう言って、ショーの開始時間を教えた。「佐藤くんと席をとっておくわ」
加藤・・それでいいのか?
水沢さんもこんな僕と一緒でいいのか?
ついこの前まで、僕にとって、いや、クラスの男子にとって、高嶺の花的存在だった水沢純子。
それが、こんなにも長く、近く、息遣いまで聞こえそうな距離にいる。
それも私服、空調のせいなのか、僅かに漂ってくる香水の香り。
高校では絶対にありえない状況。
けれども、緊張で、その喜びを上手く味わえないのが残念だ。おそらく、この喜びは家に帰ってから込み上げてくるのだろう。
そして、一生の思い出として心に大事に仕舞い込む。
そんなことを考えていると、
「ゆかり・・大丈夫かな・・」そう水沢さんはポツリと言った。「あの子、純粋だから」
自分の親友と佐藤のことを案じている風に聞こえた。もしかすると、僕と水沢さんは同じことを考えているのだろうか?
「鈴木くん。あそこで休憩しない?」
水沢さんは近くのフードコーナーを指して言った。
休憩・・そんなことこれっぽちも考えていなかったが、もうかれこれ、一時間は経っていた。感覚的には10分ほどしか経っていないと思っていた。
夢のような時間はあっと言う間に過ぎるようだ。こんな経験、子供の時の夏休み以来だ。
加藤はお茶をしてる、と言っていたが、この場所ではないようだ。
11時、まだ昼飯時でもないので、僕たちは自販機で紙コップのコーヒーを買い、適当な席を見つけ座った。
魚の話をするのかと思ったが、「すごく込んでいるわね」と言った後、
「私、ゆかりの今回の企画・・けっこう乗り気で来たのよ」
のりき?
「乗り気って?」言葉の意味がわからないので訊ねた。
「私、今日、イヤイヤ来てるんじゃないってこと・・」
そ、そうなのか・・つき合わされたって言ってたから、無理やりなのかと思っていた。
それって、僕としては喜んでいいことなんだよな?
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