第72話 俺様娘に憂いてならない箱入り娘っ!
「私が兄さまのそばにいるのは、我儘なんです」
「また我儘か」
「悔しいですが、トリスクトがいます。フランベルジュ特別指導官も。記憶をなくした兄さまを、おそばでお支えするなら、本来あの二人でよかった。認められなくて!」
おずおずと口を開くナルナイ。
トリスクトさんはやっぱり、前の俺にとって特別な存在なんだなぁ。
何度聞いても信じられないが、婚約関係というのがあるんだろう。
シャリエールについては、なぜかいまだよくわからないが。
「だからあの娘は、そんな我儘な私を助けようとついて来てくれました」
「お前たちの絆は特別だもんな。
思えば、二人の関係はウチの小隊では異質。
トリスクトさんとシャリエールはどことなく争っている。
リィンやエメロードは友人同士のようだが、対等な感じはしない。エメロードが遠慮している。
ナルナイ・アルシオーネコンビは、基本その他には友好的には見えない。
(ハッ! 小隊長として良く五か月もやってこれたね)
「アルシオーネがあれほど甘えたところを、私は見たことがありませんでした。兄さまと時間を共にしたいのは私なのに、アグレッシブさの前に何もできなかった」
「悔しかった……とか?」
「『どうして空気を読んでくれないの。兄さまと一緒にいられる時間を盗らないで』と。でも……」
「でも?」
「いまでは、仕方がなかったのかなと」
「何かを感じ、アルシオーネの心が疲弊していると考えた」
そこまで言ったときだ。
ナルナイは、両手で胸元に寄せていた俺の手を、今度は彼女自身の頬に当てるものだから、見ていて唾を飲み込みそうになった。
「故郷に、好きな人がいるんです」
「あのお転婆に!? ハッハハ! んだよ、女の子らしいとこあるじゃないか」
「それが、私の兄上」
「え゛!? それってまさか……」
「ご安心ください。兄さまとは別。私には兄さまを含め、実の兄と、《
珍しいことも、あったもんだ。唾を飲み込みそうになったところで固まった。
ナルナイの話の進め方は、これまで俺に対する中ではイレギュラーだったからだ。
記憶のない俺に、俺のことを知っている小隊員メンバーは、色々と教えてくれないことがある。
その中の一つに、前の俺なら知っていたであろう彼女たちの個人情報。いわゆる
「おりましたって。じゃあ他の二人は……」
「いえ、実兄は存命しておりますし、その者こそ、あの娘が密かな想いを胸に抱く相手なのです」
(ってことは……残念ながら、最後の一人、《
大事な人をなくした背景がある。
聞いた時、無常な気分になった。俺も家族を事故で亡くしているから。
「でも私の為に、兄上のいる国を離れてしまった」
「そうだったのか」
不意に、ナルナイの額に手を置く。彼女は、そのまま話をつづけた。
「不慣れな場所、食文化に生活風習、技術レベルも違う兄さまの故郷が日本。私たちには混乱することばかり。でもあの娘は、自分も大変なはずなのに、いつも私ばかり気にし、己を犠牲にしているんです」
……そういうところは、あるのかもしれない。
俺は日本人だから、カルチャーショックというものはない。
しかし俺の小隊員全員、基本的にその限りじゃないだろう。
「小隊長として、反省だねこりゃ」
で、そんな中、アルシオーネはいつもナルナイの為頑張っていた。
気にしてこなかったわけじゃないが、話を聞いて改めて思い返してみると、いろんな場面が思い当たった。
リクルート時。
大けがした俺の為、料理をナルナイに作らせて食べさせようとし、阻止しようとしたトリスクトさんとぶつかった。
トモカさんの別荘を掃除しようと旅行に出たとき。
俺を溺れさせかけて、ナルナイの人工呼吸を匂わせ、意識させようとした。
一日失踪した折も、俺への怒りがないわけがない中、注文したのは「ナルナイと時間をとる」ということ。
さっきメイドカフェ前を通りかかった時など一番いい例だ。
ナルナイのメイド姿をなんとしても見せたかった。
だから、入店を決めあぐねていた時、アイツはそれを、自分の力足りなさではないかと本気で心配し、弱気になり、狼狽えた表情を見せた。
「学院で友達も出来なかったわけではありません。それでも、私がここにいることで気をもみ、心をすり減らしてしまって。メイド修行で兄さまと距離を取らざる得なかった時、残念がる私を一層心配してくれました」
(アイツも、なんというか損な性格しているね)
「私は……
「ん、いま何か言っ……ナルナイ?」
ここまで話が進んで、ナルナイは沈黙する。
先ほど俺の瞳をずっと見つめてきた彼女の目は、思案するようにあらぬ方を向いていた。
「兄さまは、トリスクトの婚約者であることについて、どの程度ご存じですか?」
「え? いや、トリスクトさんとその関係にあるということだけ伝えられているけど。それ以外は何も」
「そうですか……」
そしてギュッとつぶった。
「では、これから私がお話しすることも、追及しないでいただけますか?」
これに対して、俺が何かを言うことは出来なかった。
目をフッと開き、続けて言葉は紡がれた。
「兄さまが、アルシオーネの師であることは事実なんです」
「いや、十八の俺が十六の子の師って。部活の先輩後輩ってならまだしも。年も二つしか……」
「申し訳ありません。
(あぁ、駄目……なんだな。やっぱり。俺の記憶にかかわることだから)
媚びてうるんだ瞳をいつも見せるナルナイだから。覚悟を決めたような強いまなざしを前に、黙るしかなかった。
「ですから、あの娘の中で、私の兄と同じレベルで安心できる男性は、兄さまだけなんです」
「うっ……く!」
やっと、わかってきたぞ。わかっちまったぞ? そして、わかりたくねぇよ。そんなこと。
「まさか、さっき言った俺を好きになってもいいかってのは……」
「兄さまになら甘えられるんです。メイド修行を終え、接近禁止令が晴れたいま、再び共にいられる喜びはきっと私以上。私を守ることで心が消耗していたあの娘の方が強いはずなんです。その反動が強すぎて……」
「あの甘えに繋がった」
「抑えきれなかった。あんなに兄さまに引っ付いて。腹立たしかった一方で私は、気づいてしまった」
何も言えなくなるわな。そんな話聞いちゃうと。
「分かってください」ばりに、ナルナイは自らに当てた俺の手を、彼女が顔を動かすことで、撫でさせる。
でも、そうか。
いや、複雑だよ。
俺の持つ記憶は他人の記憶だった。で、自分の記憶がないことに気が付いた。だからいまを精一杯生きると決めたはずなんだ。
別にその決断に後悔はない。
だけどやっぱ、すべては俺の記憶がないことが皆に迷惑をかけているというのは気を滅入らせた。
「俺のせいになっちゃうのかな。お前の焦りも、アルシオーネの不安も」
「違いますっ! すべてはナルナイの我儘だったんです! 私がおとなしくしていれば。私が、無茶をしてアルシオーネが付いてこざるを得ない状況を作ったから」
本当に気が滅入るわ。
どう考えても原因は俺だよ。それなのに……
(俺は、こんなに想ってくれる女の子に、自分のせいにさせるのか?)
「あの、ですから、もし兄さまさえよろしければ、心の支えになってくれませんか? もちろん、兄さまにとって迷惑だってことは承知しています」
(いや、流石にそれは……)
「なんでしたら私のことはどうでもいいのです。あの子の心が救われるなら。もしアルシオーネが兄さまに本格的に好意を持ったとして、それに兄さまの心が動かされたなら構いません。それはきっと、我儘に対する罰……」
「あーそこまで」
なんてことを、この娘は、頬に当てた俺の手を握る両手震わせて言いやがる。
(流石に、それはあり得ないぞ山本一徹)
「話はそこまで。な?」
「兄さま……」
彼女が握ってくれる両手から、手を引き抜く。
両手で彼女の両肩を持ち上げて、膝枕状態から身を起させた。
「ホレ、こっち見ろ」
身を起こしてからは、正座したナルナイは、俺の方に体を向けながら、気まずそうに眼をそらしていた。
「さぁて、なんていうべきなんだろうか」
別に、言うべき言葉はないわけじゃない。ただ、どう切り出すべきかわからないから、後頭部ボリボリかきむしる数秒で考えてみる。
駄目だ。やっぱり思い浮かばん。
「俺はその、お前たち二人が、仲良く宜しくやっているのを見るのが好きなんだ」
とはいえ、口にする言葉は選ばなきゃならないから、一言一言時間をかけてみた。
「それは、アイツに甘えられてから、そしていまナルナイが話してくれたことで、一層強くなった」
たぶん、伝え方を間違えちゃだめだ。
「見てて安心できるんだ。面白いっていうか、関心すらする」
「関心ですか?」
「あぁ」
いまこの場で伝える言葉は、何かしらの影響を与えてしまうだろうから。
「傍若無人で、力加減の効かないアルシオーネを
「幼くて、弱い……ですよね」
「思慮の浅いアルシオーネも、弱いとは思わないか? 好き放題しようとするのは幼いと思うし。それでも、どんな時でも友達を助けようとする心の強さがある。お前たちは、二人で一人なんだ」
「二人で……一人?」
「互いの力を借りてやっと一人前になる。別にいいじゃない? まだ学生なんだぜ俺たちは。俺はね、その絶妙なバランスでお前たち二人が作り上げた《一人前》を見るのが好きなんだ」
「好き?」
きっと大人になったらそういうわけには行かないのかもしれないが。
いまは、これでいいと思う。
目を背けていたナルナイは、ここで、やっと顔を上げ、見てくれた。
「相手を想って遠慮なんてやめてくれ。互いが遠慮しないから出来上がった一人前が崩れちまう。お前たち二人に対して不安しちまう」
「兄さまが?」
「俺だけじゃない。自分の我儘で迷惑をかけているとお前が思えば思うほど、アルシオーネはさらに心配する。その上、アイツには他に好きな奴がいるのに、お前が俺を譲るなんて言ったら筋も違うし、いったいどれだけショックを受けると思う?」
「あ……」
「そして理由が、アルシオーネがお前のそばにいるからだと知ったなら? お前たちは互いを遠慮する。これまでとは同じとはいかなくなる」
「それは……」
「苦しいのは俺だけじゃないよ。お前たち二人も同じはず。いや、俺よりも苦しいはず。嫌だろうそんな辛いの」
「でも、いまのままでは……」
ま、だろうな。
「それなら、一体どうしたら……」
おいおい、辛そうな顔してくれるなよ。
「ま、ね?」
とりあえず、俺も考えがナルナイに通る様に、頭に手を置いてみた。
「ちょっとだけその件、預けてみないか?」
「え? どういう……」
何とかしなくてはならない。
俺が不甲斐ないからこの状況を生んだなら、不甲斐なくないところを見せてやらなきゃならない。
「俺に考えがある」
記憶がないことで後悔するばかりだ。
彼女たちの中に生きる《前の俺》がいない現状、この状況を何とかしなくてはならないのは、《いまの俺》のはずだった。
いまの俺は、一体誰か。
ナルナイ達の下宿の同居人であり、年上であり、先輩であり、そして小隊長なんだ。
◇
(さて、そろそろかな?)
「しっしょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
(来たな? おぅおぅ、また鼻息荒くしちゃって)
ドドドドドっという地響きすら立てているんじゃないかと思えるほど凄まじい剣幕で、遠くの方からアルシオーネが走り寄ってくる。全力疾走だ。
トップスピードのまま体当たりをもらったら、手足がバラバラになるほどの衝撃を受けそうだ。
「師匠! テメェッ!」
まずは、第一声を放つと同時にぶつからなかった、この状況に運がよかったと思うべきか。
「ナルナイがっ! ナルナイがいったいどうしたって言うんだ! 俺は師匠だからあの娘を託したんだぞっ!?」
それとも、両手で襟首掴まれ、持ち上げられてしまって、息ができないこの苦しさに、己の虚弱さを呪うべきか。
「何やってんだよ! 師匠が守らないでいったい誰がっ!」
「アルシオーネッ!」
可愛い顔が台無し。顔中のしわが寄って、鬼の形相。ナルナイへの心配による悲壮感も見て取れた。
あと十秒首が絞められたら堕とされる手前のところで、ナルナイの声が響いことで助かった。
認めた猪突猛進娘は、ポカンとした顔をうかべて、持ち上げた俺を、地面に下した。
「え? なんで? だって俺、さっき師匠から『ナルナイと大変なんだ! ナルナイが、ナルナイが!』って連絡があって……」
いまだ俺の襟首は掴んだままのアルシオーネは、その後ろに立つナルナイに驚いた顔を見せていた。
まぁ、そうだろうな。
ちょっと申し訳ないが、俺もこいつが慌ててこちらに走ってくるよう、不安をあおる連絡をしたんだから。
やっぱり、まだまだナルナイの隣には、アルシオーネがいるべきなんだ。
勝手な、俺の思い込みかもしれないけど。
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